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ギリシア神話を語る

オデッセイの当落でしたね!
当選された方はおめでとうございます!

なんだか朝からソワソワしてしまい、気を紛らわせるために夢介の解説をブラッシュアップしていたら10時を過ぎてました。結果は惨敗。悲しみを振り切るためにキャスト一覧が出る前に書いておこうと思っていたことをまとめます。

ヘレニズムの世界史的立ち位置

ヨーロッパの文化史を紐解くと、2つの源流が存在します。まずひとつはヘブライズム。これはヘブライ人、つまりユダヤ人によるキリスト信仰を中心にした文化です。これに対する立ち位置にあったのがギリシア人のヘレニズム

かの有名なアレクサンドロス王が東方大遠征(制圧)を成し遂げた際にオリエントの文化とギリシアの文化が融合して生まれたのがヘレニズム。紀元前300年代のことですね。ここで言うオリエントは現在のアフガニスタンあたり、つまり中近東アジア地域のことです。プラスしてエジプトも入るか。ちなみにこの頃の日本は弥生時代。

ギリシアってヨーロッパの中でもこの地域にほど近いので今の感覚だと大遠征ってほどでもない気がするんですが、この当時だとまず認知されていた全世界の範囲が狭かった(=当時知られ得た世界の大部分を圧巻したことになる)わけですし、羅針盤すらなかった時代に大変なことを成し遂げたことは確かなのでそれはさておき。

つまりヘレニズムはアジアからの流れもくんでいるわけです。これに対するヘブライズムはというとヨーロッパに深く根を降ろして猛烈に発展していきます。

さてこの2つ。大きな違いは多神教か一神教かという点です。まずヘブライズムはキリスト教文化ですからもちろん一神教です。一神教はひとりの神のもとでみな平等というのが基本の信念ですね。平等だから困っている人がいれば助ける。つまり慈善的行動性が強い。ただし一神教ということは自分たちが信じる神以外の存在は認めませんので、対外的排他性も強い。

それではヘレニズムはというとギリシア神話を考えるとわかりやすいですがバリバリの多神教思想です。多神教は生まれた地域だったり生い立ちや環境それぞれに合わせた個別の神さまが存在しているというイメージ。人はそれぞれ違う存在なのだという個別的寛容性が高いのですが、同時にその違いは生まれ持ったくつがえせないものだとしてキリスト教にあるようなチャリティー文化は発達しにくいのが特徴です。例としてはインドのカースト制などなど…。

この2つの文化を世界史で語るとなると、基本は合理的な知識革新を目指そうとしたヘレニズムが生まれ、それを伝統一辺倒の論理でおさえつけたヘブライズムにより人間の知の発展は低迷(いわゆる中世あたり)、しかしヘレニズムが見直されたことでようやく近代化の歩みが始まった!という感じになります。歴史が流れに流れついた結果という印象。

古代ギリシアの美的観念

ヘレニズムの世界史上の立ち位置はわかってもらえたと思うので、今度はそれが生まれた背景、つまりヘレニズム文化のひとつ前にあたるギリシア文化を語ってみます。

ヘレニズムはオリエントの文化をがっつり吸収したことからもわかるように寛容の文化です。とにかく良さげなことは何でも取り入れちゃうしガンガン外に出ていく。これが知的探究心の礎となり科学や法の発展に繋がっていくのです。ヘレニズムを説明するとき、その舞台となったギリシアの先史にもふれておく必要があるのでその話を。

暗黒時代といえば魔女狩りを始めとする西洋史中世のイメージが強いのですが、専売特許というわけでもなくて世界各地に暗黒時代と呼ばれる時期があったりします。ギリシアの場合この地で最初に生まれたのはエーゲ文明ですが、紀元前1200年あたりまでにすべて滅亡。ヘレニズムに続いていくギリシアの文化はここから500年ほど空白期間、つまり暗黒時代が存在するのです。その理由は謎とされます。

ただ古代ギリシア人ってとにかく好奇心の塊なので、廃れたというより新しいものを取り入れた結果に大きな技術革命がいきなり起こってしまってその前後に隔たりがあるように見えるだけではという説もあり。

この暗黒時代、ギリシア人は文字を失います。それでもギリシア人は口承によりギリシア神話をルーツにする物語を言い伝え、この後紹介するギリシア文化の成立を期にふたたび文字を得ることで「イリアス」そして「オデュッセイア」などを始祖とするギリシア文学が形になるのです。

さて、最終的にはこのギリシア文学の古典のひとつであるオデュッセイアの話をしたいのですが、ここでいったん時代を通り過ぎて美術史の話を。エーゲ文明滅亡後、暗黒時代を経てまず当地に生まれたのはアルカイックスタイル。自然美を追求してリアルなままに生命が宿っているような表現を目指しました。続いたクラシックスタイルは自然主義の完成といった感じでコントラポストの美が確立します。コントラポストというのは人間というものを表現する際のテクニックのひとつ。正対直立する像よりも、腰や首に大胆なひねりを加えた姿の方が美しいとされるやつ。絵を描いてる方なら美術解剖学の本でたびたび見かけるワードだと思います。

