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♯11_餅は餅屋

 前回は、海外市場に「レンズ」のピントを合わせる方法の1つとして、オフィス機器メーカーB社のディストリビューターとの付き合い方について紹介した。今回もまた、現地のパートナーと面白い付き合い方をして海外事業を拡大させている、日系メーカーC社について紹介したいと思う。

 オーナー系企業であるC社は、1980年代より、当時の社長が先頭を切って海外展開を進めてきた。現在では、7ヵ国8ヶ所に製造拠点を構えており、生産能力の90%が海外事業を占めるグローバル企業となっている。また、同業界内の売上高経常利益率(ROS)ランキングでは何度もトップをとるなど、高収益を実現している。C社は新たな国に展開する際、単独で進出することはせず、必ずパートナーとの合弁事業として海外展開を行っている。

 1980年代当時のC社は、大手競合が多数ひしめく国内市場で、地方企業の1社として奮闘している状況であった。特に当時、同業界では「後仕切り」が残っており、立場が強くなかったC社は辛酸を舐めさせられていた。そんな苦しい状況の中、最後の活路として見出したのが、海外展開であった。就任したてだった当時の社長が先陣を切ってアメリカ進出を推し進め、パートナー探しに当たり、結果、新興の米メーカーD社と合弁でアメリカ事業を立ち上げるに至った。パートナー企業51%、C社49%出資という形での合弁事業の立ち上げであった。

 パートナーと組んでの海外展開やマイナー出資での展開は、実は、当時の社長の「ウチは技術のことは分かっている。しかし、現地の経営や営業のことはわからないのだから、現地の企業に任せるべきである。」という考えの下、行われている。そのため、パートナー選定はかなり慎重に行われていたようだ。大手企業との合弁の話も挙がったが、新興企業D社とパートナーを組んだのは、「従業員を大事にする」社風に強く共感したためだそうだ。余談にはなるが、D社のアニュアルレポートの表紙両面は、従業員の名前で埋め尽くされている。

 合弁事業立ち上げ時は、工場の操業が安定せず苦労も多かったようである。しかし、当時の社長をはじめとしたC社の社員が必死になって操業を支援したこともあって、現在では安定して収益を上げる事業に成長している。現在でも、D社の社長は、事業立ち上げに当たってのC社のサポートを非常に感謝しており、当時の社長(現会長)を始めとしたメンバーがD社を訪れると、「Teacher」として敬意の念を評されるという。その後C社が海外展開した7ヵ国8拠点すべてについて、経営・営業は現地企業に任せる方針のもと、展開が行われている。
「現地化」を志向する際、ハンズオンで行うことが真っ先に検討されるが、信頼できる現地パートナーに任せきるのも1つの選択肢なのかもしれない。

 

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