母の言う「だいじょうぶ」にいつも勇気づけられている
1975年前の今日、ロシア帝国で女性労働者を中心とした大規模なデモがおこなわれた。
以来この3月8日は「国際女性デー」と名づけられ、女性の権利と平等な社会的立場を呼びかける日となっている。
イタリアではミモザの花束を女性に贈るのが慣習で、近ごろ日本でも黄色くてぽんぽんと可愛らしい姿をあちこちで見かけるようになった。
そんな今日は、わたしの兄の誕生日でもあり、久しぶりに家族で話す日でもある。
うちの家庭はたぶんちょっとだけ複雑で、物心ついたころから父親の存在を知らず、母と兄との3人家族だった。
母と兄と、それから犬と亀も一緒に仲良く暮らしていた生活が変わったのは、当時すっかりませていた14歳のわたしが「お母さんって彼氏いるの?」と聞いたことがきっかけである。
何気なく質問をした数ヶ月後には母から「彼と付き合ってるよ」と、職場の同僚だという長身で真面目そうな男性を紹介され、私が高校に入学する頃には一緒に住もうという話になった。
多少聞き分けがよかったとはいえ、父親の存在を知らずに生きてきた16歳の女子高生に、いきなりよく知らない男性と住むなんていうのはハードルが高すぎて、同居生活は1ヶ月もたずに、兄と2人暮らしを始めた。
高校生活の3年間と、海外と日本を行ったり来たりしている数年はずっと兄と2人で生活した。
そして時が経ち、母とその彼は結婚して、なんと2人の間には今年で6歳になる子どもがいる。
母から妊娠したと聞いたときには、まさか弟ができるなんて思っていなくて(当時わたしは19歳だった)、うまくリアクションがとれなかった記憶がある。
とにかくわたしの母はいつもやることなすこと全てが急で、良く言えば思いきりがよく、たいていは事後報告なのだ。
ちなみに結婚は3回目で、今の彼とは事実婚。仕事は気に入らなかったら次が決まってなくてもスパッと辞めて、翌週には新しい仕事を始めてたりする。
今は周りにも多いシングルマザーだけど、離婚の経緯や職場、知人とのやりとりを聞いていると、やっぱり生きづらい瞬間はとても多いようだった。
義両親との関係、職場での不利な立場、ママ友付き合い、話始めればキリがないほどの苦労を、最近になってようやく聞いた。
それでも「大変なこともあるけど、なんとかなる」ということが、母を見ているとはっきり分かる。
24歳で兄を産み、27歳でわたしを産み、女手ひとつで2人を育て上げ、46歳で弟を出産して事実婚を選んだ母。
経理の仕事を長年している中で、残業後に資格の勉強をして、ごはんの支度や私たちの世話もして、親戚にはほとんど頼っていなかった。
週末には一緒にお菓子作りをしたり、バレエの発表会のお手伝いをしてくれたり、いったい母はどれだけのことをこなせるのだろうと小さい時から不思議に思うことばかりだった。
〔母は強し〕って、お母さんのことだよなあと、自分の母を見て思う。最強であり最高な存在である。
わたしの人生も、たった24年間だけどそれなりに紆余曲折があり、その都度母に相談して、勇気づけてもらってきた。
進路や恋愛で悩むと必ず1番に母に相談して、解決策をもらったり、時には「やーねー、大変ね〜」と共感してもらうだけで不安がいつのまにか消えて無くなる。
思いきりが良くて、色んな経験をしてきた母から言われる「だいじょうぶよ〜」や「がんばってね〜」は、どんな具体的なアドバイスよりもわたしを勇気づけてくれるのだ。
「だいじょうぶ」に厚みがあり、温かさがあり、確信がある母の強い響き。
母のおかげでわたしも周りから見ると大概思いきりがよくて大胆に育ったらしい。
お母さん、いつもありがとう。これからも人生楽しんでいこうね。
すてきな記事を書くために役立てます!