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人との仲良くなり方を忘れた話

幼稚園入学前の俺、幼稚園生の頃の俺、小学生の頃の俺、中学生の頃の俺、高校生の時の俺に聞きたい。

どうやって友達作ってたん?

って。
僕の学年は大学生活の一歩目がコロナの広がり始めだったのでスタートはオンライン授業でした。顔もわからない人と音声のみでのグループワークは色々ときついものがありました。授業周辺のシステムに慣れていなかったというのもありますが、「誰もマイクのミュートを解除しなくて誰も会話を始めようとしない」みたいな状況だらけでした。無音のブレイクアウトルームが続き、そのまま終わっていくなんてのは日常茶飯事でした。オンラインでは相手と仲良くなるわけもなく、別の授業でまた同じ班になっても気がつかないほどに相手の印象というものは皆無でした。

大学2年になり、久しぶりに親戚や祖父母に挨拶に行けるようになりました。親戚も祖父母も決まって「大学入学おめでとう」「大学生活どう?」「友達できた?」というような言葉を投げかけてきた。一年遅れで自分に向けられる言葉の数々がむず痒かった。結局大学2年もオンラインばかりだったので別に楽しいもクソもなかった。「楽しいとかは別にない」「友達もできてない」と返すと、「オンラインだからやっぱりそうだよね」とみんな憐れんでくれる。そういう時に言われる「せっかくのキャンパスライフがねぇ」という言葉が異様に痛かった。大学3年になり「キャリアデザイン」的なことを学ぶ授業が始まった。そこで改めて感じたが、大人は若者に「夢と希望と未来がある」と押し付けがちだと思う。言ってることに違いはないのかもしれないが、こっちの目にはそんな明るい未来は見えていない。

「コロナ禍の大学生がかわいそうだ!」「学校行事ができない高校生がかわいそうだ!」「友達とおしゃべりしながら給食を食べられない小学生がかわいそうだ!」「修学旅行に行けないなんてかわいそうだ!」という声がSNSで上がっているのを見かける。言ってることは一つも間違っていないと思う。将来彼らがコロナが収まった世の中で気兼ねない状態で開くであろう同窓会の会話が全部コロナに終着してしまうのかと思うと胸が痛くなる。
ただ、SNSを使える大学生の声はやはり大きくてコロナ禍で失われたキャンパスライフを憐れんでくれる世間の声が多い。でも僕が一番気の毒なのはやはり小中高だと思う。3軍以下の生活をしてきた僕でも、修学旅行や文化祭は自分なりの楽しみ方をした。思い出話をしようと思ったら色々浮かんでくる。修学旅行で行くはずだった土地の写真をスライドにまとめたものを見せられたくらいで埋められるわけはない。馬鹿にするのも大概にしてあげてほしい。

話を戻す。「今年の大学一年は友達ができなくてかわいそう」みたいな意見がバズっているのを見た時、一番の論点はそこじゃない気がした。これは僕の体感だが、友達ができる人はオンラインだろうがSNSで繋がって作っていた。大学一年の後期の始め、一瞬だけ対面が復活した時期があった。結局は1ヶ月くらいでオンラインに戻ってしまったのが、その時対面で行われた半年遅れの入学ガイダンスのような催しで、既に仲良いグループができているのがわかった。「もしかして〇〇さんですか?」というようなアイドルのライブ前かオフ会でしか見ないような会話を実際に聞いた。一番問題なのは「友達ができにくいこと」なんかじゃなくて「友達ができている人もいる」ことだと思う。対面が始まる頃には既に仲良しグループが出来上がっていって、「大学生活よーいスタート!」という状態ではなかった。既に出来上がっている仲良しグループに入るのはなかなかきついものがある。

先日、バイト先のパートさんに「中学生の息子が部活入らないって言ってるんだけど入った方がいいと思う?」と聞かれた。求められている回答は一つ、「入った方が良いです」のみ。ただ、本当に僕はそう思っていたので「入った方が良いと思います。友達できるんで」と答えた。クラス替えした時にとりあえず話せる人がいた方が僕は安心するので、そう言った意味で「部活には入った方が良い」と答えました。

