貧困層の人たちへの想いの変化
すみません、風邪をひいてしまいました山田です。
私は「世界中の子どもたちが、自分の未来を自由に描ける世界」を目指して、高校卒業の翌月(今年の7月)に事業をスタートしました。Little Youではそんな挑戦の日々を発信させていただいております。
Little Youから頂いた資金10万円で今月オープンを目指しているアンテナショップの内装や、ECサイトの準備をしています。
<1週間の主な活動>
土曜日バリスタ修行の後、要領が悪く徹夜あけだった私は仮眠をとりに一旦帰宅しました。
2時間後、アンテナショップへ向かい、友達に助けてもらいながら店内の壁に4時間ぶっ通しでペンキを塗りました!
「起業に挑戦します!」と言って以来、自分の人生ですることないだろうと思ってたことをいっぱい経験できてます。楽しいです。
ペンキを塗り友達が帰ったあと、このnoteを書いたり、facebookの投稿だったり、やることがあったのでアンテナショップに残ったんですが気づいたら寝てしまい、次の日起きたらめっちゃ風邪ひいてました。。。
(ペンキ塗りで暑かったのでクーラーガンガンでした、)
風邪をこじらせまくって、結局日曜日から木曜日まで寝込みました。
*ドタキャンしてしまった皆様、大変失礼いたしました、申し訳ないです。。。
自己看病日記の代わりに、すこぶる独善的で傲慢だった私の価値観が変わったお話を書くことにします。
<命という可能性>
今は「貧困から子どもたちを助けたい!」なんて言う私ですが、小学生のころ、タイで物乞いをしていた自分より小さな子たちをみて、「この子たちが存在する意味はあるのだろうか」と思っていました。
当時の私のこの考えには理由が2つあって、
1)社会にとても貢献している人を100だとしたら、ホームレスや物乞いの人たちは0。=存在する意味がない。
2)ずっと周りから冷たい目で見られて孤立して生きるのはかわいそう。小さな子たちが当時の私より身長が高くなった頃、物乞いでお金をもらうのが難しくなるため、ボスに足や腕を切られたり、人身売買される現実がある。
私ならまだ銃殺や毒ガスで死んだほうがマシ。
と思っていました。
でも、そんな考えはインドの孤児院でのインターンシップで変わりました。
当時14歳の私は、2週間500人の孤児と一緒に生活をしました。
その500人はスラム街で餓死状態だったところや、人身売買の取引の最中に救助された子どもたちで、私が生きる意味があるのかと思った人たちでした。
でも、その孤児院の500人の一人ひとりに夢がありました。
その夢に向かって一生懸命に、一本しかない鉛筆を10人で回しながら、必死に勉強していました。
孤児院には、算数オリンピックを優勝したり、インドで2位のシェフになったり、全額奨学金で海外の大学へ留学したり、そんなすごい人たちばかりでした。
「スラムから世界へ羽ばたく」
孤児院の創立者の言葉とキラキラ輝く500人を前に、私は命の無限大の可能性を知りました。
「貢献度が0の人は意味がないのではなく、一人ひとりがそれぞれの100を出せるような世界。そんな世界が私はみたい。」
「0の命(=意味のない)なんて本当はないんだ。」と気づきました。
生活する環境のせいで、命の可能性が奪われることほど悲しいことはないと思います。
「世界中の子どもたちが、自分の未来を自由に描けるように。」
この実現に向けて、手探りながらも起業しました。
これからも自分にできることを一つずつ取り組んでいきます。
私は沖縄に住んでいるただの19歳ですが、自分の命の可能性も信じています。自分の最大限を目指し、インドで出会った子たちのように、一生懸命生きたいです。
<素直な気持ち>
風邪をひいて、熱が出て、物理的に動けなくなったので、周りに多大なる迷惑をおかけしてしまいましたが、ゆっくり休むことができました。
いろんなことを考えたり、いろんな夢をみたりして、改めて有り難い出会いや経験をさせていただいている人生だなと思います。
だからこそ、たくさん学んで行動に起こしていきたい。
想いはあるのに体も能力も追いつかない自分が歯がゆかったり、悔しかったり、複雑な思いです。
もうぶり返さないように、体調に気をつけながら活動していきます!
風邪になる前の投稿「21日目の記事」はこちらです⬇︎
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