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プノンペンのチャイナタウン

2017年5月訪問。カンボジア、プノンペンのチャイナタウンについて。ここにもチャイナタウンはある。ただ、横浜、神戸、長崎やサンフランシスコのようにここからチャイナタウンだ、という門(中国語で"牌楼" / 普通話での発音はPai2 lou2)があるわけでもなく、じわじわとそれらしくなっていく。チャイナタウンとは、中華系移民がある程度固まって居住している地区を指すが、前者は観光地化されたチャイナタウンであり、後者は観光地化されていないチャイナタウンだ。後者は自らここはチャイナタウンだと宣言しているわけではないので、それらしさを感じ取るしか方法がない。

チャイナタウンの風景。敷地ぎりぎりに建物が建つ東南アジアでよく見る雰囲気の路地。

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チャイナタウンとわかるポイント。①看板のクメール語の下に中国語。"鑽石店栈(ダイヤモンド ゲストハウス、の意味)"と書いてある。店の看板については、"外国語表記の看板には必ず 上方にクメール語を併記し,字体もその他文字 の2倍大にするよう一律に規定"されているそうだ(※本記事の最後に記した参考文献を参照)。②店や家の門の両脇には新年の飾り"春联" / Chun1 Lian2。

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路地を歩いているとこんな感じ。チャイナタウンとわかるポイント③中華式神棚。よーく見ると、建物の2階の外側にある。この写真ではわからないが、一階の店舗の奥に中華式の"土地公"という神様を祭った祭壇が置かれているところも多く見られた。上階に祭られているのが天公、一階に祭られているのが地公であろう。天公・地公を祭るのは南洋のシンガポールでも見られる風習である。

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これもチャイナタウン。近辺をうろうろ。束なった電線のボリュームがベトナムと似ている。

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そして、これが潮州会館。

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東南アジアのチャイナタウンに共通していることだが、華僑がやってきた当時、華僑はその国にとっては外国人であり、現地政府の保護などが十分に受けられる状況ではなかった。そのため、華僑同士が同じ出身地、姓、職業などで互助会を作り、資金を貸し合ったり、医療費を援助し合ったり、新聞を発行したり、学校を作ったりした。その最も大きなものが同じ出身地の華僑同士で構成される○○(中国の地域名が入る)会館だ。上の写真左上、右上、左下、右下の順に①~④とすると、①潮州会館の敷地への入り口、入ると奥には会館というより廟と表現した方が的確な建物が見える。②敷地内には獅子舞用の足場。③廟(道教寺院)の入り口には"潮州会館"の文字。寺の中庭のスペースではテーブルが置かれていて、そこでは子ども達が宿題をやっていたり、大人が伝票のようなものを見ながら何かの勘定しているようだった。子ども達は中国語や潮州語ではなく現地の言葉を話しているようだった。④潮州会館の裏手に回ると、実はこの潮州会館と、"瑞華学校"という中華系の学校が背中合わせで位置していることがわかる。つまり、華僑は会館を構築すると同時に、そこに先祖やその出身地域で信仰されている神様を祭る廟、会員への教育を行う学校を構築していたことがわかる。これらが華人がその国で生きていくためのいわばインフラとなっていた。

カンボジアの華人は、タイと同じく潮州系が多いそうだ。下の左の写真は、潮州会館の入り口の右側の壁なのだが、ここには1993年にこの潮州会館が再建されたこと、その再建の発起人の名前が記載されている。ポル・ポト政権での反体制派への迫害やその後の内戦で破壊されてしまったのだろうと察する。発起人の一番右上に書かれている楊啓秋という人は関連の文献(※本記事の最後を参照)によると、右の写真のカンボジア王国華人理事総会の会長(2001年時点)のようだ。ちなみにカンボジア王国華人理事総会の建物はシャッターが閉められており常時使用されているわけではないようだ。

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下の写真は福建会館。左上、右上、左下、右下の順に①~④とする。①福建会館の門。②福建会館。これも会館といっても廟そのものだ。なかに入ると、管理人らしき老人が「お参りするか(你来拜拜?)」と普通話の中国語で声をかけてきた。「これは関帝」、「これは関帝の息子」、「これは媽祖」、「これは関帝の馬」等お参りすべき像についてひとつひとつ丁寧に説明をしてくれた。③福建会館も"民生中学"という学校が併設されている。写真のように学校名の書かれた門はあるのだが、門は閉まっており、学校から下校していた生徒たちは①の福建会館の門を通っていた。"民生"という名前から、台湾人の支援を受けて再建された等、台湾とも何らかの関係があると思われる。④学校の送り迎えバス。

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民生中学 学生の行動規範。クメール語と中国語の併記。

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台湾の廟でよくみるタイプの提灯のぶら下げ方。

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ちなみに、下が以前台湾の鹿港という古い街で撮った廟の写真。この提灯のぶら下げ方が台湾からの支援があったとしてそれに関連するものなのか、むしろもともと中国南部ではこの方法がメジャーな方法でそれが台湾や東南アジア華僑も踏襲されたのかは、わからない。詳しい方がいたら聞いてみたい。

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カンボジアのチャイナタウンについては、下記が詳しい。すべて同じ方の著作!ものすごい量のフィールドワーク!

カンボジアの華人社会 - プノンペンにおける僑生華人および新客華僑集住区域に関する現地調査報告 - 野澤 知弘
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Ajia/pdf/2006_12/02.pdf

カンボジアの華人社会 - 僑生華人と新客華僑の共生関係 - 野澤 知弘
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Ajia/pdf/2004_08/03.pdf

カンボジアの華人社会 - 華語教育の再興と発展 - 野澤 知弘
http://www.jaas.or.jp/pdf/54-1/40-61.pdf

どこかの国のチャイナタウンを訪問する際は、少し調べて行くとより楽しめると思る。シンガポールにある程度住んでいる方であれば、潮州系、福建系等の意味もわかると思うし、シンガポールでチャイナタウンを訪問したり、華人経営の料理店や、華人の友人の家を訪問して感じたことと比較して、どんな共通点/違いがあるか考えてみるのも楽しいと思う。またこの記事を通して、シンガポールやマレーシアに数多く存在する"○○会館"の前を通った時に会館の役割について思い出したり、この○○は中国のどこだろう、などと考える機会となればと思う。


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