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地方出身の私が、上阪して自分らしくなれたこと

大阪に移り住んではや3年。
地方出身の私にとって、都会は人も多くていつも窮屈。時間もせかせかしていて、初めの頃は生活リズムに慣れずに悩んでいました。

そんな私でも、都会に越してきて「自分らしくなれたな」と感じること。

地方ではまちづくりボランティアに励み、「地元を盛り上げよう」と活動していた時を振り返り、都市と地方の魅力を交えながら言葉に残したいと思います。

やっぱり都市はオトナ女子が楽しめる街

地方ではあるあるですが、30歳前に結婚ラッシュが続き、大体は家族子持ち。その為、洋服や家具がファミリー向けやママ向けがほとんどです。

近場でオトナ女子が求めるファッションを手に入れるだけでも、一苦労します。
同世代の友人たちは大学を進学を機に県外へ。Uターン率も全国下位レベルの田舎では、ターゲット層は主に高校生までの10代、その次にママ層となってしまいます。

あぁ、悲しい田舎事情。

もちろん夜に女性がふらっと楽しめるバーや小洒落たカフェも、数えるほど。

しかも車移動が基本です。
時間もかかるし、何より飲んだら運転できないジレンマ。
代わり映えのない店で同じようなスタイルを楽しむ。これって地味に「つまんない」。

大阪では流行ったスパイスカレーもタピオカも、地元で手に入れるには、どこに行けばいいのでしょう。
結局、地元にあるものに飽きてしまい、都会に出かける羽目に...。

そう考えると、オトナ女子が楽しめるファッションも遊びも充実しているのが、都市部の多様さです。
雑誌に載ったコスメもカフェも、全部近くにある手軽さが、程よい刺激でやっぱり楽しい。

でも楽しいとか、楽しくないとかそれだけじゃないのが、地方暮らしの辛いところなんです。

考え方が10年ほど遅れてやってくる

地方と都市の違いを感じたのは「閉塞感」。
変わらないことをよしとする地方と、変わることでビジネスチャンスをつかもうとする都市。一概には言えませんが、そんな気質を感じます。

例えば、働き方、発達障害、婚活などいろんな価値観が変わっていく中で、一歩遅れて情報が入ってくるイメージ
これが都市と物理的距離が大きいほど、タイムラグが出てくる気がします。

よく言えば流行りに流されないだけど、悪く言えば変わらない。

今はどちらかというと多様性を受け入れている流れです。
そんな中、少しでも道から外れると目立ってしまう地方は、生きづらくなる時があります。

「まだ結婚しないのね」
「フリーランスなんて危なっかしい」
「バーにいく女の子なんて変よ」

私も似たようなことを言われて息苦しかったんです。
固定観念が強すぎるー。もちろんそんな人ばかりではありませんが、何か挑戦しようとすると、邪魔が入るというのは、地元のまちづくりのあるあるではないでしょうか。

足の引っ張り合いがどこかで行われている気配が、若者の気持ちをどんよりさせてしまいます。

その一方、都市部は流れが早くてついていくのがやっとです。
ただ、働き方も価値観も、すぐに浸透して実践していく変わり身の早さには驚かされます。

気になることは調べて、人を辿ればヒントが見つかる。
そんなチャンスが多い気がします。

もちろん行動力が大切なのは、どこにいても変わりません。
ただ情報に触れる機会やチャンスは、圧倒的に都市が有利な気がしています。

狭さとコンパクトさは紙一重

人の多さや土地の狭さが、地方出身の私からすればストレスですが、実際に住んでみると、このコンパクトさがなんともストレスフリーなことに気がつきました。

駅、コンビニ、スーパー、区役所が徒歩圏内。
電車は時刻表を確認しなくても、頻回に運転しているので便利。
もちろん、商店街も活気があり、買い物や食事も困りません。

どこにいくにも公共交通でつながっているので、移動もスムーズ。
飲み会に、車の代行を心配もなし!

