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雑記⑥「悩みであり、武器であり、なんであるか。」

1.希望を持たない

他人に対して下手に"希望"を持ったりしてしまうから、後々後悔をすることになる。
"希望”なんてこちらの理想を投影しているに過ぎないのに、それで気を落としたりするのはもうめんどくさい。
他人に期待しない、自分にもっと期待しない。
消極的に生きているぐらいが自分には似合ってる。
期待してしまうのがもう馬鹿馬鹿らしい。

そう言い聞かすしかない。
そう言い聞かさないと、生きてられない。

2.数多の上位互換

一年弱前、人生で初めてアルバイトというものを始めた。
”趣味に回すお金が欲しかった”という動機しかなかったけど、始めた頃は先輩から仕事を教わる中で「社会の役に立っている感」をそれとなく感じていた。
「必要とされてる感」と言い直すとちょっと危険な香りがしてしまいますが、こんな感じでした。

"自分の価値"を自己評価するのはなかなか難しくて、その理由は「自分にはそこまでの実績も自信もない」というのに尽きます。
だからこそ、他者評価に頼るしかなくなってしまうのですが、相手の建前・お世辞が怖くて素直に信用できません。

先ほどあげた「必要とされている感」を一番感じれていたのは、「この日バイト入れませんか?」と聞かれた時でした。
僕は基本暇なのでそれを断る正当な理由がなく、「なんとなくその日は家で一人でいたい。本読みたい。」みたいな理由だけでは断れませんでした。
給料がちゃんと支払われるので、まあ、バイトに行きます。

でも今考えると、それって別に僕が時点の第一希望なわけじゃないじゃないですか。
僕はアルバイトの中で一番後輩ですし、僕より作業が早い人がほとんどです。
その時たまたま僕がシフト入っていたから聞いただけで、別に僕が断ればもっと作業が早くてコミュニケーションも円滑に撮れる先輩がツモれるはずなんですよ。
勝手に「必要とされてる感」みたいなことを感じたところで、僕である必要も僕でないといけない理由もそこにはないわけで。

僕の上位互換なんてこの世にわんさかいる。
だから、自分である必要がない。

3.自分の価値をどこから感じるか

オードリーの若林さんが自意識だったり周りの目だったりを気にしなくなったきっかけとして、オールナイトニッポンの武道館イベントと言っていました。
「自分の失敗だったりを受け入れてくれて、その成長も見てくれる」という圧倒的な味方を目の当たりにしたことで"自己肯定感"に似た何かを感じれたんだと思います。

DJ松永さんが「RED Chair 」というチャンネルに出演された時におっしゃっていたのですが、DJ松永さんはエゴサを鬼ほどするらしいです。

逆にハートが弱いからエゴサーチをする。
自信がないからエゴサーチをする。
人に褒められることによってじゃないと自分を保てない。
エゴサーチで「良かった」って言われているのを見ないと立ってられない。
批判的な意見を見るとそれはそれで大変だけど、そのリスクを背負わないと「良かった」という意見を得られない。

若林さんの「武道館」、DJ松永さんの「エゴサーチ」。
それに匹敵するものが自分にも欲しい。

でも正直、僕と若林さん・DJ松永さんでは生きている世界の規模が違い過ぎます。
”努力を努力と思わないほどの努力”の賜物であることは重々承知ですが、お二人の「漫才」「DJ」のような人を黙らすことができる才能は僕にはありません。
武道館を埋めるほどの人数の味方、SNSに賞賛の言葉を書き込んでくれるファン。
僕みたいな一般人には全くもって縁のない話です。

