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HPLによる高音質立体音響ストリーミング

本日、約3ヶ月ぶりとなる「Live Extreme Encoder」の最新版 (ver.1.10) をリリースしました。本バージョンの目玉は音声の同時入力チャンネル数が最大12chに増えたこと、そして「HPL」というバイノーラル技術のエンコードに対応したことです。これにより、ヘッドホン視聴を前提とした立体音響配信が簡単に行えるようになったほか、ステレオ配信でも音質面でのメリットが期待できます。今回はこの HPL について技術解説します。

サラウンドから立体音響へ

音場をより忠実に再現するサラウンド技術は、スピーカー数を増やすことで進化してきました。最先端技術は常に映画館に取り入れられてきましたが、家庭用としても、1970年代に「Quadraphonic (4チャンネル・ステレオ)」のレコードが発売されて以降、1990年代にはLDやDVDの5.1ch、2000年代にはBlu-rayの7.1chなど、空間再現性と引き換えに必要なスピーカー数が増えていき、その煩雑さからか一般家庭にはあまり普及しませんでした。

ITU 7.1ch スピーカー配置

左右や前後だけでなく上下方向の音場も再現できる「空間オーディオ (立体音響)」も、単にスピーカー数を増やすしかなければ、普及は限定的になっていたはずです。しかし、今回はこれまでとどうも様子が違います。その理由の一つが、ヘッドホン、スマートスピーカーなど、手軽なデバイスによって立体音響の再生が可能となったことです。特にiPodやスマートホンの普及以降、音楽再生の主流はヘッドホンに移っており、今後立体音響技術普及の鍵を握っているのは、ヘッドホン再生と言えるでしょう。

ヘッドホンでの空間オーディオ視聴イメージ

バイノーラル技術

人間はたった2つしか耳がないのに、左右の定位だけでなく、前後や高さまで含めた距離、広がりを認知することができます。これが可能なのは、左右の耳に到達した音が、耳殻や頭部、肩の形状によって回折・反射し、複雑に変化するためです(この変化を数値化したものを「HRTF: Head Related Transfer Function」と呼びます)。逆に言うと、耳元(ヘッドホン)でこの特性を再現できれば、ステレオ信号であっても、前後や高さまで含めた距離、広がりを再現することが可能となります。

これを実現する手法の1つとして、古くよりバイノーラル録音が行われてきました。これは、人間の頭部を模した模型の両耳にマイク・カプセルを仕込んだダミーヘッド・マイクでステレオ録音を行うもので、物理的にHRTFの特性を付加する手法と言えます。

ダミーヘッド・マイク (Neumann KU 100)

HRTFは数式で表すことができるので、実はわざわざダミー・ヘッド・マイクを使わなくても、ステレオあるいはマルチチャンネル・ミックスされた信号を、後から電気的に "バイノーラル化 (バイノーラル・プロセッシング)" することも可能です。これは、ダミーヘッド・マイクによるバイノーラル収録と比較して、以下のような利点もあります。

  • ワンポイントではなく、マルチマイクでの収録が可能なため、表現の幅が広がる

  • 高S/Nでの収録が可能

  • 定位感や音のバランスを後から編集可能

そして、数あるバイノーラル・プロセッシング技術のなかで、多くのプロフェッショナルに評価されているのが、今回ご紹介するHPLとなります。

HPLについて

「HPL (Headphone Listening)」は、株式会社アコースティックフィールドが開発したバイノーラル・プロセッシング技術です。市場にバイノーラル・プロセッサーはたくさんありますが、HPLは音楽再生を考慮した設計がなされているのが特長です。公式サイトには以下のように紹介されています。

従来の演出的なバイノーラルプロセッシングとは異なり、スタジオにおいてスピーカーモニタリングにより整えられたサウンド(=作品)を出来る限りそのままリスナーの耳へ届けることを目的とし、色付けや音色変化を生むような信号処理を行わないことで、高音質なバイノーラルサウンドを実現しています。

https://www.hpl-processing.com/

SF映画や3Dゲームであれば、バイノーラル処理の方向性として効果を最大化する方針は正しいと思いますが、音楽の場合は、バイノーラル効果以前に、まず音質(ここには楽器本来の音、制作者が意図した音色なども含まれます)が最優先であるべきで、Live Extreme開発者として上記コンセプトに強く共感しています。