このように美を追求してきたギリシア人がたどり着いたのがヘレニズムスタイル。ちなみにこの美の追求というのは大げさじゃなくて、ギリシア人はとにかく芸術全般において完全な美しさを求めました。それにより音楽や美術(彫刻)が栄えに栄えたのです。完全な美しさとはつまり、完全な存在は美しいということ。だから完全美を表現する題材として神が選ばれたのですね(おやようやくギリシア神話の足音が…)。

すでにクラシックスタイルの時点で自然美は確立したといわれているので、さぞかし次のヘレニズムスタイルはよりリアルに近づいたと思うでしょう。しかし実際はコントラポストを実践しすぎた不自然な像が多くなり、ここに自然から離れた美の萌芽がすでに見られるという状態になります(以降美術史では依然として自然美が追求されまくるけど)。ちなみに感情をむき出しにするのは恥ずかしいという考え方が広まったのもこの頃。ミロのヴィーナスなんてわかりやすく無表情です。これに対応した感情表現の場としても文学が盛り上がっていったのかもしれませんね。

ギリシア文学の誕生

これらギリシアの美術史の成立(アルカイックスタイルからヘレニズムスタイルまで)を年代で考えたとき、だいたい紀元前650年から350年あたりとなり、この始まりの紀元前650年前後の時点ですでにギリシア文学は存在しています。オデュッセイアが成立したのもだいたい紀元前800年あたり(諸説あり)。

ここで注意しておきたいのがギリシア文学=ギリシア神話を元にした作品群ではないということ。古典期の作品は確かに原典をギリシア神話に求める作品が多いのですが、ギリシア文学は現代まで続くひとつの文学史上の傍流にすぎず、そのうちの古い作品はギリシア神話を元にした作品が多いよ〜ってだけです。

ギリシア文化(BC650〜)、そして続くヘレニズム文化(BC300〜)が生まれる以前に存在していたギリシア文学の古典・オデュッセイアを解説するのになぜその成立後に発展する文化に先に焦点をあてたかというと、オデュッセイア、というよりギリシア神話そのものがすでになんとなーく「知的好奇心」とか「探究心」とか「完全な美を神に求める」とか「芸術大好き」な一面を持つからです。

さてここから先は歴史というより単純にギリシア文学の古典・オデュッセイアの原典としてギリシア神話を紹介していきましょう。でもその前にひとつだけ確認。

ここまでの説明でわかるようにギリシア文学の古典であるオデュッセイアの原典となったギリシア神話について、キリスト教との直接的な関わりがないことはもうわかりますね?ギリシア神話は多神教。キリスト教は一神教。この二者は実際には互いに似たようなエピソードを持っているのもあり全く無関係と断言することはできませんが、とりあえず成立の経緯にはかなりの距離感があることさえわかってもらえたらよし!

ギリシア神話の特徴

すでにさんざん説明してきたギリシア文化やヘレニズム文化の時代の人々にとって、ギリシア神話は教養として求められた「必修科目」のひとつです。これはギリシア内に限らず地中海地域全般の。

暗黒時代にギリシア神話は口承で伝えられたと紹介しましたが、これはどちらかというと洗練されたという感じに近く、暗黒時代に終止符が打たれたのと同時にギリシア神話そのものやそれを題材にしたオデュッセイアなどの作品が文字で記録されただけにすぎません。つまりギリシア神話の発祥自体はそれよりも前の紀元前1500年あたり。エーゲ文明滅亡が1200年あたりなので暗黒時代が始まる少し前。イリアスとオデュッセイアはギリシア神話の口承期の集大成的な立ち位置にあります。「口承期」とつけたのはこの後も様々な人々によってギリシア神話は整理・肉付けされていくからです。

ヘレニズムの次、ローマ文化以降ギリシア神話はふたたび弾圧の憂き目に遭います。これは冒頭に書いたヘブライズムとの関わりの通り。ギリシア内においてもキリスト教の伝播により重要な教養という立ち位置から異端的に扱われるようになります。しかし何度も世から追放されかけながらギリシア神話は生き延びこのように現代にまで伝わっています。それはまるで不死鳥のように…。

ギリシア神話の特徴としては2点ピックアップしてみます。まず登場する神々がやたら人間味があるように描かれていること。もちろん神なのでやることなすことリアルな人間のスケールを超越してはいるんですが、動機がやたら生々しい。現在伝わっているギリシア神話はローマ時代に脚色されまくったものなのでそのせいもあるかもしれない。

そしてもうひとつが終わりが描かれないこと。世界の始まりの話はありますが終わりは描かれません。これはキリスト教が持つ終末思想とは決定的に異なる点です。これ、言いかえるとギリシア神話は不死の世界観を持つんですよね。念の為言っておくと神話なので死なないのは神です。やっぱり不死鳥的な性格があるギリシア神話。

