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Christmas treeを聴きながら考えたこと


いつもより頑張って、いつもより外が暗くなってから帰る1人の時間
寒いし、なんか虚しいし、真っ暗なのが自分の行く先みたいな感覚になって複雑な気持ちに襲われることがある
そんなときChristmas treeを聴く
心が解けていく 
愛しいひとのやさしい歌声が、まるでお母さんの作るシチューみたいだなあとか思ったり
でも今はたこ焼きが食べたいなあとか思ったり(たこ焼き屋さんの前を通った)
好きな人がいてよかった、テヒョンさんという素敵なひとに出会えてよかったと心の底から思う
だけどふと、結局私は自分のために、自分を満たすために人を好きになってしまっているのかなと考えてしまう
身近な人を好きになるいわゆる恋的なものは
人間の本能的な問題で好きになってしまうものだと思っていて
だって、世界中何億人もいるのに同じクラスの人や職場の人みたいな、たまたまそこにいる人ばかりを好きになるなんて都合良すぎるし
反対に、人は何億人もの中で沢山好きだなと思える人に出会う可能性を持っていて
その中でたまたま近くにいる運命の相手を好きになるって解釈もできるけど
こっちの解釈の方が素敵だね
じゃあ恋的なものはそういうことだとして
相手がアイドルだとどうだろう
アイドルにリア恋もあるし経験もあるけど
もしそれじゃなければ
本能とはまた違うのかな
だったら何なんだろう
これが純粋な「好き」だったらいいのにな
でも「好き」の定義がそもそも曖昧だし、良くも悪くも、どう考えたって不純物だ 
好きの意味は「心がひきつけられること」らしい(スーパー大辞林より)
心をひきつける要素なんてひとによって千差万別
やっぱり好きは不純??
こんなに深く考えなくたって純粋な「好き」だなんて、そんなわけないのかもしれないけど、わからないけど、そんなことがあったらいいなと思っちゃうくらいに好き
この事実が私をやっぱり勇気づけてくれる
たとえこれが移りゆくものであっても、移りゆく先でこのときの愛しさが私の中に、音楽に、時間に、ずっと残り続けるんだと思う
思い出さなくても私の中にあって
音楽を聴けば意識の中に浮かび上がって
記憶を辿ればその時の時間の中にもまた浮かび上がってくる
だから今が、今好きでいることが大切なのは
今だけじゃなくて、未来にとってもそうなんだろうな
だったら素直でいたいね
不確かな未来より、ただここにある今と、誰にも変えられない過去を抱えて
「好き」が誰のためか分からなくても、自分のためでも、自然のままに好きでいて
相手のために好意を制御できるひとであれたらいいな


以上、哲学の課題をやっていたら思考が止まらなくなったひとの日記でした📝

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