この先一生自分を偽って生きていくことの言い訳
俺は多分この先一生自分を偽って生きていくことになると思う。
そのことで多くの人にを傷つけてきたと思うし、それと同じだけ俺も不幸になってきた。俺と同じように人の気持ちがわからない人が少しでもいると思って、言い訳を書く。クソみたいな言い訳が誰かの助けになればいいと思う。
「自分の考えてることを言わない」「大事なことを話し合わないで勝手に決める。」「いっつも『言ったつもり』ばかり」2年弱付き合っていた人にそう言われて別れた。
でも俺からすると、俺はずっとそうだった。
俺は誰にも自分が理解してもらえない事がもう大学生くらいの時にはわかっていたし、でも、それでも人間社会に溶け込むために努力はしてきたつもりだ。
でも本質的にはわかっていないし、今も他人とちゃんと話し合って、おたがいの気持ちを理解するという事がよくわかっていないし。
そんな事がこの先の俺の人生で起こるとも思えない。
俺が俺の考えてることとか、感じていることとか、そういうものが社会で受け入れられると思わない。だから、ずっと俺は「社会に受け入れられる言動を学んで、それを実践してきた。」。ここまで本当によくやって来たと思う。
自分に素直に生きろって言葉があるけど、それは、たまたま自分の中から自然に芽生えてくるものが社会に適合しているものだった運のいい人に当てはまる話であって、そうじゃない狂ったやつはどうしたらいいって言うんだ。
社会に頑張って適合して、そうしたら、「自分を偽っている気がする。」「私に会う時用の自分を作っていない?」って言われる。
そんなの当たり前だろ。俺は誰にも受け入れられず、誰にも優しくされず、一人で生きてきて、20数年かけてやっと社会に適合するような言動を学んだら、素のじぶんを見せろなんて。そんなことして、俺が社会からのけものにされたら誰が責任をとってくれるんだ。
俺は中高大学生の頃に誰にも優しくされず、のけものにされ、一人で生きて来たからなんだと思う。だから俺は自分が自分じゃダメで、そのことがほんとに辛かったけど受け入れて、社会に適合してきた。
世の中、優しい人も優しくない人もいるけど、その違いは与える優しさの総量の差だけであって、優しい人だって俺みたいなやつには優しさを与えてくれることはないし、逆に優しくない人だって友達や家族には優しくするだろう。ある程度の人生経験があれば「優しい」という事がどういうことかわからないから。
俺は誰にも優しさを与えられてこなかったから優しさというものが分からない。
だから俺は自分を偽って、表面的な行動だけを駆使して、社会の中でやっている。それが本当に辛い。エレベーターのボタンを押しておくとか、道でおとし物を見つけたら近くのガードレールの上に置いておくとか、ごはんに言ったら水を注いであげるとか、そういったことは覚えたからできる。ただ覚えただけ。俺の心から生まれる行動ではない。
例えばこれが与えられた教育の量の差(大卒か高卒か、塾に行けたか行けなかったか、都会に生まれたか田舎に生まれたか)だったら、社会もその差を認めてくれる。もちろん高卒だからって不利に扱われることはたくさんあるけど、その根幹がその人にあたえられた教育量(お金)の差だったことはみんなわかってくれる。
でも俺が誰にも優しさを与えてもらえなかったことは誰も認めてくれない。
その上で、人と同じだけ優しく、周りとちゃんと話せて、社会の誰の邪魔もしないことを求められる。
表面的な言動はできる。でも俺の心から生まれてくる言動が「優しい」ものなることはこの先一生ないんだと思う。俺という人間を作る時期に優しさを与えられなかったから。
だから、常に俺は自分の心から出てくる言動とは無関係に、その場にあった言動をしてきたしこれからも一生していく。
社会の邪魔にならないように、頑張って覚えて、頑張って真似するから、どうか、自分を偽ることだけは認めてほしい。素を見せろなんて言わないでほしい。
そんなことをしたら俺はこの社会で生きていけなくなるから。
本当に俺は人と関わるという事がわからない。
同じ人はどこかにいると思う。
それは与えられた優しさの差の量だって事がみんなにわかってもらえたらいいなと思っている。
俺はそうやって言い訳して、苦しい日々から逃げている。
ほんとに地獄の中にいて、誰か助けてくれと毎分思っている。
普通に生活していてもふとした瞬間に「死にたい」って言葉が頭に浮かぶ。一時間に一回は頭をよぎるし、毎日10回以上は口から出る。誰にも聞かれていないといい。
俺と同じ気持ちの人がどこかにいればいいと思う。
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