ほとんどの人間は実は悟りを開いているのではないか
理由は分からないが、大抵の人間は正直言って悟りを開いているのではないかと思ったりする時がある。
しかし、自分が悟りを開いていることに気づいてしまうと、社会から外されてしまうという恐怖が、最後の扉を開く勇気を与えない。
実はほとんどの人間がそう思っている可能性もある。
そして、みんながみんな、悟りの心を表現しないで閉ざす。
何か大きなきっかけがあれば、私も含めて、その最後の扉を開けるような気がする。
悟りとはそもそも何なのか。
・大いなる存在に気づいている
・全員が大いなる存在とつながっていることに気づいている
・全ての存在は存在しているだけで尊いことに気づいている
・自分の命は目の前にある命と同等に大切だということに気づいている
以上のどれかでも満たしていれば、悟っていると言えるし、1つに気づけば他の全てにも自然と気づいていく。
しかし、これだけでは最後の扉を開けることにはならない。
最後の扉は、以上の気づきを「本当にそうなんだ」と言葉に出して表現しないと開かない。
その勇気がなかなか出ない。
宗教でもなく学問でもなく、呼吸法によるのでもなく、何かもっとこの世界に溶け込んでいる、みんなが気づきやすいハードルの低い方法はないものか。
この世界はトップダウン式の法人でほとんど成り立っているから、そのトップの人がある日「私、実は悟っていたんです。隠しててごめんなさい笑」とか言って、次から次へと連鎖反応が生まれれば、悟っているってみんな言いやすくなるような気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?