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看取るということ

21年共に過ごした猫が旅立ってから、もうすぐ1年半になろうとしている。

「猫はもう飼わないの?」

そんな言葉をいただくことも多いのだけれど、
もう飼うことはないだろうなと思う。

もちろん猫のいる生活は楽しいに違いないことはわかっている。

でも
「看取るパワーがもうない」
のである。

いやいや今からそんなとこ心配しなくても、、なんだけど、
一度した決して楽しくはない経験は極力回避する思考でして
わりかし心配性(笑)

悪性腫瘍かも?そう診断が下ってから1年。
もちろん生活もあるし、自分の全てを犠牲にしたわけではないけれど、
それでも職場に無理をいって在宅にしていただいたり、
人様にもご迷惑をおかけした。
最後の数カ月は精神的にも相当のパワーを費やした。

それだけのパワーを使って、
やっと、旅立ちを祝う。そんな心境になれたし、そこまでやらないとたぶん気が済まないというかやっちゃうだろう自分がいるわけで。

同じパワーをもう1度出せるか?と自分に問いかけたとき、それは無理、という答えしか今はない。

そしてこれはたぶんこれから先何度問いかけても、同じか、あるいはもっともっと無理と思うだろうなと思っている。

もちろん最後の迎え方はいろいろで、必ずしも同じような最後になるわけではない。それでもやっぱり最後を看取った数カ月間は私の中で、ペットを看取るということというのを大きく考えさせられたし、次の子はそうならない、という保証などどこにもないのである。

ペットとの過ごし方、最後の看取り方、、はそれぞれ違うし、小さな家族と飼い主さんが幸せであるカタチに決まりはない。

たくさんの愛情と感謝と。
人と暮らすペットたちが最後まで幸せでありますように。

幸せそうな飼い主さんやペットちゃんをみては、
あらぁ、かわいいわね。目を細める、、
今はそんなおばあちゃんの心境で十分満足(笑)


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