こういった解決策は、僕には正直ピンとこないし参考にはなりません。
僕にとっての「武道館」「エゴサーチ」。

自分の味方を探す方法が欲しい。。。。。。


少し話はそれますが、ハガキ職人の方は「エゴサーチ」の手段が使えると思うんですよね。
メール読まれた時に色々な人に名前をツイートされたり絵文字をツイートされたり、みたいな。
「ハガキ職人になれば自信がつくんだろうな〜」なんてぼんやり考えていたのですが、そううまくもいかないみたいで。
そういうハガキ職人の人も僕と全く同じことで悩んでいたりするのを見かけます。
「僕なんかよりも確実に人としてまともで才能があるのに同じことで悩んでいる」というのは正直地獄でしかありません。
「あなたみたいになれば僕もこんなネガティブから抜け出せる」と思って生きているのに、「そんな甘くない」と突きつけられている気分になります。笑。

4.彼女がいれば

とても浅はかですが、「彼女がいればそんな自分も肯定してくれるのではないか」という考えです。

でもこれが一番危険な手法であることを、僕はオードリー若林さんのエッセイで学んでいます。
「彼女が必要としてくれている」という一本綱に縋ると、その人と別れてしまった時にそれが一瞬で崩れる。
「自分に価値がなかったんだ」と思ってしまい、その価値を取り戻すためにヨリを戻そうとしてしまうらしい。

自分の価値を自己評価できないから、他者評価に縋ってしまう。
でもそれだと、褒めてくれる他者がいなくなった途端にダメになる。

だから、他人に期待したらいけない。
そして、自分に”異性から好かれるポイント”があると期待しない。

5.愛想

誰かと一緒にいるとどうしても気を遣ってしまって、正直疲れる。
これは学校のグループワークでも、バイト先でも同様に。

僕自身は沈黙を何ら気まずいとは思っていないのですが、一緒にいる相手の方は気まずいと思っているのか話しかけてくださる。
この"話さないといけない"状態は、率直に言ってストレスではある。
でも、愛想が悪い人とは思われたくないから頑張って話す。
変な返答をしてしまうこともありますが、それでも頑張って喋る。
5秒前の自分の返答の反省をしてしまいながら、無い頭をフル回転させる。

自分から誰かに話しかける勇気はないですが、わざわざ話しかけてくれる人とは「話してみたいな」と思う自分もいます。

6.対談・トーク番組

あちこちオードリー(テレビ東京)や先ほどあげたRED Chair(YouTube)、雑誌の対談など。
こういった腹を割った対談などを見ると純粋に、素直に、「羨ましいな」と思います。

こう言ったらあれですけど、僕は高校の友達のことをすごく信用しています。
僕の思い込みかもしれないですけど、高校の友達には真剣な話や相談を茶化したりしないという”信頼”があります。
「幼馴染」とかとなってくると逆に小っ恥ずかしいし、「小学校からの友達」はこういうのを茶化してくる印象があります。
大学に友達がいないので、高校の友達の精神年齢が一番”大人”に近いというだけなのかもしれませんが、それでも一番信用できます。
学校帰りにラーメンを食べに行った時、バカみたいな下ネタでも盛り上がれるし、真剣な勉強や進路の話もできるし、恋愛の話も曝け出したりしていた。
気さくに会えたりまたは気兼ねなく飲みに誘えて(今はコロナがあるからややこしいけど)、腹を割った話ができて茶化したりバカにしたりしない人が欲しいです。

自分から誘える人は今のところはいなくて、僕みたいな性格だと今後もできる気がしません。



noteでスキを押し合うくらいが、今の僕にはちょうどよくて心地いい気がします。。。。。。。

7.客観視

noteを書いて、”自分のこと俯瞰で見れています”感を出してしまっている自分が嫌いです。

客観視は本来「物事を自分の利害や感情などを除いた観点で考える、客観的に考える」ことなのに、結局は自分が自分を上から見ているだけになってしまっています。
”自分が嫌いな人間の部類”に僕が入らないようにしないと、ということばかり考えてしまっています。

これが"自意識過剰"の根本なのかな?と最近は思っています。
周りの目が気になるとか、その”周りの目”の正体は巡り巡った自分の考えだったりとか。
原因はどっちも同じなんだろうなという気がしています。

