見出し画像

恋バナ大好きだった自分を卒業した話

私は中学生の時から人と恋愛の話をすることがめちゃめちゃ好きだった。ただ人の事情を聞くだけでなくて、ネットや本で嘘か本当かわからない言説も含めてよく勉強した。
そもそも人の価値観の違いを知ることが好きだったのだが、恋愛は特に価値観が分かれる。それが面白くて好きだった。
いろんな価値観のパターンを考えるようになり、心理学や社会学の視点からも勉強した。
その努力の甲斐もあったのか(?)大学に入ってからはいろんな人に恋愛相談を受けるようにもなった。
恋バナは誰でも盛り上がれる話だと思っていたし、実際とても楽しかった。

しかし最近考え方が変わった。
(まず、彼氏ができて自分のネタがおもしろくなくなった。彼氏がいないときの方が下衆で面白くてしょうもない話が提供できるし、人の悩みも対等に聞ける)

今年の夏から性的マイノリティに関する勉強会を企画していた。
私は性的マイノリティの権利について理解のある方(だと思っていた)で、なぜ同性婚が認められないのかという問題について特に関心をもって調べていた。

勉強会では当初「当事者の方にゲストに来てもらい、普段わからないままになっていることについて参加者からゲストに質問をして、性的マイノリティへの理解を深めること」を目標にしていた。

この目標の何が問題か、どのくらいの人がわかるだろうか?

企画内容について当事者の方に提案したとき、「逆にこっちが質問したい。なぜあなたたちは無知であることが許されるのか。なぜそんな質問ができる社会構造なのか」と言われた。
頭を殴られたような気がした。
いかに自分が異性愛主義的な考えの中にいて、自分の特権に気づいていなかったのか思い知らされた。

「なぜあなたは異性愛者なのか」と聞かれることは普通ない。
しかし異性愛者でない人はいつも異性愛前提の恋バナを聞かされ、彼氏or彼女がいるのか聞かれ、自分が異性愛者でないことを「カミングアウト」したらしたで「なぜ?」「どんな感じ?」と聞かれる。

自らをゲイだとカミングアウトしているYoutuberのおしらさんの動画を今日見た。
彼はこの動画の中で「カミングアウトすることで異性愛主義的な考えによる質問(結婚願望あるの?とか)されなくなったのはよかったけど、それは根本的な解決になっているのか?」「他の国はどうかわからないけど、今の時代の日本人、関係が浅い人に対してもパーソナルな質問しすぎじゃね?その価値観いつアップデートされるの?」と問題提起している。

画像1

これまで私はいろんな場所で恋バナをしてきたけど、気づかない場所で何人の人を傷つけてしまったのだろうか。
考えると恐ろしくなる。

これからも恋愛などの話題は仲良くなった人の間ではしていきたいが(恋愛や結婚に関する話が好きなのは好き)、そこまで仲良くなっていない人と話す時や大人数の場では気を付けたいし、異性愛主義な価値観を押し付けていないか何度でも自分に問い直したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?