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範疇

ラジオを聴いていると、自意識の鎧を自然と脱ぐことができます。
それゆえに、何も考えずにたくさん実況ツイートをしてしまいます。
ふと我に帰った時に、「これ、知識自慢してるみたいに思われないかな?」とか「昔から聴いてるマウントしてる風に思われないかな?」と思ってツイ消ししたりします。
ただ、基本は自意識の鎧は脱げています。

自分・他人のような感覚がなくなって物事に完全に集中することを哲学の用語で没頭フローゾーンなどと言ったりします。
自分・他人の感覚が無くなることで「周りからどう見られているのか」という感覚も消えるのです。

そしてこの”没頭”に入るためには、趣味が一番適しているとされています。(※仕事でも入ることはできます)


メールを送って採用されることに囚われすぎるあまりラジオを楽しめなくなっている人をたまに見かけます。
なんでこういう人が楽しめなくなるのかと言うと、その行為が「ラジオを聴く」という”趣味”の範疇から逸脱しているからなのではないかなと思います。
あいつの方が採用されているだとか、俺の方が面白いのに読まれないのはおかしい、だとか。
その悔しさは心の中でとどめておけば良いのに、口に出して責任転嫁をし出したら終わりです。

それはもう自分・他人というものが明確になり過ぎている証拠だと思います。
だから趣味から外れ、"没頭"や”フロー”に入れないのだと思います。

解決策を挙げるとしたら、「ラジオへのメール投稿」自体を趣味にするのが良いと思います。
”メールを送ることが楽しい”にしちゃった方が早いです。

いわゆる”ハガキ職人”の方達は、これがナチュラルにできてる人が多いんじゃないかなと思います。

(それでしっかり採用されるところがマジですごいです。尊敬しかありません。)

僕は、ラジオを聴くという趣味のスパイス的にメール投稿を使えればちょうど良いなぁと思います。

義務感になんて駆られずになんとなく気が向いた時に送ったり。
たまには腰を据えてメールを送ってみたり。

初めてメールを読まれた時の「!!!??!?!?!!ふぁっっ?!??!??!?!!?!?!?!?」には敵わないですが、僕は読まれた時の「!!?うぇえ!?!??!」をいつまでも新鮮に感じたいです。

授業中に寝てて指名された時くらいびっくりするあの感覚、最高ですよね。
だって、電波の向こうから名前呼ばれてるんですよ?
至福オブ至福です。

それが初めて読まれたとかだったりしたら、おちおち眠てらんないですよ。




少し前、「友達の定義」や「自分が他人に話しかけることができる条件」を考える機会がありました。
どちらも「趣味が合う」というのは大きな鍵になるんだなとそこで改めて思いました。

自己紹介などで「ラジオ聴いてます」と言った人がいた時、自分は話しかけられるのかな〜とか考えていたのですが、「趣味が合うのに話を広げられなかった」ことがあるのを思い出しました。

別に「どんな番組聴いてるの?」って普通に聞けば良いんでしょうけど、相手との熱量の差が気になってしまいます。
「そんなに来られても」とか「その程度かよ」って思われるのが怖くなってしまいます。

ラジオだけに限らず、好きなアーティストの話とかもあまりできません。
「そんなメジャーな曲しか知らないのかよ」とか「好きなことアピールでマイナーな曲ばっかり挙げて必死で草」って思われるのが怖いくなってしまいます。

じゃあ、こういう話しかけ方をした人としっかりと友達になれるのかと言うと、そうでもない気がします。
性格が合わないことだって全然あり得ます。

ラジオだってそうで、ラジオを聴いてる人なら全員と友達になれるかと言うと全く違います。
もっと奥深くの”人間性”の部分で分かり合えない人、というのは絶対にこの世に存在しています。
番組を聴きながらタグを検索して眺めていると、見ていて妙にイライラする実況ツイートをする人とかもいます。
その人のプロフィールに飛んでみると、「見かけたツイートがたまたま気に食わなかっただけ」なことの方が少なく、軒並み生理的に受け付けないです。

分かり合えない人とは何があろうと永遠に分かり合えないんです。
それがたとえラジオリスナーであったとしても。

僕の見た限りではタイムラインにそんな人いなかったのでとても安心しています。




ちなみに、僕は大事なことはちゃんと2回言うタイプです。

#240  範疇

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