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LITALICO研究所 OPEN LAB

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#LITALICO

「生きづらさ」がマジョリティとなる時代にー熊谷晋一郎さんが語る当事者研究の可能性

食事をする、移動をする、働く、遊ぶ、語り合う。私たちが生きていく上で抱く欲求や願い、それ…

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「痛み」と共に生きながら、一人ひとりがウェルビーイングに至るには。LITALICO研究所…

※本記事は2019年8月30日に実施したイベントのレポートです。 昨今、耳にすることの多くなっ…

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「身体と社会は対立するものではなく、フィードバックし合うもの」マイノリティ当事者…

人はそれぞれ違った顔の形、体型や性格、コミュニケーション方法を持っている。客観的に見ると…

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からだを広げるテクノロジーは、人の可能性と自由意思も広げていく:WITH ALS・武藤将…

文化人類学者のエドワード・ホールは、著書『沈黙のことば』にこんなことを書いている。 「今…

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「自分らしさ」と市場経済のはざまでーー。就労支援、企業経営、当事者の立場から障害…

働くことは難儀なことだ。社会的マイノリティ当事者が企業で働こうとするときには、特殊な難儀…

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同じになろうとしなくていい。「ちがい」へのまなざしが、関係の網の目を拡げていく

家にいても育児やら掃除やらやるべきことはたくさんあり、会社では売上に貢献しなければいけな…

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漠然とした「不安」が人の生死を左右する。抗うために必要なのは、「生きる」方法を事実として知り、分かち合うこと

新型感染症の世界的流行という未曾有の社会情勢下で、私たちは今、これまでになく「医療」と「自由」を巡る自己決定を求められています。他人と自分の命を守ることを、これほどまで要請されたことがあるでしょうか。一方で、それが自由とのトレードオフであることが、事態をより複雑かつ困難にしています。 この「医療」と「自由」のせめぎ合いは、実は古くて新しい問題です。医療の発展による、出生前検査の普及、人工呼吸器装着のための気管切開という選択。相模原・津久井やまゆり園の殺傷事件――。いずれも、

孤独も傷つきも、抱きかかえたまま今日を共に生きて居ること

ただ、そこに隣り合って「居る」こと。 それまで私は、「居る」ということがきわめて受動的と…

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