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世間と比べると比較的地味でどこか真面目な奴らの永遠の課題、「期待違反理論」。
普段素行の悪い人が”良いこと”をすると、それだけで褒められる。
普段から"良いこと"をしている人は、別に褒められない。
「こっちも褒めろや!」ということが言いたいのではなく、純粋に「そんな褒められるようなことしてるか?」と思ってしまう。
ただ、こういった褒め言葉の矢印が向いているのは、素行が悪い人の”良い行い”ではなく、”素行が悪いのに”というデバフの部分なのでは?と思うのです。
「普段素行悪いくせに、良いことやったって無駄だぞ」という意見をこちら側が振りかざすと、「普段の素行が良いだけで、多少の悪いことをしても怒られないのはずるい」という反論をされることが予想される。
「今日は宿題をやってないけど、いつも真面目に提出しているから”家に忘れました”だけで突破できる」あのチートみたいな現象に、僕は何度も恩恵を受けてきた。
だから、変に青筋を立てず、粛々と、まともに、真面目に生きていれば良いんです。
それがたとえ報われなくても。

オールナイトニッポン55周年記念公演「あの夜を覚えている」内のセリフで、すごく印象に残っているセリフがあります。
髙橋ひかるさん演じる「植村杏奈」の回想シーンで登場するラジオから流れてきたセリフの、「ちゃんと働いたり納税したりしてるのは、ラジオを取り上げられたくないから(※ニュアンス)」というものです。
このセリフ自体はラジオパーソナリティの立場から発されたものなので僕たちリスナー側とは違う側面や意味のものではあるのですが、この言葉にグッときました。

いろいろな巡り合わせで、今回の人生で「ラジオ」という素晴らしいものに僕は出会いました。
派手なことを言えば逮捕なんてされたらラジオが聴けなくなるし、学業をおろそかにしていているうちにそんなことしている場合じゃなくなってしまったりするかもしれない。
健全に生きて人としての最低限はきちんとこなした上で、不健康まっしぐらで聴いていたい。
ラジオを聴いていることにいかなる文句も言われたくないので、日常生活はなるべくまともに生きていたいです。
僕はただのリスナーですけど、僕もラジオを取り上げられたくないです。

今後、就活で忙しくなったりするだろうし、就職してからはもっと時間が減るだろうし。
それでも聴くのをやめたくはないし、一生ラジオというものは聴き続けていきたいです。
せっかく自信を持って「これは趣味だ」と言えるものを手に入れたのに、そうやすやすやめられないです。

本当嫌んなる毎日だ
やりたくないことやったって
嫌々早起きしたって
その分素敵な何かが
訪れるとかそんなわけでもないのにさ
今日もまた頑張っちゃうよな
がむしゃら以外知らないから
不器用で意地っ張りで
馬鹿真面目な僕らに幸あれ
本当素晴らしい毎日だ
やりたくないことやったって
嫌々早起きしたって
ほんの少しの幸せに
触れるだけで全部全部ありに思えるんだ
明日もまた頑張ってみようか
がむしゃらに生きていくんだ
不器用で意地っ張りで
馬鹿真面目な僕らに幸あれ

もう一つ、回想のラジオのセリフで印象に残っているものがあります。
それは、「ラジオが世界だと思わないで」というものです。
思ってるよりも狭くて偏っている部分もあるし、そこに惹かれているというのもあるのですが、心酔のしすぎは気をつけないとなと思います。


#263  夜

#エッセイ  #ラジオ

ラジオ


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