#76「結果が全てじゃない」の拡大解釈

昨日までの僕

 僕は「結果が全てじゃない」と言ってくる先生が心の底から嫌いだ。
体育祭だったり、文化祭だったり、はたまた合唱コンクールだったり、勝敗がつく行事の時はいつも思っていた。
「いや…ねぇ。う〜ん。気持ちはね…分かるよ。でもみんなよく頑張ったよ!なんだろう、結果が全てじゃないというかさ。みんなが一生懸命頑張ってたのは先生が一番分かってるしさ。結果には結び付かなかったけどほんとみんな頑張ったよ!頑張ってきた過程が大事なんだよ!」
(ここで女子生徒が泣き始める)
 僕は神妙な顔をして太ももに手を置いて、話をしてる先生の目を見つめて「しょーもな。」と思っていた。
先生の言わんとしてることは分からんでもないが、実際結果として出てしまっているわけで。
他のチームと比較して、明らかに練習が足りないことがはっきりと数字として出てしまっている。
いくら頑張ってても優勝できる練習量じゃなかったことは明白なんだから。

M-1

 M-1があったのなんてつい昨日の話だ。
1週間前くらいにすら感じてしまう。
僕は事情があって敗者復活戦を生で観ることができなかった。
ただ、ちょくちょくTwitterのタイムラインを少し眺めただけでも敗者復活戦で行われる「国民投票」で物議を醸していることくらいは容易くわかった。(ここ数年そうか。)
よく言われているのは「人気投票じゃないか」と。
昨日までの僕なら、「まぁ、数字として出ちゃったからしょうがないよ。それも“実力”なんだよ。」としか思わなかった。
ただ僕もこれに関しては「これで本当に良いのか?」という思いはある(ちょっとした思い入れがあるので。)。
「本当に実力のある人に行ってほしい。」
そう思った時に僕の考えが動かされた。

「結果が全てじゃないってこういうことか」

昨日からの僕

 僕は“審査員”を信用し過ぎていた。
先のM-1の話もしかり、合唱コンクールしかり。
審査員も一人の人間である以上、全てに客観的でいることなんて不可能だ。
審査員の人も、僕らと同じ“客観視できないクソみたいな人間性を持ってるそこらへんの人間”の一人なわけで。
完全に実力のみで結果が出ているわけじゃない。
そんな順位なんかに、ハナから価値もクソもないわけで、実力は結果で推し量れない。

「結果が全てじゃない」

追記

 「みんなが頑張ってきた過程が大事」ってなんなんだろうね。

読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字は発見次第修正致します。

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