若手のメンタル不調とアイデンティティ形成に関する一考察〜加えて、未だ消えることのない 「キラキラ」の呪い

「最近の若者は打たれ弱い」と言われて久しいですが、働く人のメンタルヘルスについて考える仕事をしていても、やはりよく上がるトピックスの一つです。「やっとの思いで採用したのに、職場不適応を起こして、試用期間中にやめてしまった」とか。

打たれ弱い若者代表の僕としては確かに耳が痛い話ではあるのですが、果たして、昔の若者は本当に打たれ強くて、今の若者は打たれ弱くなったのでしょうか?

ちょっと訳あって、大学生が職業選択をするにあたっての心理状態について考えることがありました。
僕は大学院を目指してたので少し一般傾向からは外れるかもしれませんが、確かに大学3,4年生の頃は、「なんとなく大学生活を過ごして来たけど、じゃあ社会に出て何をしたら良いの?どんな仕事に就けば良いの?」という不安に日々悩まされていました。

発達心理学の権威であるエリクソンは、人には年齢に応じた発達段階があり、その段階に応じた課題がある、としています。その理論の中で、大学を卒業する間際で職業選択を強いられる年代、いわゆる「青年期」の課題は「アイデンティティ確立-アイデンティティ拡散」とされています。
アイデンティティ、つまり「自分が何者であるか」とは、つまるところ「どんな仕事を選び、どう生きていくか」というところに収斂されていくからこそ、青年期の課題はアイデンティティ確立-拡散なのだと思うのです。
大学生はよく「モラトリアム」と言われ、勉強もせず遊んでばかりいる、と世間から思われがちですが、その実、本人たちはアイデンティティ形成の嵐の中でもがき苦しんでいるんですね。

ここからが本題。就活をする1,2年間は本当にあっという間です。自分が本当にやりたいことなんてわからない。でも、働かないわけにはいかない。お金は稼がなきゃ生活できないし、親の目や世間の目もあるし。そんな状況のなかで、とりあえず自分はこれだろ、これをやりたいはず、と決めた仕事。面接では無理にでも自分を「作り込んで」臨まなければ受かりもしません。
そうしてなんとか内定を勝ち取り、入職したと思ったら、自分の想像してた業務内容と違ってた、、、そりゃメンタルヘルス不調にもなりますよね。だって、無理やり作り込んだ自分が、間違ってたんですもん。

そう簡単に、人の性格傾向が世代によって変わるわけがありません。社会的な状況がそれを余儀なくさせている、そういう視点を持つことも重要です。
ある社会学者曰く、昔の社会人は良い会社に入ることによって、「大手の会社に所属している自分」ということで周りからの評価を得ていたし、アイデンティティを保てていた。ただし、今の人たちはそれだけでは評価されない。自分が何者であるかを常に突きつけられている、とのこと。

そういえば、僕が大学2年生頃だった2010年頃からTwitterがユーザー数をどんどんと伸ばし、これまでは見えなかった同年代の他者が見える化していきました。
そのような状況のなかで、「意識高い系」「キラキラ系」という言葉が流行りました。社会問題について考える団体に所属し、イベントを開催して大物を呼ぶ人や、大手企業への内定が決まり、しかも、自分の希望する働き方を企業側に要求し、それが認められている、なんて人。こうした少数の人が可視化されるようになったことにより、その他大勢の人々の中には、「あれがモデルケースなんだ」と思い込み、自分もそうなりたい!と様々なイベントに参加したりしたことと思います。
先ほどの社会学者の話から繋げるとすれば、良い会社に入っただけではだめで、いかに「キラキラした」働き方を出来ているか、という問いが今の若者には突きつけられているのではないでしょうか。

結論がある話ではないのですが、逆に選択肢がたくさんありすぎる今の世の中で、自分が何者であるかという問いに答えを出すのは、とっても難しい話だよなぁと思う今日この頃でした。

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