本の厚みって意外と必要ないって話

私は本というものが苦手だ。
読むことで教養が身に付くとは分かっていながら、やはり何時間もかけて文字を読むという行為に難儀する。

そこで本の読み方を検索すると、かいつまんで読むと良い、自分の読みたい部分だけを読む、みたいな回答がチラホラと見つかる。
確かに一部だけ読むというのは負担が少なくて助かる。

でも、その分野のことを何も知らないとなれば、そもそも全体を把握しないと何が不要なのかさえも分からないだろう。
という訳で、私はひたすらに読むことを選択せざるを得ない。

ところで、本ってあそこまで厚い必要があるのだろうか?
以前、私は自己啓発本にハマっていたのだが、それ関連の本って大抵一言で纏められるものばかりだ。

1つの意見を補足するために数多の例えを出していく。
それが自己啓発本もとい、本の基本的な構造だと思う。

本の感想を述べる際、何時間もかけて読んだから素晴らしい感想文を捻り出したいと思う。
しかし、頭の中にあるのは抽象的で、簡潔な内容説明のみである。

小説の帯に書かれている煽り文みたいなもので、そこに大まかな流れが乗っており、その連結部となる細かな箇所は記憶として残っていないものだ。

本って纏めると1文で収まるのではないかと、私は思っている。
題名なんてその意見を具現化したものだ。
本は別に厚くなくても良い。

ただ、抽象的な印象を何回も重ねることで記憶に残り、段々と濃くなって具体的なイメージに変わっていくのだろう。
そのために、本は厚くないとダメなのかもしれない。


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