「じゃあお前は大学でサークルに入ったのか?」と聞かれると入っていません。グループワークでちょっとする雑談で「サークル入ってます?」という話になることが多い。「何サークル入ってます?」じゃないところに全てが出ているような気がしますが、結局「サークル入ってないんですよね」「ですよね〜」「今更って感じがするんでもういいやってなってます」「わかります」という話の流れになります。今更入っても、と思ってしまって入る気は削がれます。去年の春も今年の春も新入生のサークル勧誘をしているのを見かけましたが、どれくらい入ったんでしょうかね。
やっぱり、大学1年の時に「よーいドン!」でサークルに入れる機会があれば変わったのかもしれないですけど、そうじゃないとなるとやはりキツいです。入ったところで浮くのは不可避です。
明らかに一年生だろうな、という学生を見かけた時、その打ち解け具合に驚くのですがなんであんなに仲良さそうなんでしょうか。

小中高あたりで友達ができやすい要因は席が固定だからだと思います。大学ではほぼそんなことはないです。今履修している講義で一つだけ席指定のものがあるのですが、その隣の人とは少しずつ仲良く慣なれている気がします。まあ、LINEを交換する前に前期が終わる気がしています。

部活とかがなかった幼稚園生の俺と小学生の俺に、特に聞いてみたい。

どうやって友達作ってたん?



ただでさえ苦手だったのに、コロナ禍の2年で完全に友達の作り方を忘れた。今すぐ気軽にLINEをできる大学の友人なんていない。そもそも大学の人でLINEを持っている人なんて片手で容易に数え切れる。

そうかと思えば、人との距離感の詰め方が上手い人もいる。
一人だけ同じ高校から進学している人がいて高校生の時から仲がいいのですが、その人は大学2年で若干始まった対面授業にいた人と付き合って一瞬でで別れていた。「”可愛い子いた”って前言ったじゃん?その子と付き合ったんだけど別れた」と言われた時、”人間”としての格の違いを見せつけられた。「オンラインばかりだったから」とか、「仲良しグループができちゃってるから」とかは僕の言い訳にすぎなかった。
オンラインだろうがSNSで友達を作れる人は作れるし、対面が始まって爆速で付き合って爆速で別れることができる人はできるのだ。
今からサークルに入って友達を作れる人だっているし、仲良しグループに入り込むのが上手い人は上手い。


だから、孤独のまま大学生活を送れる人は送れるはずなんだ。



”普通”で生きていれば、友達ができて、恋人がいて、バイト先の人とも仲良くなれて、酒を飲みに行ったりどっか出かけたりしていたんでしょうか。

「んなわけねぇだろ」「お前は得てして独りだろ」「大学の学食に行くことはこれまでも、これからもない」と思わないと、今の自分を肯定すらしてやれない。

必然だと思うしかない。
逃れられなかった運命だと思うしかない。
じゃないとやってられない。

俺は独りでする散歩が好きなんだ。
俺は家で独り本を読むのが好きなんだ。
俺は家で独りラジオを聴くのが好きなんだ。
俺は家で独り暗闇の中爆音で音楽を聴くのが好きなんだ。
俺は独りで外出して特に言葉を発することもなく帰宅するのが好きなんだ。
俺は独りでライブに行って興奮を抱えたままホクホクで家に帰ってくるのが好きなんだ。

事実として好きではあるんだけど、そういう認識をあえて持たないと正当化できないし嫉妬が抑えきれなくなる。そんな権利俺にはなかったんだと僻む道を選ばざるを得ない。
その道を選ばなくていい俺のことを、今の俺は肯定してやれない。俺はお前のことが嫌いだから。



歪んだ精神安定のさせ方しか持ち合わせていないですけど、独りなので迷惑はかけていないと思うので、許してください。


#273  人との仲良くなり方を忘れた話







これはSNS上でも変わらない事実。

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