HPLロゴ

HPLの採用実績

2014年12月、5枚のアルバムがHPL音源としてリリースされて以降、多数の利用実績があります。注目すべきは最初の5枚のアルバム全てがハイレゾ音源だったことで、当初よりHPLの音質の高さ(ハイレゾ・コンテンツとの親和性)が認められていたことが分かります。

それ以降の採用実績については、アコースティックフィールドの公式サイトにまとめられていますが、そこにはNHKやWOWOWのTV放送も含まれています。

HPLは音楽コンサート配信でも頻繁に利用されており、Live Extremeでも、2021年11月に配信された以下のコンテンツが、48kHz/24bitロスレスのHPLで配信されていました。

このコンテンツの見逃し配信は既に終了していますが、Live Extremeの公式サイトに1曲だけサンプル音源が公開されていますので、ぜひヘッドホンで聞いてみてください。ライブ会場にいるかのような生々しさを体感できるはずです。

サラウンド音源のバイノーラル化

一般的に、バイノーラル・プロセッシングは各方向の信号に対して、対応する方向の頭部インパルス応答を畳み込むことで実現しています。仮想スピーカーの数は原理的にはいくつでも増やすことができ、左右方向はもちろんのこと、前後や上下方向にも配置することができます。HPLのプロセスも同様で、他との違いはインパルス応答の設計のみ。このインパルス応答そのものがHPLの秘伝のタレということになります。

バイノーラル・プロセッシングの概略図

ステレオ音源のバイノーラル化

立体音響ではない、通常のステレオ・ミックスでの配信ではHPLを使う意味がないかというと、実はそうではありません。

一般的に、ステレオ・ミックスされた音源をヘッドホンで再生すると、頭内定位(頭の中で音が響くように感じられる現象)が発生します。これはスピーカー再生に例えると、以下のような不自然な配置で聴いていることと等価のためです。

ヘッドホン視聴時の音像

HPLで処理すると、ヘッドホン再生でも頭内定位を緩和し、理想的な位置にあるスピーカーからの再生と同じ自然な定位感を得ることが可能です。作り手がスタジオでモニターしていた音がヘッドフォンでもきちんと鳴ることで、制作者が意図した本来のサウンドを楽しむことができるようになるわけです。

HPL視聴時の音像

HPLのスピーカー再生について

一般に、バイノーラル処理されている音をスピーカーで再生すると、こもったような変な音になってしまいます。これは既にHRTFの特性が掛かっている音源を耳の外で再生することで、HRTFの二度掛けのような状態が発生するためです。

HPLはスピーカー再生しても問題が生じないように設計されており、この違和感が他のバイノーラル技術に比べ圧倒的に少なくなっています。TV放送は不特定多数の人が視聴するため、なるべく安全な方針が好まれますが、前述のWOWOWの放送では主音声でHPLが採用されていました。これこそ、HPLのスピーカー再生に対する評価の証と言えそうです。

このような理由もあり、従来、HPLを使ったライブ配信は、それ一本で行われることが多かったのですが、Live Extremeの場合、副音声配信機能によって、HPLのみで配信しても、通常のステレオ・ミックスを同時配信しても配信管理者の手間は変わらないので、同時配信して視聴者の選択肢を増やすのが理想的だと思っています。

Live ExtremeのHPL対応

ここからは主に配信管理者向けに、Live Extreme v1.10で追加されたHPLエンコーダーの利用方法を説明していきます。

HPL配信時のLive Extreme Encoder (メイン画面)

基本仕様

Live Extremeでは、以下の入力チャンネル・フォーマットに対して、リアルタイムでHPLプロセッシングを行い、配信することができます。

  • 2chステレオ (HPL2)

  • 5.1chサラウンド (HPL5)

  • 7.1chサラウンド (HPL7)

  • 5.1.4chサラウンド (HPL9)

  • 7.1.4chサラウンド (HPL11)

HPLのIRはLive Extreme内部に192kHz/32bit floatの高精度で記録されており、44.1kHz〜192kHzまでの入力信号に対して、HPLエンコードを行うことが可能です。エンコードされた信号は、通常のLive Extreme配信エンジンに渡されますので、ロスレス/ハイレゾ音声での配信が可能となります。

