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一緒にご飯を食べようよ。


 昨夜は、仕事を終えて、愛しのスーパーマーケットに行こうとしていた矢先、

「一杯やっていこうよ」

と同僚に誘われて、昨日鶏ひき肉を半額で手に入れていたからにはそれを今晩使わないとヤバいかも、と思い、断ろうとしたが、半ば強引に居酒屋に引っ張られた。

 同僚のダンナさんが夜会合のため、ひとりで晩酌するのも寂しいので、お付き合い求ムということで、じゃあ、いいよってことになったのだった。

 同僚はひたすら生ビールを飲むのであるが、私はシーバスリーガルをストレートで乾杯した。

「ハイボールとかじゃなくていいの?」

「はい。勝手に薄められるのがいやなので、ストレートで」

 お店の人にもストレートと言った瞬間引かれるのだが、ウイスキーによって合う割り方が異なるので、自分でやったほうがよい。

 ストレート、オン・ザ・ロック、ハーフロック、水割り、ハイボール、ミスト、トワイスアップ、ホットウイスキー、と飲み方はそれぞれであるが、何が一番適しているかの判断は、ウイスキーの特色を知り尽くしたバーテンダーでない限り、難しい。
 なので、レストランや居酒屋の場合は、ストレートを頼む。
 それが間違いないし、一番うまい。

 同僚は私が飲む10倍のスピードでアルコールを体内に流し込むが、私はちびちびとちまちまと飲み、そのギャップが面白い。

 そして、ある程度喉が潤ってくると、話がシビアなものになっていった。

 同僚の姉は数か月前に脳梗塞で倒れ、足にしびれが残っていて、思うようには歩けない。
 なので、まめに姉宅に行き、手伝いをするらしいが、姉の夫、義兄がかいがいしく世話をしているらしく、それを微笑ましく思っているそうだ。
 しかし、その姉は、義兄に面倒を見てもらっていることが気に入らないらしい。
 義兄は転勤が多く、単身赴任生活が長かったため、姉は子育ての大変の時にまったく頼れず、何でも自分で判断して、乗り切っていたということらしい。

『一番大変な時に支えてくれなかったのに、今更やってもらっても嬉しくもなんともない』

と、義兄の前で言い放ってしまうそうだ。

「有り得ないのよ。義兄の手伝いがないと生活できないのよ? だからさ、我が姉ながら義兄に申し訳なくて、私がおにいさんに謝るのよ。そうすると、姉が、なに? 二人はグルなの? とか言うのよ。ホント、信じられない」

 シーバスリーガルの二杯目が終わろうという時、そんな話になり、もう一杯だな、と思い、私は店員を呼ぶボタンを押した。鶏ひき肉は冷凍決定である。

「でも、私、そのお姉さまの気持ち、わかるかも」

「え? そうなの?」

「はい。もしかして、お姉さま夫婦は、ご飯を一緒に食べていなかったんじゃないですかね」

「あ。うん、まあ、そうね。単身赴任生活ばっかりで、お互いそれぞれの生活をしているっていう期間が長かったから、一緒に食事どころか一緒に生活していなかったわね」

「夫婦は、一緒に食事をしていなかったら、仮面夫婦コース間違いないです」

「そうかあ……」

 同僚は、365日毎日ダンナさんと晩酌している。
 その夜も、ダンナさんは会合が終わり、同僚は私と飲んだ後でも、家で再び二人で晩酌するのである。それが日課であるから、欠かせないものなのだ。

「お姉さまも、何事もないうちは、それが普通と割り切って生活できたんでしょうが、できていたことができなくなって、ご主人に頼らなければならなくなったという事態になり、そうすると、過去に閉じ込めてきた思いが溢れてきてしまうんでしょうね」

「そうかあ……。実は離婚しそうな勢いでさ……」

「それも有りかもしれません。恨みはそう簡単には消えませんし、その相手が目の前にいたら、増幅するものですから」

「でも、なんか納得いかなくてさ……」

「ご飯ですよ。やっぱり基本は。楽しく食卓を囲んでいれば、大抵のことは乗り越えられます。そこができていないところは脆いです」

 残念ながら事実である。

「今からでも楽しく食事ができるといいんだけどね」

「はい。せっかく30年以上も夫婦を続けてきたのならば」

 だが、年数と中味は比例しない。
 同僚が夫婦として過ごしてきた時間と、姉夫婦の時間は何十倍の開きがあることであろう。
 老齢を迎えるにあたり、心の安寧の違いは計り知れない。

 単身赴任を強いられる家族には、それが人生の正念場となる。
 家族の絆を切らさずに済むよう双方で必死に行き来をし、努力をしなければならない。
 その試練にあると思い、乗り切らなければならない。
 亭主元気で留守がいい、という気楽さは、寂しい老後しか待っていないのだ。

 一緒にご飯を食べようよ――。

 それをつくづく思った夜だった。


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