自分の可能性にオーブンになれない時には

そんなときも

生きていればあることでしょう


私もあります

今は前よりそういうことはかなり減りましたが



そんなときは

ありのままの感情を

好きなだけ

感じようと思うだけ

感じ尽くして見られたら良いと思います


怒りの感情

悲しみの感情

憎しみや妬み

無力感や倦怠感の中にいる自分

やっても報われない事への焦燥感

その他の重苦しい
できればない方が
軽く生きられるような感情たち・・・



そういう感情だって

意味がありそこにとどまり存在しています


体の痛みは

何かを訴えかけるメッセージなのかもしれない

インナーの深い場所から

気が付いてとシグナルを送っている

そういう意味があるのかもしれない


自分の感情をありのままに

着飾らず

ごまかさず

そのまま認めて

好きなものは好き

嫌いなものは嫌い

相容れる感覚は相容れ

相容れないものは拒絶したいという感覚も



消去しようとせず

全てありのままの心の動きに耳を傾け

心の眼を開いてその行方を見届けてあげる方が

その暗闇から早く抜け出す事が出来ます



変にそういうのを変えようと躍起になったり

気持ちをなかったことに偽ろうとしたりすると

表に出ようとして

発散の方向へ向かおうとしているネガティブが

自分の偽りの意思

誰かが期待していると

自分の中で思い込んでいる

別の誰かを完璧に演じようとする

仮面を被った自分によって


意識のどこか彼方へ

押しやられてしまう事になるから


でも・・・自分の思考をコントロールして

そういったどろどろとした想念を

無理して制御しようとすればするほど

余計にそれらは噴出してきます


ゆがめられた感情は

ゆがめられた現象として

どこか自分にとって

無理がある現実が創られてしまったり

望む真のことからどんどんと遠ざかるような

そんな創造世界に

自分自身を自ら配置する事となってしまう・・・



ネガティブとポジティブは

いつでも紙一重

光りと影はセット

幸せを感じるのも

不幸を感じるのも

ジャッジするのもされるのも

快も不快も

自分の内側から絶えず生まれてくるもの


生まれてきてやがてはどこかに去っていく

幻想みたいなもの


自分の感情をありのままに感じる事を

思い切って許可してみると

それまでの自分が

自分自身の思い込みや

世間での自分の立ち位置を気にして

役割にこだわりすぎて

どれほど本当の望みを内側に抑えて

何かに迎合したり振り回されたり翻弄されてきたのか

おのずと理解できる事になるかと思います


自分や他者を許すプロセスは

ありのままに感じるという許可をきちんと自分に出せて

そういう癖を習慣として身につけられるようになってから

踏み出せば良いのかと

今日私は一日の出来事の中で

その様に感じました。


どんな状況に自分がいるときでも

自分の気持ちにだけは嘘を付かないで

自分の本当の気持ちを偽らないで

お互いに生きていけたらよいですね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?