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My life has just begun

巻き込まれた。

政治的意図などまるでなく、私は単に世界平和に貢献したいだけだった。

アフリカ出身の私費留学生と付き合っていたのは、一つには中学時代のALTの先生の影響が大きかったと思う。

彼のおかげで私は、英語が好きになった。

「仕事として」教師をやっている多くの日本人の先生とは、その先生は違っていた。

アメリカのテネシー州の出身だった。

人見知りが強く、学校に居場所を見出すことのできなかった私に、親切にしてくれた。

いじめられはしなかったが、田舎の閉鎖的な社会で、このままここにいても将来が見通せないと思ったので、勉強を頑張った。

先生に褒められると、同級生は離れていった。

幼い頃は天真爛漫だったらしいけれど、学校教育の中で自己主張をあまりしない事で身を守るという日本社会における生き方が身についていったと思う。

大学受験は、公立の大学だったけれど、3教科で臨んだ。世界史、国語、英語。

2次試験は、英語と小論文だった。

塾には高校受験時の3週間しか通ったことはなく、勉強方法は学校で習ったことと自分でそれを補強したり修正をかけたりという方法だった。

その後大学院に入ったところを見ると、やはり一番好きだったのは、文章を書くことだったのかもしれない。

ドイツでのNGO活動から帰ってきて、自分も何か専門性が欲しいと思った。

だから、大学院に進学した。

ドイツでのNGO活動への参加者達は皆、堂々と自分の意見を述べた。

自分の意見を言うと嫌われる日本とは大違いだと思った。

男性はレディファーストで、お姫様でもないのにこんな扱いしてもらえるのかと思った。

私は日本人だけど、日本社会にはずっと違和感を感じていたのだと思う。

「人種」という考え方にも私は疑問があるので、この言葉を使う時には私はカッコを付けることが多い。

「白人」や「黒人」は日本人より優れている、とかそういう単純な話ではない。

「黒人」とよばれる人と実際に付き合ってみたけれど、黒人の方がもしかしたら男尊女卑思想は強いかもしれない。

人にもよるとも思う。

でも、いつも思うのだけれど、男尊女卑思想の背景には、それとは裏腹の女性への絶対的な信頼があるように思う。

彼と付き合っていたから、私はストーカー被害に遭った。

彼は日本のODAについて研究していた。

母国では新聞記者をしており、ある程度キャリアを積んでからの留学だった。

日本語が大好きで、漢字や相撲、落語が大好きだった。

日本語学校であいうえおから習い、博士課程で日本語で論文を書くくらいなのだから、その力と努力は相当なものだったと思う。

国費留学生でもない。

仮にどこかからの息のかかった存在だとすれば、日本の留学生生活で苦労なんてしていないだろう。

(大学院では東南アジアの王族の娘の留学生などもいた。彼女はGAFAの社員と結婚した)

私も彼も政治的な活動をしていたわけでもないけれど、おそらくアフリカ人が日本の主力の外交政策であるODA政策について日本語で研究するということ自体、前例のないことであり、警戒されたのだと思う。

人は甘く見られているうちは、ちやほやもされる。

私自身の研究テーマは、"日本NGOにおけるジェンダー問題への取り組みーネパールを事例国として"というものだった。

"援助"と"女性"に、人間が幸せになるための鍵があると考えていた。

ネパールを事例国として選んだのは、当時女性の地位が世界で一番低いと言われていたこと、そして日本のNGOの活動が活発だったという理由からだったが、

これについては今に至るまで、私が考え取り組み続ける生涯のテーマとなっているように思う。

2003年から1年余りにわたって、私は大学院の学内および電車内でいつも同じ男に会った。

最初はもちろん、気のせいだろうと思った。

でも、毎回会う。

こんなに知らない人で毎回毎回会う人はその人だけだったので、恐怖心とストレスを感じながらも、私は彼の顔を似顔絵に描けるくらいだった。

彼の似顔絵と遭遇の記録は、私が修士論文を提出して教授達より高く評価していただいた、その後に大学の学生課に提出した。

2004年の2月のことだ。

私の指導教授は、韓国人の女性の先生だったが、彼女と彼女を指導する立場にあった日本人の男性の教授にも相談した。

中沢先生には、私の論文の査読をしていただいたが、指導教授ではない。

当時私は右も左もわからない田舎出身の学生に過ぎなかったが、修士の時は中沢先生だけではなく他分野の他の先生達からも褒められることが多かった。

中沢先生には、「良い研究者になるよ」と言っていただいた。

それを聞いた指導教授や他の先生は、修士論文の口頭試問でのけぞった。

私が修士論文を提出することができるとも思っていなかったのかもしれない。

その女性の先生(李先生)とは、私が郷里に帰って療養生活をしていた2006年か2007年に母とともに仙台で会っている。

ヨガの勉強を深めるため、リベンジで再度東京に出てきた2018年3月には、東京で一緒に食事させていただいた。

うちの母の1歳上。髪には白いものが混じるようになっていたが、相変わらずエネルギッシュな感じだった。

「千葉さんも変わらないねー」と言われた。

1人息子は弁護士になられたという。

今、私がここに書いていることに裏付けを出すこともできる。

これ以上の具体的な情報も、もちろんまだまだある。

でも今日は、この辺にとどめておこう。

とにかく私は2021年8月に、ヨガの習従によって自分の過去と現在と未来が繋がったのだ。

自分はおかしくなんてなかった。

そのために私の人生の貴重な多くの時間を苦しみとともに過ごすこととなった。

この話も、するべき時が来たなら、きっと話すことができると思う。

今のこのコロナの世で起こっていることと、まったく同じ構造のなかで起こった人権侵害であった。

私は、女性の抱える問題の少なくとも半分は、女性自身が自ら変えることができると思っている。

女性の味方は女性、は嘘だ。

日本人の味方は日本人、も嘘だ。

とにかく、何が本当で何が嘘かは、自分の目で見極めるより他ない。

日本ではとにかく「従順であれ」という社会からのメッセージが強いように思う。

それに従うことができない、「自分」というものをしっかり持ち、自分の頭で身体でものを考えることのできる人がむしろ、変わり者とかビョーキ扱いされるのだと思う。

現に、現在このおかしなコロナの世でワクチンに対し違和感を感じ打たなかった人はみな、変わり者扱いされてきた人ではないか?

(体制側の打ったフリして人を欺いた詐欺師は除く)

打ってしまった人は、社会の「常識」なるものを信じ、有用で有能と評価されてきた人達ばかりではないか?

一番罪深いのは、日本社会においてアメリカや中国、韓国の言いなりになり、自国民を売ってきた日本の中枢部の人間だと思う。

政治家、官僚、製薬企業、日本医師会、メディア、加うるに、一般の無数の「常識」人達…。

彼らは、殺人を犯している。

もう我慢しなくていい。

もううんざりだ。

人を騙し誘導して自らの利益としてきた人は、自らの罪を悔い反省して、自首しろ。

今、日本でも逮捕劇が始まったばかりだ。

ざまぁみろ。

私の人生は今、始まった。

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