僕は自分のことを第三者の目線でなんか全く見れていないです。

8.慮るということ

「RED Chair」というYouTubeチャンネルで公開されている山田孝之さんのインタビュー動画があるのですが、その完全版がYahoo!ニュースに掲載されています。
その動画の[8:17]からの考えが僕はすごく腑に落ちました。

人にすごく迷惑を書けるキャラクターでも、「じゃあこの人はなぜこんな風になったのか」を考え、それが本になければ自分で想像して、「過去のこういう出来事を引きずっていて、今こうなっている」みたいなのを自分に落とし込むと、理解ができる。
それによって、そのキャラクターの行動に関してしっかりと動機を確立させることができる。

僕が上に書いたのは超絶大雑把な要約なので、できれば上に貼ってある動画のリンクから飛んで[8:17]から1分程度なので見てみて欲しいです。

率直に、日本語がわかりやすすぎて僕の頭の中でぐちゃぐちゃにこんがらがった考えを一瞬で解かれた気がして涙が出るかと思いました。

「相手が何でそういう言動をするのか」を僕もよくアルバイト中に考えます。

このお客さんはなんでいつも無愛想で偉そうなんだろうか。
セルフなのに何でいつも「割り箸ください」と言ってくるんだろうか。
セルフなのに何で「袋くれや」と言ってくるのだろうか。

こういうお客さんにイライラするのは簡単です。

愛想良くしてもこの世は一つも変わらない、と悟っているのかもしれない。
割り箸がセルフなことに気がついていなくて、挙句それを誰にも教えてもらっていないのかもしれない。
いつも袋を取るのに指が滑って待たせてしまうから、もう店員さんにやってもらうことにしているのかもしれない。
コロナ対策の観点から、指濡らしのスポンジを触るのに抵抗があるのかもしれない。

だから、全部しょうがないんだ。
この世は、全部しょうがない。

それなのに俺はイラついてしまった。
だから、俺が悪い。


誰しもその言動一つ一つに理由がある。
そう思い込まないと、やってられない。
イライラが止まらない。
いらないことにまで腹を立ててしまう。
だから、無理やり動機を捻出して”仕方ない”の枠に押し込む。

9.趣味から始まる恋愛

「共通の趣味から始める」みたいなコンセプトのマッチングアプリのことを僕は信用していません。
そういったアプリによる出会い自体を否定する気は全くありません。
ただ、「僕は使う気になれない」というだけです。

とりあえず、第一印象の「共通の趣味」から減点されていく一方にしか僕は思えません。
趣味が合うという前提があるからこそ、合わない部分が際立ってしまうというか。

星野源のオールナイトニッポンにオードリーの若林さんが出演された時の会話の内容で印象深いものがあります。
一言で内容をまとめると、「気が合うからこそ、合わない部分が出てくるのが怖い」ということです。
映画の趣味嗜好が似ている人に「じゃあこれも好きなんじゃないか」と他の映画も勧めた時に反応が芳しくないと、「あっ、これは違うんだ…..。」となってしまうと。

”気が合う”ような気がして勝手に浮き足立ってしまっていた自分の中にあるのは、やっぱり「他者への期待」だと思うんですよ。

だから、期待は、しない方がいいんですよ。やっぱり。

10.思ったことを言うこと

僕はバイト先の人とほとんど世間話をしたことがありません。
バイトの先輩方の年齢、学年、大学・高校みたいなのはほとんど把握していません。
先輩方に話しかけていただいた時、僕も頑張って会話を続けようとするんですが、全くうまくいきません。
言いたいことこ候補が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返して、その生で謎の間を作ってしまい、会話が自然消滅してしまいます。

