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雑記⑯「真っ黒い余白を塗りつぶす旅」

(1)

人間は「失敗が許されるか許されないか」で2種類に分けられると思う。怒られる人は怒られるし、怒られない人はなんか怒られない。多分僕は課題を忘れても先生には怒られないけど、道で困っている人を助けても褒められない。そしてこれが逆の人もいる。宿題忘れと人助けはあくまで善行・悪行の一例でしかないが、僕が道で困っている人を助けても褒められないのは宿題を毎回出しているからである。(逆も然り。)誰しもミスくらいする、というのはわかってはいる。だけど怒られたくない。でもミスはする。だから、「たまにはそういう日もあるよね」で許してもらえるように日頃は生きないといけない。真面目でいなくちゃいけない。まともでいなくちゃいけない。誰に言われたわけでもないけど、そうしないと生きていけない。「ミスをしない」というだけでしか保てない自己肯定感も、この世には存在している。
ただそこで問題なのは、そもそもがそんなまともな人間ではないということである。できないことだらけで、容量が悪くて、臨機応変さもない。人として随所のクオリティが低く、そして欠けまくっている人間性。
失敗を許されるために失敗をしないようにし続ける。そうでないとそこにいられない。例えば、アルバイトとか。

(2)

僕はまともな人間なんかではない。あれもこれも取り繕いまくってようやく平均くらいにいる。コミュ力なんてあるわけない。最近は意識して色々やってみてはいるものの、なに等しいい。度胸がないし、声も大きくない。取り繕っているおかげで「真面目」「まとも」と思われることが多く、それゆえにリーダー的な役割をさせられることがある。大学に入ってから身に染みてわかったが、僕はリーダーシップをとれるような人間ではない。僕には体育会系のノリはどうしても無理で合わないし、そもそもの性格的な問題や過剰な自意識のせいで本当に無理。最近バイトリーダーの役割をゆるための練習をさせられているが、本当に向いていない。閉店前の作業でちょっと責任も背負わないといけないし。臨機応変な対応ができない俺には向いていない。

(3)

この前のキャリア系の授業で話をしていた講師が「チャレンジしたことをエントリーシートに書きなさい」と言っていた。チャレンジが何を指すのかも仰っていて、「苦手なことをやってみること」だと言っていた。そこから何を学び人として成長できたのかが大事らしい。苦手な人より得意な人にやらせる方がいい絶対にいい。「こういうことを任される=信用されている」と思えるほどできた中身のある人間では僕はないし、自信もない。

(4)

俺はリーダーシップ取れるような人間じゃ無いです。繕ってる中身はただのポンコツです。真面目でもなんでもないです。カスです。だからごめんなさい。

(5)

どれだけ頑張ってコミュニケーションをとれるようにしても、すればするほど反省点が湧き上がってきて嫌になるんですけど。みじんこほども報われないんですけど。下手に話しかけるようにしたから引っ込めるわけにもいかなくて、一度コミュニケーションを取ったら取り続けなくちゃいけないの大変すぎる。
コミュニケーションを取って、気兼ねなく雑談ができるようになったら、「コミュニケーションめちゃくちゃ嫌」ってその人に言いたい。「今だから言えるけど」って枕詞で全部許してあげるから、「第一印象がどうだったか」とか「コミュニケーションの取り方が見てられるクオリティだったかどうか」を聞いてみたい。

(6)

じゃないとオードリーの『オフゼロオードリー』を経て、実際にオードリーさんのスタンスが積極的にコミュニケーションを取る方にシフトしたのか、実際のところどうなのかがすごく気になります。


#319  雑記⑯「真っ黒い余白を塗りつぶす旅」

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