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書きなぐり読書感想文~プリヤ・パーカー『最高の集い方』

新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

長期休み恒例(2019年お盆休みから)、読書マラソンはじめました。相変わらずの遅読ですが、1/5(日)までに5冊読み切る!の1冊目。

普段から組織を相手に仕事をしたり、プライベートでも集まりを企画したりが多いので、タイトルにピンと来て購入してみました。

著者はプリヤ・パーカー(Priya Parker)。「プロフェッショナルファシリテーター」として、MITで組織デザイン、ハーバード大学で公共政策等を学び、15年以上人種問題や紛争解決などの複雑な対話のファシリテーションを行ってきたとのこと。

約300ページとそこそこの厚みがある本書ですが、頑張って読んでみました。

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※読了時間:約10時間(途中まではサクサク、途中からしんどいけど読み切る価値あり)

本の内容としては、一時的な会合やパーティ、または継続的な組織に関して、その始まり(の前)から終わりまでをどう組み立てて行くかについて、事例を交えつつ著者の持論が展開されていく。

特に心に残ったのは、第1章「なぜ集まるのかを深く考えよう」の2つの例。

一つは、著者が初めての出産を迎えようとしていたとき、女友達がベビーシャワー(妊婦を祝福しお祝いの品を贈るパーティー。元来女性同士の集まりだった)を開こうとした時の話。筆者もノリノリだったのだが、問題は「夫もノリノリだった」こと。結局、真剣に参加したがった夫を外してパーティーを行ったのだが、当時を振り返って筆者は、

そのとき最も優先すべきは、彼女たちではなかったはずだ。そのときわたしが、今回のイベントは何のためなのかをもっと真剣に考えていれば、別の答えが出ていたと思う。
いちばん大切なのは、夫と私が新しい役割に備えることと、第一子を迎え入れ、結婚生活の新たな段階に備えることだった。

と思い至っている。よくよく考えてみれば、ベビーシャワーは経済的に困りがちな若いカップルを支援することが主目的なはずなのに、「元来、女性だけで行われてきたから」という形式に従うために、ベビーシャワーから夫を排除してしまったことは失敗であったというのだ。

もうひとつは結婚式の例。どんな招待客を呼ぶかについて。

(前略)両親に感謝することを結婚式の目的に据えたとしよう。この目的なら、(中略)最後に残った一席に招くのは、卒業以来会っていない大学の友人ではなく、両親の古い友達になるだろう。逆に、新郎と新婦がお互いの親しい友人と知り合うことが目的なら、答えはあきらかに違ったものになる。

特に結婚式や葬式などの伝統的な催し物については、さも普遍的で固定的な目的があるように語られがちだが、果たして自分たちが主催するその集いにおいて、本当の目的は何なのだろうか、と問い直すことの必要性を突きつけられたように感じた。同じことは冠婚葬祭に限らず、職場で週1回必ず行われるミーティングにもいえるだろう。

あなたにも、新しいニーズや現実に合わなくなった古い形式の会議が思い当たるはずだ。とにかく型通りにやれば何とかなるだろう、と考えているかもしれない。だがその型は誰かがその人自身の問題を解決するために思いついたやり方で、あなたはそれを借りているだけだ。その方には作った人自身のニーズや目的が反映されている。

決まりきった形を変えていくのにはとてつもない労力がかかる(、もしくは「かかりそうに思う」)。それでも、常にその集いの目的を考え続けることが、そこに関わる人達の人生を変えてしまうかもしれない、価値のある集いを創り上げることに繋がると著者は考えている。


もう一点、直近の関心とフィットした箇所が。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」でもパーソナリティのチャーリーこと鈴木謙介氏が言及しているが、現在の世の中が「エモ(Emotional,感情的,熱狂的)」から「チル(Chillout,安らぎ,自然体)」に移行することを求め始めているのでないか、という点について。

いまの世間一般のもののの見方が、(中略)「自然体(チル ※ルビ)」がいいという感覚だ。これが、余計なおせっかいを焼かずに会を運営したいという考え方につながる。
「自然体」は、集まりの主催者として最悪だ。正しく力を使うことは、主催者の責任である。(中略)集まりを主催するということは、裁量を持つことにほかならない。(中略)自然体と言えば聞こえはいいが、実際は責任を放棄しているだけだ。
そうしないとしたら、それはゲストの満足感より、自分がどう見られるかを優先させているからだ。つまり自然体でいることはゲストより自分を気にかけている証拠なのだ。

ははぁ、参りました…確かにそのとおりかもしれない。結局チルがいいのでは?と思うホストは自意識の塊なのであって、ゲストに対して真摯に向き合えていないのでは、ということか。全部エモは実際しんどいけど、全部チルも考えものですね。

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感想五月雨式。

・事例も数多く紹介されており、ほとんどの部分は読みやすかったと思う。少し前に日本人が書いたワークショップ運営に関する本を読んだが、理論ばかりが先行しており、「教科書感」が強すぎて読めなかった(アカデミックな立場の人が書いた本なので致し方ないし、本書のように理論がなさすぎるのもある種問題かもしれないが)。

・仕事柄、企業の一部署のメンバーに対して研修を行うことがあるのだが、事前の告知から当日のクロージングまで、一種の「エンターテインメント性」を持たせないといけないな…と感じていたところに本書の内容がピタッと刺さった。参加者にとって「仕事なのだから」は通用しない。いかに始まる前から最後までモチベーションを保たせるのかが鍵となる。

・ディスカッションのテーマ設定や参加者の選定について、「あえて閉じる」ことによって、その集いの熱量を高めるという方法。開かれた場がどんどん増えて、その弊害も取り沙汰される中で、この考え方は一つありなのではないか。最後に、本書の中で紹介されているバラク・オバマが叔母から言われた一文を。

「みんな家族だってことは、誰も家族じゃないってことよ」。つまり、「誰でも招待されているってことは、誰も招待されてないってこと」なのだ。

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