数ヶ月前、バイト先の閉店間際に僕がお酒を買いました。
それをみたバイトの先輩が「誕生日いつですか?」と聞いてくださいました。
それに対して「1月14日です。」と返事をして会話が途切れ、無理やり「お疲れ様でした」で無理やりぶった斬りました。
この時僕の頭に浮かんでいた質問は「誕生日いつですか」のおうむ返しのみでした。

普段喋っていて猛烈に感じる時があるのですが、言葉を発するまでのブレーキが多過ぎます。
この場合だと、女性に誕生日を聞くのはモラル的によろしいのか?とか、女性に誕生日聞いたらキモいって思われないかな?とか、そもそも俺なんかと会話したいのかな?とか、早く会話終われって思ってないかな?とか。
関門に引っかかりまくりで、何も言えなくなってしまうことがよくあります。

3週間前くらいに、バイト先の女性の先輩と二人っきりにならざるを得ない状況がありました。
商品を運ぶトラックが閉店時間を過ぎても届かず、その搬入の手伝いのために待機しなくてはいけませんでした。
15分くらい暇な時間があり、二人でいなくてはいけませんでした。
向こうが気を遣って話しかけてくださったのですが、する会話は当たり障りのない話だったのですが、僕からするとなかなかのカルチャーショックでした。

「今何歳ですか?」とか、「ってことは大学生ですか?」とか、別に初球も初球の世間話なんですけど、そんな普通に話題にしていいもんなんだ….と純粋に思いました。
その後「最近めっちゃバイト入ってますよね。めちゃくちゃ会いますよね。」みたいな会話。
そこから、「一時期全然シフト被らない時期ありましたよね」とか、「シフトいつ入ってる」とか、「一人暮らしかどうか」とか。
僕みたいな人からすると、「今日は誰とシフトが同じか」は家を出る前に一応見ておきたくなってしまいます。
誰が苦手とか、誰が得意とか、誰がいい、みたいなのは全くないのですが、知っていたくなってしまいます。
だから正直僕も「この先輩と最近めちゃくちゃシフト被るな」「最近会わないな」みたいなのはめちゃくちゃ思っています。
思ってはいるけど、自分が言うのは気色が悪い気がしてしまうので言えないし言わないです。

だからこそ、「何歳?」「学年は?」みたいな普通で当たり障りのない会話って当たり前のようにしてもいいんだ……とか、「最近よく合いますね」みたいなただ思ってることも言っていいんだ….みたいな衝撃を喰らいました。


僕、言いたいこと、伝えられてますかね?
なんか、うまく言語化できてる気がしないですが….。

11.ラジオ

ラジオはストレスを忘れさせてくれるけど、ストレスを発散させてはくれない。

12.減点方式

たびたび「RED Chair」の話で申し訳ないです。

清塚信也さんとDJ松永さんの対談の動画なのですが、この動画でDJ松永さんが言っていた「減点方式」にすごく納得しました。

朝起きた状態を100点として、失敗するたびにどんどん減点。
うまくいけばその暫定の点数を維持するだけ。加点はない。
言い方を変えれば、家で1日だらだらしていれば100点に近い点数の1日を過ごすことができます。
でも世界はそんなに甘くないわけで、どうしても外に出ないといけません。
学校へ行かないといけなかったり、アルバイトに行かないといけなかったり、会社に行かないといけなかったり。
どうしても人と関わらないといけなくて、そこからは逃れられない。

生きているのはそんな世界だという事実と、許されない失敗とそれに伴う減点、それによって一生掴めないであろう自己肯定感、なぜか一丁前に持ち合わせているプライド。

13.他人を信用できない

ファーストサマーウイカさんの「オールナイトニッポン0」にちょっとしたお悩み相談のコーナーがあります。
先日ありがたいことに僕の相談を読んでいただきました。

バイト先の人が僕のことを軽く褒めてくれたりするのですがこれが本当に思ってることなのか建前・お世辞・嫌味なのかを考えてしまってすぐにリアクションできない時があります。お世辞なのに喜んだ結果その人の目に滑稽に映って、裏で「あいつ嘘なのに喜んでたわ」みたいに思われるのが怖いです。もう、どうやって人を信用したらいいのかわからなくなってきたのですが、何かいい方法はありませんか?

