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2021年6月の記事一覧

「〜しながら食事」ではなく、食事マインドフルネスを実践しよう。

「孤独のグルメ」の井之頭さんを尊敬している。井之頭さんほど、食べることに集中できる人を他に知らない。仕事や遊びについて一切思いを馳せることなく、食べ物の匂い、食感、色、味に全神経を集中させた食事をするのは簡単ではないと思う。 Youtubeを観ながら、音楽を聴きながら、仕事の進捗具合を頭の中で整理しながらなど、「〜しながら食事」をしている自分を振り返る。むしろ、食事にだけ集中していると、時間を無駄にしているのではないかとさえ感じてしまう。 食事の満足度を向上させるため、1

愚痴る能力

愚痴る人は「現状に対してただ不満をぶちまけている人」と思っていた。しかし、最近は愚痴る重要性を感じている。 愚痴る人は現状に対して不満を感じている。つまり、愚痴るためには現状に対して常に批判的な態度で接する必要がある。これは簡単なことではない。 現状に対して「まあ、しゃーないか。」と流していた。しかも、そんな自分を"細かいことは気にしない寛容な自分"というように自画自賛していた。目の前で発生する事象に対して違和感やストレスを感じても声を上げず、誰かと共有することもしない。

「自分は特別な存在である」という妖怪

人間は誰でも今この瞬間から幸せになれると信じている。幸せであるかどうかは自分で決めることができ、何かとの比較によって決まるものではない。だから、「自分が自分の人生に納得できていれば幸せで、それ以上は何も求めない。求め続けてもキリがない。今の自分で最高じゃないか。」と考えることが好きであり、日々実践している。 しかし、「自分は特別な存在である」という妖怪が容赦なく襲いかかってくる。 「自分は特別な存在なのだから、もっと大きな何かを成し遂げられるんじゃないか?そんな人生でおまえ

多様性に対する勘違い

「多様性とは、日本人だけでなく国外出身の人々の意見を積極的に取り入れることである」 学生のころ、上記のように考えていた。しかし今では、この考えは見当違いだったと思っている。なぜなら、国籍や人種とは無関係に、人間は各個人がみんな違うと気づいたからだ。誰1人として同じ人はいない。つまり、各個人は出身国が異なるという以前に、1人の人間として異なっている。。したがって、女性だけの団体でも、日本人だけの職場でも、黒人だけの組織でも、多様性は確実に存在する。 この考えに至った時、これ

誰もが悩みを感じている

周りの人にはいつも「人生を常に楽しんでるね、悩みとか全くなさそう!」と言われる明るい人でも、いつもひょうひょうとしてマイペースで生きていそうな人でも、誰もが例外なく悩みを抱えている。悩みの大小は関係ない。 そして、それは外から見るだけではわからない。悩みや不安を感じているとき、自分の気持ちを素直に話せる相手がいたらどんなに安心できるだろうかと思う。周りの人が僕に対して素直な気持ちを吐き出せるように、僕も周りの人に対して素直な気持ちを共有していきたい。 悩みは共有するだけで

書きたい

書きたいと思う。その日、その瞬間に感じたことを書きたいと思う。書くことで、自分が感じていることに向き合いたい。自分と向き合って、自分に沿って生きていることを確認したい。 人の感性や考え方は、日々変わるものだと信じている。書くことで、その変化に対して敏感になりたい。変化に気づいてあげたい。自分の感性や考え方が、他者に流されていないこと、自分が納得するものであることを、日々問い続けたい。

自分と対話する時間

自分と対話する時間を大切にした。 自分と対話することで、「自分が本当に生きたい人生」を送れているかを内省できる。自分と対話する時間がないと、「世間が求める人生」を生きてしまう。その方が楽だからだ。 また、気が向いた時にだけ対話の時間を設けるのではなく、「1日に1回」「週に1度」というように、意識的に時間を設ける必要がある。なぜなら、意識的に時間を設定しない限り、日常で自分と対話する時間を取ることは極めて困難だからだ。スマホ、SNS、Youtubeが僕たちの余暇を潰そうと本

僕が考えるリーダー

どのような人をリーダーと呼ぶか。どんなリーダーについて行こうと感じるか。そして、自分はどんなリーダーになりたいか。多くの書籍や人々がこれらの問いに答えようとします。それ故、リーダーについて無数の定義が生まれています。 僕が考えるリーダーは「隣にいる人を本気で気にかける人」です。 職位や年次は関係ありません。職位とは無関係で、決意した人は誰でもリーダーになれると信じています。そして、今この瞬間からリーダーになれると信じています。自分のことを本気で思ってくれる人について行きた

無知の知に満足する自分

無知の知に満足している自分に気がついて自分で恥ずかしく感じることがある。例えば、難解な哲学書を読みながら、「ん〜、良いこと書いてあるんやろうけど、よく理解できやん。まあ、理解できないことを理解しているから、ええやろー。」 他にも、最新の科学技術や情報技術の話題に触れても、「ん〜、なるほど。これはすごい技術やな。すごい技術なのはわかるけど、詳細は理解できやん。まあ、理解できていないことをわかってるから、ええやろ!」 自分は何も知らないんだと自覚することは悪いことではない。で