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正解でないことを進んでやる

<あらためて>

この1週間の話をここに書くつもりであるが、以前の私の話を聞いたり、理解している人には、私という人物がどれだけ社会の一般常識からかけ離れているのかを実感する記事になると思う。


しかし、私は人と違うことは昔は長所であると捉えられることが多かったが、今では主観的にも客観的にも長所であることの方が多いと捉えている。私はこれからも私であることの信念を強く持っていこうと思う。

この1週間、立てた計画の中では、自分が視察に行きたい子供たちへの支援事業を行っている団体や施設などについて調べ、アポイントを取ることであった。

しかし、私が行った活動はその計画とはかけ離れているものとなった。
私が行った活動は、コンテンツとなる自らの子供時代をもう一度細かく振り返るである。

社会常識を一応理解しているため、私の活動は一般常識的な考えではないことを先に明言しておく。

その理解がありつつ、私は計画していたものよりも自分が考えた上で最善となる道を選択したのである。

この選択のやり方はこれからの子供たちとの接していく中でも、子供たちに大切にしてもらいたい一部である。
自分がやりたいことで失敗するのか、やりたくないことで失敗するのか。
もし二つの選択肢が与えられているのなら多くの人が前者を取るであろう。

では、次の選択肢はどうだろう。

やりたいことはできるが、失敗した場合に自信が責任を取る「自己責任」
やりたいことはできないが、失敗した場合に自己責任の比率が減少する「他者責任」

社会では、多くのやりたいことがこのような責任体制になっていると感じる。多少は自分のやりたいことができる場合もあるが、少ないと感じる。

私は、この2択であれば、即答で前者である。
即答の背景には、私の孤独の力が隠れている。
本当の意味で自己に固執し、自己で責任を持つ。そうした子供時代があったことが、今回の私のLittle Youでの活動理由の一つといって間違いはない。

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私が語っていることは、多くの場合賛成されないものである可能性が高い。しかし、これからも計画をしっかり行い、自らが行動を選択していく。それが行えるからこそ私はこの活動に参加している。
  

<1週間の主な活動>

上記のことから、計画よりも最善の道として、コンテンツとなる自らの子供時代をもう一度細かく振り返った。

<夢への課題>

この1週間で取り組もうとしていた、自分が視察したい団体や施設へのアポイントを後に回した(しかし、これは次週で活動をしようと予定している)


<自身やLittle Youの変化>

前回と同様であるが、あまり変化はない。

しかし、この1週間の活動によって、自分のことがより好きになったという変化はあった。
理由は自分がなぜこのような人間になってきたかを理解したことによって、自分の再確認を行えたからである。

細かく語るとたくさんありすぎるため、大きな気づきを説明すると、私は与えられるものが少ない幼少期だったからこそ、誰かに頼る対象を自分にする比重を高くして生きてきたということがわかった。

だからこそ、どんな困難にも打ち勝っていけたのだと感じる、理由は、自分というものは唯一無二の存在であり、絶対的なものであるからである。


<次の1週間への意気込み>

次の1週間への意気込みは、自分という存在を最大の長所と捉え、いろいろな人の意見を取り入れつつ、自分が最善と考える行動選択を自らが決断する。

そうした結果、その行動に対する意味が何倍にも上がると考え、今後の活動の達成度や質が向上していくものと考える。
真っ先に浮かぶ具体的な目標は、団体や施設にアポイントを取り、できることなら、この1週間で視察まで行うことである。


その中で自らが考える最善の選択を行い、子供たちにとって恥じない存在でありたい。


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