sunflower
最近、心身ともに疲弊しきってしまっていて、常に不安がつきまとって押し潰されそうな気持ちで、体調面にも影響が出てしまい、ずっとこの状況から抜け出せないのではないかと怖くもなった。
そして抜け出せるきっかけになれば、と一冊の本を購入した。
その本を読み進めていくうちに自然と自分自身と対話をしたくなった。
昔からいつも難しい壁にぶつかったり悩み事ができたりすると自分の本当の気持ちと向き合う時間を大切にしてきた。
でも最近は忙しさからかその時間をつくろうともしなくたってしまっていた。
だから久しぶりの対話だったわけなのだけれど、今まで押し込めていた思いと一緒に涙がとめどなく溢れてきた。
私は『誰かのために』何かができることに人一倍喜びを感じる人間だということは分かっていたが、それが『自己犠牲の上に成り立っている』とまでは分かっていなかった。
その話を自分自身に語りかけてみると目から涙が零れて止まらなくなった。
『母にとって自慢の娘であるように』
『周囲の期待に応えられるように』
『友人にとって居心地の良い存在であるように』
『恋人にとって理想の彼女であるように』
私は無意識のうちに自分以外の誰かを主役とし、自分はその人の人生における脇役になっていたのだと気づいた。
その人の人生を豊かにするのは私の義務でも使命でも何でもなく、私には私の物語がある。
私の人生という名の物語における主人公は私自身だ。
それから、私を押さえ込んでいた『声』にもう耳を傾ける必要はない。
欲しいものがあった時に聞こえる『本当に必要?今使っているもので十分でしょ?』『そんなの子どもっぽいよ』という声も。
したいことがある時に聞こえる『絶対に続かないし、どうせすぐに辞めるよ』『今だけの感情でしょ』という声も。
全部全部無視していい。
欲しいと思ったものも、したいと思ったことも全て本心だからもっとラクにして全部叶えたらいい。
今までもう二十数年間もの間ずっと我慢してきたのだから、罪悪感も感じなくていいし、遠慮だってしなくていい。
これからは自分を幸せにするために生きて欲しい。
『私』が今日ここで今までの苦しさや生きづらさを終わらせるから。
どうか笑顔で生きて欲しい。
中学生の時に作文コンクールで書いた、
『向日葵は太陽に向かって、いつも上を向いて咲いている。だから私も向日葵のような人になりたい』
あの言葉を時々思い出して欲しい。
今からでもきっと間に合うから、
青空の下で立派に咲く一輪の向日葵に。
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