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コロナでみつけた必要なもの、不要なもの
緊急事態宣言が解除され、いろんな活動が再開しはじめましたね。
2ヶ月ほどの自粛中に、手放したもの、手放せなかったものがより鮮明になったのではないでしょうか。
いろんな葛藤があった期間ですが、今後生活する上で、小さなヒントをもらえた気がします。
今回は私のケースとして、ご紹介します。
まずは健康!運動習慣は手放せない
自粛が開けて一番初めに通ったのが、ヨガスタジオ。
ホットヨガを久しぶりにすると、出るわ出るわ大量の汗。
「前もこんなに汗かいてたっけ?」
と思うくらい、デトックスしました。
いや〜、むくんでたんですね。
心がリフレッシュしたのはいうまでもなく、身体全体の凝りもほぐされてスッキリ。翌日から体調万全です。
もうすぐ、別のジムも再開するとのことなので、なまった体を鍛え直す期間になりそう。
自粛期間はYOUTUBEでヨガ動画を見たり、オンラインヨガを体験するなど、色々やってみたものの三日坊主。
スタジオに行く!先生に会う!という、何かしらの行動をつけないと続かないようです。
そんなこんなで、自粛期間中とっても楽しみにしていたスポーツを、今後も思い切り楽しむ予定です。
イベントってそんなにいらない
逆にいらなかったなと思うものは、イベント。
公園の近くなので、時期が来れば毎週のようにイベントが開催されていました。が、自粛ですべて取りやめ。
寂しいかなと思っていましたが、平穏な日常が過ごせて全然悪くない。
むしろイベントが多いと、楽しまないと損!のような気がしていましたが、そんな杞憂もいらない。セールや今だけ!というお知らせがないので、何よりせかされることもない。ただただ、何もない毎日が漂って、心地よかったです。
近くにスーパーと、お気に入りのワイン屋さんと、ヨガスタジオがあれば満足に生きていける。そう確信しました。
都会に住んで、何かうるさいな、煩わしいなと思っていたことが一気になくなったのが、嬉しかったです。
本音を言うと、もうあまりいらないですね。
桜はだた咲くだけ
今年は花見が自粛期間と被ったので、堪能できなかったのではないでしょうか。
近くの公園は、見事な桜が咲いていましたが、周りはめっきり静かでした。
私はと言うと、大勢で花見はできませんが、木の下に座って一人花見。
桜の花びらがチラチラと舞うのを、ぼーっと眺めていました。
周りはポツポツと人がいて、同じように桜の木の下で座って楽しんでいます。
「本来これでいいんだよな」
ガヤガヤしい屋台も、どこからともなくあふれる人もいらない。
近くにあるもので、楽しんでみる。そんな感覚を味わえました。
他にも自粛中に、自然に触れることがありました。
息が詰まりそうになったら、公園に行って川を眺めてみる。
風に当たりながら本を読んでみる。太陽を浴びながら散歩する。
五感を使うことで、生きてるという実感がわきます。
感覚を使うことで、自分の気持ちに素直になれるようです。
自然を味わうということを、忙しい生活の中で忘れていました。
これからはもっと、自然に触れようと思います。
会えない家族はいつ会える?
さて、自粛になったので、実家に帰ることが難しくなりました。
実家にはおばあちゃんを介護している家族がいるので、おいそれと帰って感染につなげるわけにいきません。
いつでも帰れると思うと帰らなかったのに、帰るなと言われると途端、寂しくなるのは人の性ですね。
家族とはラインや電話で会話をしますが、もしかしたらもう会えなくなるんじゃないかって、夜中にふと頭をよぎります。
決してそんなことはないのだろうけど、電話ばかりだと不安になる。家族といえど、まるでネット上の知らない誰かとお話ししているようです。
皆さんはそんなことはありませんか?
誰かと会うのが、すごく貴重になりました。
一人でコロナの世界で暮らしている。そんな感覚が続くと、あまりよくありませんね。
雑談は生命線
何気なくおしゃべりしていた時間は、とても大切だったなと思います。
会社でも出社制限が出て、毎日顔を合わせていた先輩も、一緒に仕事をする日が減って来ました。そうすると雑談がない。
さりげなく相談していたことや、会話してストレス発散していたことが、全部自分の中に溜まって、不消化を起こしそうになりました。
私は幸い、まだ人と顔を合わせた方ですが、他のエリアの同僚は一人になり、少し気持ちが落ち込み気味。人は人と触れていないと、元気になれないんだなあと感じます。
オンラインツールを使う機会が増えたので、会話しようと思えばできますが、あれってずっとやっていると、疲れてきませんか?
もちろん、移動コストの削減や、自分の部屋でリラックスしながら会話できるなど、たくさんのメリットは実感しています。
ただ不思議なんですが、最近オンライン会話を、必要以上に使わないようにしています。
移動するって、今まで不要な時間だと思っていましたが、移動している最中に、気持ちを切り替えていた準備期間だったように思います。
いきなり教室に飛び込んで、ボタン一つで終了できる世界って、頭の中がついていけない。なんかうわべだけの参加で終わってしまうような、恐ろしさがあります。
ようはケースバイケースで、適度に使うのがいいんでしょうね。
移動する、環境を変える刺激は、負担にならない程度に必要不可欠です。
立ち止まる時間を持とう
コロナ前の忙しい生活に、戻れる気がしません。というか、戻りたくありません。
せわしなく、周りに気を使って、何かがおかしいと思いながら立ち止まれなかったあの頃は、少し異常です。
今この状況に立って思うのは、「立ち止まる時間を作る大切さ」です。
自分が何を感じて、どうしていきたいのか。
どうゆう風に生きて、どうありたいのか。
自分の答えを突き詰めて考えることを、おろそかにしていたと思います。
この自粛期間中に、自己分析をたくさん行いました。
自分が憧れている人をみると、よく自分のことを掘り下げて考えているなと思います。
何が苦手で、何が得意か。どう感じて、何が好きか。
自分の個性を良くも悪くも納得することで、次が見つかるんじゃないかと感じています。
偶然この期間に、発達障害であるということを知れたのも、いい機会でした。
時間があったので、悲観的にならずに受け止めれたと思います。
よく自分を労わる時間を持とうとか、見つめ直す時間が大切とか、言葉では聞くけど、本当の意味で理解できていなかった。
どうしようもなく時間ができて、自分の中のいろんな感情湧いてきたときに、やっと向き合えた気がします。
あとがき
コロナは、いろんな人の分岐点になったのではないかなと思います。
なぜか私の周りの人は、仕事が増えたパターンが多くて、景気の良さを感じています。ほんと羨ましい。
人は人なので、比べることはできませんが、時間をもてたことも、ひとつの贅沢ですよね。今の気持ちを残したくて、このエッセイを書きました。
一年後、私たちはどんな世界で過ごしているのでしょう。
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