自然が少ないと嘆いていましたが、近くの公園は芝生が広がっていて、週末ピクニックができちゃうんです。
特に大阪は、水都大阪プロジェクトで川遊びも充実しているので、下手な地方より自然に触れる機会あったり...。
朝起きてバラ園をジョギングできる中之島公園は、まさに都会のオアシスに感じます。

一方、地方でいた時は、遊びに行く場所を常に探していました。
お気に入りのカフェは大体が遠いので、車で20~30分ほど。
ふらりと遊びに行く感覚ではなくて、遊びに行くために向かう段取りが必要でした。

電車は30分に1本なので、乗り遅れると大変。

堤防沿いに住んでいたけど、川を見て楽しむ風景はどこへやら。
公園も整備されていないところが多く、人影もいないので、立ち入るのも勇気がいります。
せめて子供達が遊んでいれば、雰囲気も違ったんでしょうが.....。

地方都市に住んでいると、自然とは妙な距離感があるのがネック。
ただ、空が広いので、夕日が朝日が美しく、夜はコオロギや虫の声が響いてたりするんですけどね。

自然災害が多い場所はご注意

田舎に住んでいた時は、台風、地震、暴風...ことあるごとに、生活に影響してました。
都市部に来て一番びっくりしたのは、災害が少なさ。

毎年やってくる台風は、実家では直撃するかしないかヒヤヒヤももだったんです。
電車は止まるし、崖崩れは起こるし、台風対策は結構重要。

大雨が続くと目の前の河川は決壊し、浸水被害はしょっちゅうです。
道路が雨に浸かり通行止め、高速道路の閉鎖。この状況でどうやって通勤するか、毎度頭を悩ませていました。

また地震も多いエリアだったので、緊張感が走る瞬間がなんども。
災害と生活が身近にあったので、「こんなもんか」と思っていました。

そう思って大阪に来ると、まず台風が来ない。地震もほどんとない。
大雨が降っても下水機能がしっかりしているので、浸水しない。
電車が止まっても再開が早い。そもそも地下鉄は止まらない。
ビルが多いので、マンションに暴風が直撃しないから静か。

こんなに天気に悩まされない日が来るとは...。

立地の良さもあるんでしょうが、そもそも都市機能がしっかりしているんでしょうね。

災害が少ないから人が集まるのか、人が集まるから防災設備が整っているのかわかりませんが、こういった場面で都市部の住み心地を実感しました。

匿名性とコミュニティ

都市と地方の差は匿名性です。
地方の村社会から抜け出して来た先が、都市。

地方では街を歩けば、誰かに見られている。
いつの間にかウワサになると思うと、ちょっと息苦しくなります。

よくいうと、コミュニティがしっかりしているので、顔見知りばかりで安心。うまく馴染めると、街全体が家族のような居心地の良さがあり、暮らす上でとても心強かったりします。

その一方、都市のように匿名性があれば生きやすいかといえば、コミュニティや場づくりの流れを見る限り、そうでもなさそうです。

いま地方では若者を中心に、ゆるいコミュニテイが発生しています。
そこを基盤に活動している友人達は、つながりの中で仕事をしているので、とても心地が良さそうです。

都市部でもいろんなグループやオンラインサロンがあるので、つながりを持つ機会が増えてきましたね。

でもやっぱり、地方のコミュニティの深さにはかなわないと思います。
圧倒的に人数が多く、作業が細分化している都市部でのコミュニテイと、地方で有志が集まって作り上げるコミュニティは、濃さが違います。

地方では人数も少ないぶん、なかなか出会えない職業や立場の人と短期間で出会えます。
関係人口が限られているので、競争するようにポジションを取らなくても、時間をかけて耕していけるイメージです。

小さな成功をするだけで、周りが応援してくれ、すぐにメディアに取り上げてくれるのも、地方のよさ。

真っ白なキャンバスを自分色に染めていける余白が、地方暮しの魅力になっていると思います。

これも言い換えると代謝の悪さでしょうが、何も素早く変わることだけが良いわけでもない。
自分が持っている時間と街の歩くスピードが合うと、良い暮しができるんだと思います。

あとがき

地元でまちづくりをしていた時は、「商店街を盛り上げよう!」とか「川の魅力を再発見して楽しもう」という動きがあったので、そこでイベントボランティアなどで活動していました。

芸術的とまで言われたシャッター街に、イベントを仕掛けたり、川を変えようと呼びかけている人たちを応援し、空き家を回収して事業を行う意欲的な人たちの隣にいて、なんどもワクワクしていました。

けど、結局どんな未来を描いているのか、地元にいるだけでは見えていませんした。

そんなモヤモヤした思いのまま、上阪。
大阪の活気ある商店街や、大川の河川利活用、古民家カフェなどを見ているうちに、自分が応援していたのはこんな未来だったんだと、腑に落ちたことを覚えています。

今の大阪の街も、たくさんの人の想いが詰まってできた一つのカタチ。そうやって作り上がった街に住んで、やっぱり心地が良い。「こんな暮しがしたかったんだな」と体感しながら、都市に住んでいます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。こうやって日々感じたことを、つらつらと書いています。よければ、コメントや感想をお願いします。