ウイカさんはその時、回答として
・賛辞の言葉は全部受け入れて、慢心だけしないことだけ心がければいい
・裏で笑われるのに関しては、「笑わせてる」と思えばいい
とおっしゃってくださいました。

褒められたことで慢心しないようにする、調子に乗らないようにする。
それに関しては全くその通りだなと思うし、ハナから相手の言葉を疑ってかかるのも良くないし失礼だなと思いました。
ただ、「笑わせてる」という思い込みはなかなか難しいですね。
これができていたら、多分こんなに悩んでないです。
その思い込みと、根拠のない自信。
それを身につけるのがやっぱり一番大事なんですかね。

14.根拠のない自信

とは言いつつ、僕は「根拠のない自信」を身につけられる気がしません。

「根拠のない自信」にずっと憧れがあって、ずっと欲しかった。
僕が読んだ本には、「根拠のない自信」について「”おそらく自分は他人から肯定的にみられているであろう”というイメージ」と書かれていました。
それに加えて、世界の見え方は良くも悪くも思い込みで、「肝心なのは、"どう思い込むか”である」と。
”根拠のない自信”は、自信とは程遠かった。

生きている世界の小さい僕みたいな人には、「根拠のない自信」に縋るしかない。

オードリーの若林さんやDJ松永さんの「自信」は、圧倒的な味方を目の当たりにしたことやSNSのエゴサーチなど、圧倒的な”根拠”があります。

どうしても思い込みに頼るのは怖くて、何かしらの根拠を見出したい。
たとえばそれが「お褒めの言葉」だったりするのかもしれないけど、それを信用するのが怖い。
ウイカさんの回答をどうにか自分に落とし込みたいけど、それもなかなか難しい。


根拠のない自信、諦めた方がいいですかね。
根拠も信用できないのに夢見すぎてましたかね。

消極的に生きます。

15.異性

街でナンパする人のマインドが僕には理解できません。
「自分ならいける」って何で思えるんですかね。
その自信はどこにあるんですか。

飲み会の後にワンナイトでホテルに誘う、みたいなのも本当にわからないです。
「良い雰囲気」ってなんですかね。
「自己評価高すぎるだろ」「自分のどこに値打ちあると思ってんだ」、と思ってしまいます。

告白だってそうです。
「自分の告白なら受け入れてもらえるかも」という自信はどこにあるんですか。

自分のことを好いてくれる人・好意的に思ってくれる人がいると思ったことがないです。
普通の人は、どこが自分の”好かれるポイント”だと思って生きてるんですか。
聞かれてパッと浮かぶもんなんですか。
それを知覚するタイミングはいつだったんですか。
僕が見逃してたのなら教えてください。


他人に期待するのが間違っている。

そもそも自分にもっと期待していないから、他人に期待する理由がない。

16.運転免許と習い事

先日のオードリーのオールナイトニッポンにて、子どもの習い事の話がありました。
習い事をたくさん経験させる方がいいのかとか、その場合の送り迎えの問題とか、当人の子供はどう思うのかとか、論点はいろいろあると思います。
その中で僕が一番気になるのは「子供の意見をどう得るか」です。

僕は親に「習い事したい」と言うのがすごく怖かったです。
具体的にどんな習い事をしたかったのかと聞かれるとあまり浮かびませんが、今思い返してみると中学に入学した時に率先して文化部を選んだ理由は「運動が得意ではない」のと「ユニフォームやラケットなどを買って欲しいと言えなかった」というのがあります。
僕が唯一していた習い事が書道でした。
小学生の時に友達に誘われ、親に頼んだら了承してくれました。
中学に上がった段階で「部活がある」という言い訳をつけてやめてしまいました。
確か月謝が3000円だった気がするのですが、それでも「3000円も払わせてしまって申し訳ないな」という気持ちがありました。

