ケアの行き詰まりを打破するのは、擬音語#7「介護するからだ」

面白いと思った点は以下の3点です。

ケアの技、「相手のやっている動作に合わせて擬態語・擬音語を唱える。」

飲水介助のとき、介助者が口元でコップを傾ける。

「ごく、ごく、ごくん」と言い、最後の「ごく」が終わるちょうどそのタイミングで、本人がすぼまった口を湯呑みから離す瞬間にコップを縦に戻す。

擬態語・擬音語を介助動作に添えることは、ただ相手のやっていることを描写するだけではなく、援助者と本人が互いの動作を合わせるために行われている。

・良きナビゲーターになるには、自分と相手との間に、どのような感覚や認知の違いがあるかを知る必要がある。

車椅子介助の練習のため、アイマスクをつけて介助の練習を行う。マスク役とナビゲーター役を経験し、援助を受ける側の感覚や認知の違いに気づくことができる。

・ベテランヘルパーは、生活動作を分解し、本人が自分の力でやり遂げられるようにサポートを行っている

認知科学者のドナルド・ノーマンは、日常生活で間違えてしまう「スリップ」を比較検討した。「スリップ」の背景には、行為を行う時に自分の知識をうまく組み合わせて行う行為を練り上げる過程、つまり「スキーマ」が働いているのではと考えた。

その理論に基づくと、トイレに行くという行為「スキーマ」は、以下のような小さな「スキーマ」が階層的に連なって、その行為を可能とする。

<<トイレに行く>>という親スキーマが働くと、その場の状況に左右されながらも、無意識的に、<立ち上がる><トイレまで歩いていく><トイレのドアを開ける>などの小スキーマを行っているという。

しかし、私たちは、日常の中で間違い、「スリップ」起こすことがある。「行為の意図に関わるスリップ」(メガネをかけていないのにメガネを外そうとする)、「スキーマの活性化に関わるスリップ」(お茶を入れかけて、子供の声がした瞬間に注意が逸れてお茶をこぼす)などがあるとノーマンは分類したそうだ。

認知症を持つ高齢者は、これらのちょっとしたスリップにしばしば本人だけでは乗り越えることができない。でも、「なんでできないの?」といい、本人の認知機能のせいにしている限り、行き詰まる

●私の思ったこと

行き詰まりを解消するために、ケア提供者は、無意識に、擬音語や擬態語を駆使して行為を遂行できるよう息を合わせるケア行為となるように創意工夫している。

 それだけではない。どの動作に障害があるのかを事前に、ケアの最中にアセスメントしている。

例えば、排泄障害のアセスメントでは、障害されている排便動作を査定する。尿意・便意の知覚はあるか、トイレの移動、衣服の着脱を行う(着脱に必要な握力や手指の運動は?その動作を行うために必要な衣服を着ているかなどの観察も含む)、後始末ができるかなどに分解できる。

あるいは、摂食・嚥下機能障害のアセスメントにおいても、5期モデルは有名である。先行期(食べ物の認知)、準備期(口に入れて咀嚼・口を閉じられるか)、口腔期(舌を動かし、口の奥に送り込む)、咽頭期(咽頭から食道に送り込む/気道を防御する; 大脳皮質で嚥下反射の惹起をコントロール、咽頭粘膜に感覚入力、嚥下筋に運動出力)、食道期(食べ物を胃へ送り込む)。どの期の摂食・嚥下障害かをアセスメントし、適切なケアを行うことが求められる。

このように、私が知る限りにおいても、排泄行動、摂食・嚥下に関わる行動など、日常生活動作のメカニズムは解明されている。実践はさらに複雑で、特定のケアに充てられる時間は有限であり、個々が優先順位を判断して行われている。

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