Live Extreme Encoderの設定方法

Live Extreme EncoderからHPL配信を行うには、以下のように設定する必要があります。

1) 外部ミキサーで、ステレオ (2ch) またはサラウンド・ミックス (5.1ch, 7.1ch, 5.1.4ch, 7.1.4ch) された信号を、Live Extreme Encoderのオーディオ・デバイスに入力します。

2)「音声 > オーディオ・デバイス > 入力チャンネル」設定から、(1)で音声が入力されたチャンネルを有効にします。この設定画面ではオーディオ・デバイスの物理チャンネルと、エンコーダーの論理チャンネルを自由にルーティングすることが可能ですが、HPLプロセッサにサラウンド・ミックス信号を入力する場合は、以下の順で連続して並ぶようにルーティングして下さい

  • 5.1ch: L, R, C, LFE, Ls, Rs

  • 7.1ch: L, R, C, LFE, Ls, Rs, Lrs, Rrs

  • 5.1.4ch: L, R, C, LFE, Ls, Rs, TpL, TpR, TpLs, TpRs

  • 7.1.4ch: L, R, C, LFE, Ls, Rs, Lrs, Rrs, TpL, TpR, TpLs, TpRs

音声の入力チャンネルを設定

3)「音声 > HPL (バイノーラル)」設定から、HPLの入力ソースを選択します。

HPLの入力ソースを選択

4) メイン画面の右端にHPLプロセッシングされた信号のレベル・メーターが表示されるので、クリップしないように「音声 > HPL (バイノーラル) > 入力レベル」を設定します。

HPLの入力レベルを設定
レベル・メーター(右端にHPLのレベルが表示される)

5)「音声 > オーディオ・エンコード (1~4のいずれか) > 入力ソース」設定を「HPL (binaural)」に設定します。

配信音声の入力として HPL (binaural) を選択

6) HPLプロセッシング結果をモニタリングする場合は、「音声 > オーディオ・デバイス > 出力チャンネル > HPL L/R」設定で、オーディオ・デバイスのヘッドホン出力チャンネルを選択します。

HPLのモニター出力を設定

想定される配信形式

真っ先に考えられるのが、通常のステレオ配信の副音声としてHPLバイノーラル音声を追加する配信形式です。配信管理者の追加負担は全く無いにも関わらず、リスナーにとっては大きな効果があります。

HPL2エンコード機能を利用した配信

また、サラウンドやイマーシブ・オーディオ配信をする場合、ヘッドホンでの視聴が課題となる場合がありますが、同時にHPL音声も配信することで、ヘッドホンでもスピーカーと同様の立体音響体験を提供することができます。

HPL5エンコード機能を利用した配信

再生方法

Live ExtremeにおけるHPL配信は、配信側で全て処理されていますので、再生は通常のステレオと何も変わりません。48kHzロスレス配信であれば、Live Extremeで対応している全ての環境で再生可能です。ただし、バイノーラル・プロセッシングという特性上、ヘッドホンで再生した時のみ立体音響の効果が得られるので注意が必要です。

また、HPLが副音声で配信されている場合は、ストリーミング・プレイヤーの「♪」ボタン(iOSの場合は、プレイヤーの「言語」切り替えメニュー)から「HPL」を選択してから再生してください。

音声切替画面

まとめ

近年では、インターネット配信の視聴環境として【スマートホン+ヘッドホン】が最も多いと言われています。ヘッドホンでの視聴が前提であれば、バイノーラル音声を配信するだけで、お客様によりリアルな視聴体験を提供することができます。

一般に、バイノーラル音声はAACなど圧縮オーディオでも効果を発揮しますが、圧縮による音質変化の影響がなく、時間分解能の高いロスレス/ハイレゾ音声と、ハイレゾ品質をきちんと担保できるHPLの組み合わせは理想的と言えます。

Live Extremeでは、通常のステレオ配信と同様の機材量で、ロスレス/ハイレゾのステレオ音声とHPLバイノーラル音声を同時配信することが可能ですので、上り回線の速度の制限など特別な事情が限り、この機能を利用しない手はありません。

Image by Freepik


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