そんな僕と比べて妹は水泳、ピアノ、バドミントン、書道をしていました。
全部が同時ではないですが、時期としては重なっているものばかりです。
妹も僕と同じで”陽ではない側”のはずなんですけど、こういうのは上手なんですよね。
中・高の時、僕は親にしっかりと服を買ってもらった記憶はほとんどありません。
でも、妹は親に鞄やら服やらを色々買ってもらっていました。
そこには「親に頼めたかどうか」という圧倒的な差しかないと思うのですが、その差はどこで生まれたんですかね。

月謝がいくらとかを全く気にせず「習い事したい!」と言えた妹がどれだけ羨ましいか。
子供が親のお金のことを気にするものでもないと思うのですが、僕は気にしてしまっていました。

小学生の頃の僕には、「月謝5000円」みたいなものがすごく重たいものに思えていました。
今思えば「アルバイト1日分」とか、「初回限定版のフルアルバムが買えるくらい」とか、「音楽ライブのチケットより少し安いくらい」とか。
今思うと「大金」と言うほどではないけど、小学生の「5000円」は大学生の「3万円」くらいの重さに思っていました。

だから、僕は、「月謝5000円」をいかに重く思わせないかが大事だなと思っています。
「習い事のためなら全然良いよ」という親側の意思の表示も大事だと思います。
習い事をやりたい時に「やりたい」と言える家庭の雰囲気をどう出すのか。


お金だけの問題じゃなくて、送り迎えの問題もあるのはわかっています。
僕の家の場合、母親は専業主婦でペーパードライバーだったので、妹は同じ習い事をしている友達の車に乗せてもらっていました。
土日などは父親が送り迎えをしていました。

母親がよく「軽自動車だったら運転できそう」と言い軽自動車をねだっています。
ですが父親は「税金とか諸々を考えたらその分タクシー乗ったほうがいい」と言います。
何ですかね、父親が言ってることの理屈はわかるんですけどそういうことじゃないと思うんですよね。

それを考えた時、僕が父親に「運転免許を取らせない」と言っているのがひっかかりました。
「もう取らなくていいや」と今は思っているのですが、後々僕が免許を持っていないことで揉めそうな気がしてきました。

まあ、彼女もいたことないので本当に心の底から無駄な心配なんですけどね。

17.プライド

自意識過剰”はよく「プライドが高い」と言われます。

自分の間違いを認められない、と言われると確かにそうだなと思います。

文化祭でいまいちはしゃげなくて、はしゃいでる人を「子供だな」と下に見る。
「子供だな」と思っている自分が後ろにいる気がして、文化祭ではしゃげなくなる。
「子供だな」と周りの人に思われるのが怖いんじゃなくて、過去の自分がそう言ってくる。

別に「俺が間違ってた」と認めてはしゃげばいいんですけど、それができない。
それがまさしく「プライドの高さ」なんだろうなと思います。

今の自分を肯定すると、過去の自分を否定してしまう気がする。
過去の自分を裏切れないし、否定するのが怖い。

一丁前に備わってしまっているプライド。
できることなら捨てたい。



P高J低の権化。

18.お守り

ひねくれてしまったり、自意識過剰だったり、屁理屈を並べてしまったり、すぐ価値下げをしたり。
そういうことをしてしまう自分をそういうものとして受け入れて好きになれたら、僕も”お守り”にできるでしょうか。




ここ数ヶ月くらいはアルバイト中のミスが減ってきて、暇な時間に考え込んだりすることが減ってきていました。
それに伴ってnoteに書くことがなくなってきていました。

雑記⑤以降はあえてネガティブな記事を書かないようにしていたのですが、今日はわんさか書けました。



#258  雑記⑥「悩みであり、武器であり、なんであるか。」




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