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後悔という名の一興

人生は後悔ばかりだ。
それは、大人になった証なのだろうか。
それとも、やり残したことに苛まれているのだろうか。


突然だが私は、もらった手紙を捨てられないタイプである。
24年の生涯でもらった手紙は全て、長さ30センチほどの長方形の段ボールに
入れてある。久々に読み返すと、嬉しく苦く懐かしい文字や記憶が並んでいた。

「ごめんね」の文字が目立つ気がした。
私はどうも、人に謝らせてしまう性質があるようだ。
責任を感じさせてしまうのだろうか。何年越しに申し訳ない気持ちになる。

うまく頼ったり、うまく甘えられないのは相変わらずで、
本音を打ち明けたり、感じていることを言えないこともたくさんあった。
いや、むしろそんなことばかりで、

その感情を隠し持ち続けながらその場にいるのが辛くなり、
何度も何度も何度も
私のその感情を知らない人がいる場所へ逃げてきた。

でも何かあったわけではない。
だからこそ、私の行動が心配であり、奇怪であり、不思議ですらあっただろう。
もう二度と会えなくなってしまうかもしれない別れの手紙に
「ごめんね」などと、性懲りも無く書かせてしまうのだ。


今なら言えるのに。今なら打ち明けられるし、心配もかけない。
今なら、今なら。
「こちらこそごめんね」となぜ言えない。


「経験値が少し増えたからそう思えるのであって、
その時のあなたはその時なりに、全力で向き合っていたと思うよ」
と、母が話してくれた。

たしかに、それもそうかもしれない。でも、
それでもやはり、悔しいのだ。
最後の言葉があの4文字で終わってしまうのは。
それに、経験を積んだからあの時こうすればよかった、こうできたのに、
と思えるのなら、
これから先もまた、同じように後悔ばかりじゃないか。
今というこの瞬間も、未来の自分から見たら後悔の塊なんじゃないか。

人生は後悔ばかりだ。


ただ、少しだけ大人になったような24歳の端くれは気づいている。
「後悔」という愛おしくも無駄な感情の存在に。
そう、しても無駄なのだ。その時間はどちらにせよ返ってこない。
あの時の誰かに何かを言おうとしてもできないのだ。

これからの、いつまで続くかわからない人生の中で返していくしかないのだ。
もらいすぎた「ごめんね」をたくさんの「ありがとう」の花に変えて
返していくしかないのだ。
そうやって大切な誰かのためのこの命を使って、より愛すべき時間に
していくしかないのだ。

人生は後悔ばかり。でもまた、それも人生の一興である。


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