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無駄だったのか、無駄ではなかったのか、無駄にしたのか。

 センター試験を終えて「さあこっから大学受験始まるぞ」という頃、何やら不穏な空気が漂い始めました。どうやら相当やばそうなウイルスが発生したらしく、とあるクルーズ船で集団的な感染が起こってしまい、その船が日本に停泊するらしい、と。
 そこから瞬く間にそのウイルスは広がっていった。各々、私立大学の入試やら国公立の2次試験やらで登校する日もまばらで、全員で顔を合わせる機会は卒業式しかなかった。
 突然訪れた未曾有の事態に、当時も十分対策をしていたつもりではあったが、今考えると全然緩かった気がする。それでも、卒業式に参列できるのは片親のみという制限があったし、下級生の参加はもちろんなかったし、校歌を演奏してくれたのは吹奏楽部のトランペット奏者一名のみで演奏が終わると体育館から出て行ってしまったし、誰しもが聞きたいお偉いさん方の長話もなかった。もちろん、同級生との最後の飯会のようなものは一つも開催されなかった。毎年恒例のようになっていた卒業翌年の文化祭・体育祭に卒業生が集まるあの流れは、そもそも行事自体が中止だったのでなかった。
 でも、人様の心配なんてしている場合ではなかった。緊急事態宣言が発令され、大学がいつ始まるのかもわからなかった。何度確認しても学校のサイトは更新されないし。
 おおよそゴールデンウィーク前後、ようやくオンラインでの授業が始まった。教授も大変であろうが、それは学生も同じだ。高校でいうところの”ホームルーム”のような授業で、どこの誰かもわからん人たちに自己紹介をして、どこの誰かもわからん人たちの自己紹介を聞いた。カメラがない人もいれば、ハウリングさせている奴もいた。マイクがオンなことに気がつかず親との喧嘩を垂れ流している奴もいた。もう大学近辺で一人暮らしをしている人もいれば、親戚の家に一時的に居候している人もいたし、愛媛や北海道から参加している人もいた。Twitterでリア垢を持っている人にはそんな悩みなかったんだろうが、オンラインであるが故にLINEの交換をすることもなければ、名前も別に覚えていなかった。
 後期が始まった。その頃は少しコロナが落ち着いていたこともあり、初日から対面で「半年遅れの入学ガイダンス」が行われた。今更の「入学おめでとうございます」を浴びる1日だった。
 その日、例の”ホームルーム”的な授業の初めての対面での顔合わせがあった。そこであらためての自己紹介をした。愛媛と北海道の方々は、一人暮らしの準備がままなっていないということで引き続きオンラインでさんかしていた。オンラインの人の自己紹介の時は、各々のパソコンをZoomに繋いで聞いた。同じ空間にいるのにすごく滑稽だったと思う。
 その後また感染が拡大し始め、「70%対面」だった授業が「95%オンライン」に逆戻りした。結局、後期が終わるまで対面がこれ以上に増えることはなかった。
 後期に履修していた講義で、一つ頑なに対面を続けていた授業があった。テレビ的な映像の撮影・編集を実践的に行うというもので、学校に機材があるという理由で対面が認められていた。この授業は例外的に、他の人が春休みに入ってからも学校に行かなくてはならなかった。
 3月の頭頃になっても、その授業のためにほぼ毎日大学へ通っていた。コロナの影響で部屋の換気が徹底されており、部屋のエアコンなぞは有って無いようなものだった。指先や足先、耳はキンキンに冷え、震えながら大学のパソコンをいじっていた。大学を出ると、外はもっと極寒。終バスの時間はとうに過ぎており、最寄り駅まで40分ほど歩く。帰りながら流石に溜まりまくったラジオのタイムフリーを消化したかったが、AirPodsが僕のキンキンの耳を耳として認識してくれなかった。
 音のしないうどんをみみからぶら下げ、キャンパスを歩いていると、昼間には気がつかなかったが「入学おめでとうございます」の貼り紙やら立て看板やらが至る所に設置されていた。たしかその翌週ぐらいに入学者説明会のようなものが開催される予定だったのでそのためのものなのだが、自分に向けられることのなかった「入学おめでとうございます」が既に一つ下の代に向けられていることがすごく悔しかった。
 4月になり、前期の授業は完全オンライン。夏休み中にワクチンを2回摂取した後、10月から7割方対面授業になっている。

 先輩の話だと、「大学1,2年は時間割パンパンだけど3年からは楽だから遊べる」みたいなことを聞く。それを鵜呑みにしすぎていた。正味、大学3年からインターンをはじめとした就活は始まるわけで、完全に遊べるわけでは無い気がしている。本人の心持ち次第ではあるが、そもそも大学4年は就活と卒論でパン詰まりなわけで、ちゃらんぽらんしてられる余裕があるのはむしろ1,2年なんじゃ無いかなと今は思っています。そう考えると、大学1,2年をコロナでがっつり奪われているのがすごく腹が立ちます。

 大学1年の時、「コロナが怖い」という理由でバイトをしていませんでした。でもそれに逃げていた部分があったと思います。10月ごろに一回だけバイトの面接に落とされ、「面接に一度行った」という実績を残して完全に諦めていました。
 高3の時に「テレビの世界いいな〜」なんてぼんやり思い浮かべ、それにつながりそうなことを学べる学科を選び、もう2年過ごしてしまいました。もっとゴリゴリに映像作品を作ったりしたかったのですが、如何せん自分で所持しているパソコンのスペックが低く、一番使いたいAfterEffectなんかはとてもじゃないけど動かせません。僕はずっとパソコンがないことを理由に映像に関して何もしない自分を正当化してしまっていました。で、流石にパソコンが買いたいということで今年の6月からバイトを始めました。コロナが少しばかり落ち着き、ラジオやお笑いのイベントが復活し始め、そちらにお金を使ってしまうことが多く、7ヶ月でようやく23万円くらい貯まりました。パソコンに関する知識がなさすぎるのでどのくらい貯めるべきなのか分かっていないのですが、ざっと調べてみた感じではまだまだ十分なものは買えない気がしています。今のバイト先は仲良さそうな関係を築いていそうな人が何人か見受けられるものの仲の悪い雰囲気も無いくお互いがほぼ干渉していない印象です。だったら、今のバイト先に大学1年の10月の時に面接に来ていればよかったなと後悔しています。お金を浪費する対象がない期間にしっかりお金を貯めることができていたら、今頃ちゃんとしたパソコンが変えてるかもしれないじゃないですか。

そう考えた時、大学1年で何もせず毎日ラジオをリアタイしていた自分はあの一年を無駄にした気がしてなりませんでした。


コロナなんか関係なく、大学1年はもともと無駄な一年だったのか、
コロナの陰で自分が無駄にした一年だったのか、
これからの自分次第で無駄な一年じゃなくせるのか。

半年後くらいに、答えが出せたら、いいなぁと、思ってます。



誤字脱字は後で直します。ごめんなさい。



#213  無駄だったのか、無駄ではなかったのか、無駄にしたのか。


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