「常識が無いなんて気にするな」と言われるより

人はゴシップが好きだ。

誰が付き合ったとか、
あの人はこういう性格だとか、
退職届を出しただとか異動希望を出しただとか。

そういう噂話を、
面白いから知りたがるし、
面白いから話したがる。
プライドがあるから知りたがるし、
プライドがあるから知っていることをアピールしたがる。

一方で僕は、ゴシップにめっぽう疎い。
疎いというか、多分興味がない。
いっつも自分のことばかり考えてる。
自分のことと、目の前のことに夢中になれる。
あとは、正解のないことばかり考えてる。
遠すぎる話や、深すぎる話に夢中になれる。
幸せとは、とか、心とは、とか。

けど、多くの人が飛びつく「近くて浅い話」に
いまいち興味を持てない。

そのくせ、僕は他人の目が怖かったり
影響を受けやすかったりする。

だから、飲み会とか雑談で
「近くて浅い話」で周りが盛り上がると、
自分は興味が無いし、
興味を持とうにも今まで興味が無かったから
知識や肌感覚の差が圧倒的にあるから
全然ついていけない。

昔よりは他人との関わりに積極的になれてきたし、人間との会話の仕方も分かってきた。
ある程度の信頼はされる人に、ちゃんとなれてきてる自覚はほんのりある。

それでも、「近くて浅い話」に
毎日傷を負っている。
ああ自分は皆が既に知ってるような噂話も
全然知らないなあ、
常識が無いなあ、
察する力が無いなあ、
そもそも興味が無いからだなあ、
などと嘆きながら居酒屋から家へ帰る、
なんてことが先週も2回あった。

彼らは
「そんなこと気にするな」
「常識なんて人それぞれだよ」
「知らないって思うのはたまたまそういう話題だっただけだよ」
とか
「りぶ君は別に常識が無いようになんて見えないよ」
とか声をかけてくれるけど、
それは本心だし善意なんだろうけど、
そんな風には思えないなあ、と思う。
彼らみたいにはなれないなあ、と思うだけで、
あまり効果はない。

けどこの間、
とある先輩と会社から一緒に帰った。

その人はいつも落ち着いてて優しくて、
周りからの信頼も厚くて、僕とも仲良くて、
僕が会社で1番尊敬してる先輩なんだけど、

「先輩、○○さんの話聞きました?」
「…いや、聞いてないな」
「会社辞めるらしいですね」
「へー、そうなんだ。全然知らなかった笑笑」

僕は○○さんという人の噂は
もう会社中に広まってると思ってたから、
ちょっと驚いた。

と同時に、
「常識が無いなんて気にするな」と言われるよりよっぽど、
「気にしなくていいんだな」と思えた。

確かに先輩もゴシップに、「近くて浅い話」に全然興味なさそうだけど、
全然それで困ってるように見えなかった。

なんか、明日も生きていけそうな気がした。

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