『Neutral ニュートラル』#8粘土の立体作品について
個展のタイトルになっている「ニュートラル」の意味を日本語に訳すと、「中立、中間的」であるが、
個人的に捉えさせてもらうと、「中立、中間的」とは
「自分なりの本当を見つける状態」
と言えるかもしれない。
今回展示する「Neutral」という作品は、
粘土でつくった半立体の作品だ。
今年前半に起こった世界的な混乱で
外出自粛を続けている際は
家族以外の人と接することがなく、
否が応でも自分と向き合わなければならなかった。
自分の場合できることは制作だったが、
鬱屈する心に、何か変化を与えたい、
新しい何かに挑戦したい気がした。
ひとりの時間が多い中、
手をしっかり動かす仕事がしたいと思った。
家にあった紙粘土を捏ねてみたが、
何かがちがう。
そこで画材屋さんに行き、
石の粉が原料の重めの粘土を買い
家に帰ってそれでパネルに顔をつくってみた。
これだ。
しっかりと力を込めることができ、
気持ちがこの白い粘土に入っていくようだった。
つくるのはやっぱり顔だ。
ただ、自分の顔をそのまま半立体にするため、
自己の内側に入っていく。
段ボールの作品が自分を周りに広げていく作業だとすると、
粘土の作品は、自分の中心に向かって、
ぐんぐん進む感覚だ。
自分のコンプレックスの顔を
あえて見たくなかった顔を
表に出した。
「ニュートラル」といえば、車の “ ニュートラルギア ” を思い浮かべる人が多いだろう。
エンジンの動きが届かない状態は、私も初めは、子どもの頃「無表情」と言われた自分のようだと思っていた。
「気持ちがなぜか表情として届いていない…」
でも、自分の中ではしっかり表現しているため、
「どうやら表現できていないようだ」
という感覚しかなく、
なぜ表情として表現できないかの理由はわからない。
ただ、作品として、
その少し辛かった「無表情」
と向き合ううちに
なんだか気持ちが楽になった。
何かを超えるためには、
しんどさをもう一度体験し、
向き合うのが良いのかもしれない。
とことん向き合えば
なぜか先が見えてくる。
楽になった分、余裕が生まれる。
制作は、自分を超えていく作業だ。
粘土の顔制作は、
私にとって追体験であり、
克服のひとつの手段だと思う。
小原 緑 個展『 Neutral ニュートラル 』2020年10月24日㈯~11月1日㈰
at STUDIO DIFFUSE MAKE+
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