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もしも世界があるのなら

こんにちは、小夏です。

読書家ではないですが、好きな本をいくつか持っています。
その中で「どうしてこの本が好きなのかな」と深掘りしていくと、意外な価値観にぶち当たりました。

いやー好みって、本当に人を移しますね。

蟲師で感じた世界観

私は漫画「蟲師」や小説「家守奇譚」、アニメ「もののけ姫」や「魔法使いの嫁」がとても好きです。

自分の好きなストーリーを眺めていくうちに、はたと気がつきました。

これって異世界系ばかりじゃない?
異世界というか、「日常の中に、目に見えない世界と暮らしていく物語」がめちゃくちゃ好きなんです。

蟲に作用されてされる人間の暮らし
鬼や河童、植物などと会話しながら暮らしていく書生

そんな生活に強く憧れるというか、「その世界で暮らしたい」という欲求が湧き上がるんです。

子供の頃は、この感情に振り回されて大変でした。
特に「もののけ姫」を見た直後なんかは、森で暮らしたい!と本気で思っていました。

いまは大人になったので、その感情を深掘りです。
そうすると私は「本来私たちは目に見えないもの(生き物)との暮らしが当たり前だった」「昔は目に見えないものと暮らしていた」とどこかで思っているよう。

憧れなのか、確信なのか、直感なのかよくわかりませんが、私の中でそんな願望めいたものがあって、それが結構強い。

でも森に入ったら思いません?
海で泳いでいたら感じません?
野生の動物に出会ったら、何か違うと思いません?

絶対人間だけで暮らしも世界も作れるはずがない。
縁だって、目に見えないものなんだったら、世の中の半分くらいは目に見えないものでできているはずだって感じるんです。

異世界もあるかもね

他にはライト小説「Deliver」や漫画「Zero」、最近ではアニメ「デカダンス」にはまっています。いわゆるSFですね。

この物語の共通点は「パラレルワールド」
生まれ変わりとか、人間世界と違うもう一つの世界とか、そうゆうものです。

例えばギリシャ神話で「この世界が5回目」という記述って、不思議じゃありませんか?

昔、世界の神話をまとめた本を読んだことがあって、それによるとだいたい今の世界が5〜6回目だそう。

バラバラな国と文化で、一堂に書かれているこの一文はなに?
でも、そうゆうのって案外真実だったりするのかなって。

現に「ノアの箱舟」では一度世界が滅んでいますし、アステカ神話も世界が滅亡している。

私たちの学んでいることが「思い出す」作業だとしたら、いろんな物語は何かの「記憶のかけら」かもしれないなって。
そんな風に考えるのを、楽しいなって肯定しています。

今の世界で何度目であろうと、私の隣で目に見えないものが漂っていようと、明日は会社に行かなきゃいけないし、目の前のことはしなきゃいけない。

気休めな考えかもしれないけど、死んだ後に、この世界の仕組みを見て回りたい。
そんな夢を持って、今日も生きています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。こうやって日々感じたことを、つらつらと書いています。よければ、コメントや感想をお願いします。