当り前の基準を下げる

『当たり前の基準をあげよう!!』っていうド正論は巷にあふれかえっている。だからこそ、当たり前の基準を下げる提案をしたい。

トイレ掃除後にするトイレットペーパーを三角にするやつ。これ不必要ではないでしょうか。これによって生まれる便益って誰にどのくらいあるのだ??おそらく、最初に使った人が

『あっ、このトイレ私が最初なんだ』くらいのベネフィットしかない。

それだけのために全国のトイレ掃除に従事する我々

”1K労働者”たちは

ちょっとした面倒を毎回強いられる。さらに、この作業は2回目以降にトイレを利用するお客さんと初回のお客さんを”選別”している。なぜなら、便益は初回利用者のみだから。

このような、さりげない気配り、几帳面さが日本人の良さだと述べる人たちに言いたい。この作業が気遣いであることはあなたが生まれてきた文化によって勝手に形成されただけである。人生で一度も△のトイレットペーパーに出会わなかった人はこれが、心遣いであることに気付かずに、スルーされる。

誰かが勝手に作った『心遣い』もどきにより、やりたくもない思いやり精神を発揮し、それを享受することは不幸せの第一歩となる。

丁寧さ、几帳面さの文化の基準を下げてしまえば、楽になることって案外世の中に多い気がしてるんですよね。


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