書評『みんなの「わがまま」入門』
今日は富永京子さんの『みんなの「わがまま」入門」(左右社、2019年)を読んだ感想を紹介します!
目次
わがままを言いにくいのは、みんなが共通としてもっている文脈がないから
印象に残ったのは以下の文章です。
昔は、同じ地域に住んでいたら同じ悩み(新幹線が開通してほしい・公害問題を解決してほしい)があり、誰かが声をあげたら「私もそう思っていた!」といえる状況にありました。
しかし今は同じ地域に住んでいても、同じ性別でも、年齢でも、考え方は多様化し、連帯することが難しくなっています。
「中立」も「偏り」も、そんなにこだわることじゃない
個人的な話ですが、私はもともと「自分の名字を変えたくないって言ったらフェミニストだとか左翼だとか思われるかな…」と思っていました。
そんな私にこの本は以下のようにメッセージを送ってくれます。
例えば「両方とも言い分はわかるよね~」と言ってみたり、あるいは話題に触れずにいることもできますよね。
しかし、完全に中立な人はいません。
正解がない中で、何が正しいのかその都度考え、「間違っているかもしれないし、また意見が変わるかもしれないけど今の時点での私の意見は…」と意見を言えたらいいのではないでしょうか。
テーマによってわがままを言いにくくなる?
Twitterライブでこの本について話したところ、テーマによって言いやすいわがままと、言いにくいわがままがあるよね、という話になりました。
例えば教員の働き方は比較的言いやすいわがままです。その理由は2つ、先生の過酷な労働状況について多くの人が共通認識をもっているから、そして、敵(?)がある程度はっきりしているから、です。
しかし言いにくいのはジェンダーの問題。これは人によって認識がばらばらだし、敵がはっきりしていないから。正確に言うと敵は現状の社会構造なのですが、ジェンダー問題についてわがままを言うと自分が責められているように感じる男性はもちろんいるし、この社会構造に女性も恩恵を受けている部分があるので一概に責められない。複雑だしみんな当事者なので発言がしにくいのではないでしょうか。
イデオロギー化しやすい問題もわがままを言いにくいですね。自民党に不満を持っているとか、ジェンダーの問題もエネルギーの問題もイデオロギーと結びつくと話しにくくなる印象です。
「イデオロギー化しやすい」とはどういうことか、「わがまま(=権利の主張)」にまとわりつく負のオーラの正体は何か、といったことについてはもっと考えていきたいです。
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