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あのお知らせから7週間後の、今の心境

sumikaのギタリスト、隼ちゃんの四十九日が昨日だったので、東寺にお参りして写経してきた。

四十九日までは魂は地上にいて、未練もあれば悲しい気持ちにも苛まれているけれど、四十九日が終わると成仏して空に帰っていくらしい。

ちゃんと帰れたと思う。
あんなに優しい人だったから。
人生の先輩としてずっと尊敬していたい、そんな人だったから。

私も、四十九日を過ぎて少しずつ変化も出てきている。
まだ悲しみはどっかりと心に居座っているけれど、それも悪くない、と思えている。

寂しさは消すものではない。
ずっと寂しさと一緒に、寂しさを連れて生きていこうと思う。


sumika以外の音楽が何も聴けなかった私は、少しずつ色んな音楽を聴くことが出来るようになった。

昨日から、ラジオも聴けるようになった。
(仲良しの友達からマツコの知らない世界のaikoの回をオススメしてもらって観たのがきっかけ)

この一連の流れをボーッと考えていてふと、造血幹細胞の移植みたいなことが起こったな、と思った。(例えが良くないかもしれない。)
白血病などの治療の選択肢のひとつとして使われているものだ。

簡単に説明してみる。
フルで移植をする場合、一旦できるだけ全ての自分に元々あった免疫細胞を殺す。これは他人の幹細胞をせっかく移植しても、それを免疫細胞が排除してしまわない為だ。そして移植をして、自分の骨髄に根付かせる。
一旦白血球やリンパ球などがゼロになる期間があって(無菌室に入ることになる)、それから元々自分のものでない免疫細胞をその無地の所に入れていくのだ。

免疫細胞がきちんと根付いたら、かなり寛解には近くなる。
自覚としても元気になっていくのが分かると思う。提供してくれた人の細胞のおかげだ。

しかし白血球の型(HLA)が同じであれば提供者になれるので、移植前後で血液型が変わる人もいる。(血液型は赤血球の型。)
移植の前後では(特に自覚的、他覚的な変化は無くても)「変わってしまう」のだ。

ヌルッと説明してみた所で、私の話。
私は元々音楽を聴くのが大好きだ。sumikaに出会って音楽の趣味が広がり、沢山のいわゆる「邦ロック」を聴いてきた。もちろん洋楽も好きだし。

それが、隼ちゃんが亡くなってからしばらく本当にsumikaしか聴けなくなった。ラジオなんて以ての外、という精神状態だった。
sumika以外の音楽の趣味が完全にその時ゼロになってしまったのだ。
ある意味、非常事態だった。

7週間が経った今、少しずつ少しずつ、色んな音楽がイヤホンから鳴るようになってきている。
そして面白いことに、今回の事が起こる前とは違う音楽たちが、違う聴こえ方で鳴っている。

今までなら聴かなかったバンドや知らなかったバンドに興味が湧いた。
歌詞を追って聴くだけではなく音に注目して聴くことが出来るようになって、インスト曲やジャズも聴けるようになった。
今まで聴いてきた曲を聴いても、異なる印象を持つようになったと思う。

ラジオも今までFM802一辺倒だったけれど、色んな局のを聴いてみようと思っている。

血液型が変わったかのように、不可逆的な変化が起こっているなぁ、と感じている。


変化。


隼ちゃんが亡くなったことがいつまでも人生の転機として記憶に刻めるように、無意識に変化している部分もあるのかもしれない。

もう私にはある程度免疫細胞があると思う。まだ万全では無いけれど。
でも必ず何かが変わってしまったし、それは例えるなら「血液型」だし、もう私は戻りたくない。
人を亡くしていくことが「大人になる」「成熟する」為に人生のどこかでプログラムされている事なら、隼ちゃんを亡くした今、しっかりと大人になりたい。


隼ちゃんは大きな変化を私にもたらすに十分すぎるほど大きい存在だった。


昨日、久しぶりに家で一人になった時に、歌が歌えた。
この1ヶ月半、出来るだけ歌は歌わずに生きてきた。あの時以前はほぼ毎日歌を練習していたのに。
歌を真剣に歌うと、ものすごく気持ちを乗せることになる。
例えそれがカバー曲でも自分なりの解釈と気持ちを乗せて叫ぶ感覚がある。
この1ヶ月半の間はそんなことをすると泣いてしまうような、ギリギリの精神状態だったのでとても歌える状態ではなかった。

少しずつ、戻るべきところは戻っていく。


変化。
ゼロの状態から、変わったり以前に少し戻ったりする。



さっき、お参りの帰り道に昔の通学路にあるミスドに寄った。

中高6年間は、通学路にあまりにもしっかりと面しているせいで寄ることが無かった。

店内には母校ではない高校のカップルがいて楽しそうで、「中高生でドーナツ屋さんデート」ってベタで可愛いな、なんて思った。
そう思った、ある意味大人目線で見てしまっている自分がなんだか面白かった。
やっぱり少しずつ、感情の種類も増えてきているみたいだ。

立地的に寄ることは無かったあの頃、今より何も見えていなかったあの頃が懐かしい。窓の外にはたくさんの母校生が歩いて帰っていた。

もうその行列には私の知り合いはほとんどいない。
先生達の顔ぶれも変化したかもしれない。

じゃあ母校の何を今愛しているのって、当時の記憶とそれから場所なんだろう。

在学中から大好きだった校舎や、門をくぐる時のあの感じや、通学路の絶妙な長さ。
そういうものに自分の大切な記憶を呼び起こしてもらって愛おしく感じるのだと思う。

だから、何度でも帰ってきたらいい。
辛くなった時も、ふと帰りたくなった時も、
何度でも東寺に帰ったらいいんだな、と思った。

そして今日みたいに写経してお参りしたら、きっといつでも隼ちゃんに会えると思った。

まだ完全に大丈夫ではないけれど、こう思えているからきっと大丈夫。
(大丈夫だよ、とよく笑っていたあの人が頭に浮かぶ)

もう目に見える実体としての隼ちゃんはいないけれど、それでもその魂がどこかで笑っていると信じたい。
そう思うと本当にセカオワの「周波数」が刺さる。

目に見えないものを
信じていたいと思う
もう会えない人たちと
今でも会いたいから

周波数/SEKAI NO OWARI

隼ちゃんが亡くなった2月末から時間が止まったような、あまり時間が経っていないような感覚に襲われるけれど、季節はしっかりと動いている。
隼ちゃんのギターと、下ハモが入った、このセンスの良い曲の季節だ。
(とか言いつつ一年中聴くのだろうな)

春だね。


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