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"批評"人生をやりなおす-フェアでなくては意味がない

2017年秋からの記憶があまりない。だから今、こうして思い出そうとして何かを修復しようとしても足取りがおぼつかない。

どうもあれ以来、客席で開演を待っている時に、周囲の雑音が気になってしまって孤独を感じる。複数でやってきて客席でおしゃべりしている人の何と多いことだろう。静かに異世界の開演を待ちたい。あるいは、演劇が現実を浸食してくるのを。この寂寥は何に起因するのだろう。きっかけはまあいろいろあって、挙げるとすれば「これまで拠り所にしてきた人々との決別」があるだろうし、まとめるなら「狭い世界で抑圧されることに疲れきった」ということなんだろうと思う。

人間の細胞は5年間で入れ替わる、というのは本当にそのとおりで、思えば5年サイクルで私を取り巻く環境というのはごっそり入れ替わってきた。20歳から25歳。25歳から30歳。そして今、30歳から35歳の5年間が終わろうとしている。

いろんな縁が切れた。でも人生を前に進めるためには必要なことだったと今は思うようにしている。それにしたって「縁を切る」とは穏やかでない。でも、それ以外の選択肢がなかった。選択とは、自分だけでするものではないのだ。「選ばされた」ということだって往々にして起きるのが人間関係である。”君が望むなら”そうしてあげよう、ベイビー。そういうことだってある。こっちはすましてやり過ごしていくしかない。仮に、こうやって後から公表することが何か問題になるとしても、だ。言っておくが、これは、どこの誰に読まれていいように書いている。ワールドワイドウェブの海に言葉を放り投げた以上、いつなんどき、誰に読まれてもいいと思っていなくてはならない。

それでも、私をずっと救ってきてくれた演劇、舞台芸術に対して、恩を返しつづけなければならない。恩というものは、請われて返すものではない。こちらが感じて、勝手に、返したくて返すものだ。望まれようが望まれまいが。だからこそ、そのクオリティと覚悟こそが問われる。

手探りでも、進まなければならない時は進まなければならない。
どんな時でもフェアに。好き嫌いと評価を混同せず。当たり前のことを当たり前にやっていくだけだ。その中から、当たり前ではないことを当たり前のようにできる日も、きっと来るだろう。



落 雅季子(おち・まきこ)


1983年東京生まれ。一橋大学法学部卒業後、ITエンジニアを経て、演劇レビュアー・ライターになる。現在は、言葉に拮抗する身体をさぐるため,クラシックバレエの修行中。英語/日本語.米国を中心とした貿易業務に携わっている。「CoRich!舞台芸術まつり!」2014、2016審査員。2017年、LittleSophy設立。


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