神は完全な存在ですから死なないのです。だけど人間は死ぬ。それでも人間の中には英雄と呼ばれる存在がいて、出自やら宿命と戦いつつ、しかしやはり死ぬ…。こういった悲劇性も不死である神との対比により生み出されていきます。儚き生を物語のテーマとして味わう趣きがこの時代からあったのですね。まあ同時にいわゆる好色と呼ばれるアレな話もこの時代からあったのですが。人間が好むストーリーって意外と古今東西変わらないのかもしれない。もちろんギリシア神話そのものにもなかなかに際どいお話がありますので興味がある方はゼウス、ヘラクレス、アフロディーテ、ヘラあたりの神々を調べてもらって…。

まとめるとギリシア神話とは神さまが引き起こす数々の騒動を集めたものって感じです。

叙事詩・イリアス

ギリシア文学の古典としてオデュッセイアを取り上げてきました。その形式は叙事詩と呼ばれる韻文。これは出来事を淡々としるした文章のかたまりです。かたまりと言ったのは、叙事詩といえばある程度の長さを持つ神話や民話によく見られた形式だから。ちなみにその内容が実在したかというと大部分がフィクションだと思われます。それもこれも神話や民話といえば口承で伝えられてきたお話ばかりだから。話を聴く観客の反応によって時々で脚色したり、時間が限られている日には省略して語られたこともあったでしょう。オデュッセイアもギリシア神話の口承の集大成でしたね。さらに叙事詩の特徴といえば後世に「教科書」的な使われ方をされたという点。ギリシア文化の時代ですでにオデュッセイアはそういう扱われ方をしました。

ここまでは叙事詩の形式的な説明でした。それではストーリー展開はどうかというと「戦争物語」に尽きます。もれなくオデュッセイアも争いばかり描かれています。ところで先ほどオデュッセイアと前後して生まれたイリアスという作品も紹介しました。朝美さんがキャスティングされたアポロンの説明を考えるとイリアスの説明は避けられないのでまず先にこちらのストーリーを紹介します。なおオデュッセイアに対してイリアスが先に成立したとするのが一般的です。

ーイリアスー

10年続いたトロイア戦争の末期も末期のお話。
まずトロイア戦争を説明してみます。これはゼウスというギリシア神話においてトップに君臨する神が人間界の増え続ける人口に歯止めをかけるために起こした戦争です。
その実際の流れはこうです。トロイアという国の王子・パリスがスパルタという国の王・メネラオスの妃であるヘレネを奪い去ります。メネラウスの兄であるアガメムノンはこれに激怒してトロイアに向かいます。このとき帯同したのがイタケという国の王・オデュッセウスであり、彼はオデュッセイアの主人公です。しかしアガメムノンはヘレネを取り戻すことができず、軍を率いて国どうしの戦争へと発展していきます。大きい戦争が起これば人間は傷つき死に至るというわけ。
このアガメムノン自身も後にミケーネという国の王になる人物です。出征の際天候が悪化しかけましたが、娘をアルテミス(この名前は覚えておいて!)という女神に捧げることでこれを回避できると知らされます。悩み抜いた末に娘を殺したアガメムノン。このとき娘を呼び寄せる口実としてアキレウスとの見合いをでっちあげたことから彼との関係が悪化します。このアキレウスこそがイリアスの主人公です。ちなみに最終的にはこの戦争でアキレウスは命を落としますが、その際に彼の弱点であったかかとを矢で貫いたのが(一説によると)アポロンです。
さてここからがいよいよイリアスの全容になります。
娘に手をかけたことからもわかるようにアガメムノンは名誉欲に弱い嫌なやつです。アキレウスはこのアガメムノンが率いるギリシア軍に加わることになりますが、出征時のエピソードにてすでにアガメムノンとは遺恨のある関係。アキレウスには幼なじみにして大親友のパトロクロスという存在がいて日々共に戦い続けていました。そんなこんなで10年目のあるとき、お気に入りの女・ブリセイスをアガメムノンに奪われたアキレウスは怒り狂い一方的に軍を退きます。
非常に強かったアキレウスを失った軍はあれよあれよと弱体化。親友であるパトロクロスは戻ってくるよう必死にアキレウスに求めますが断固拒否されます。このためパトロクロスは自分ひとりでなんとかしようとアキレウスの武具を借り、軍を率いて戦います。しかしパトロクロスは敵の大将であるヘクトールに討たれてしまい、アキレウスはこれを嘆き悲しみます。
ヘクトールへの復讐を誓ったアキレウスはアガメムノンの元に戻って数々の強い戦士を倒し続け、ついにそのときがやってきます。復讐を果たしたアキレウスはヘクトールの亡骸をいたぶりますが、息子を溺愛していたヘクトールの父親に懇願され遺体を彼に返したところで物語は終わります。

さて、ここまではよくできた英雄物語ですが戦いはまだまだ続きます。アキレウスは失速した敵陣をガンガン攻めていきます。その暴力性は甚だしくとにかく残忍な殺し方をするというイメージ。この暴力性をよしとしなかったアポロンは彼に死を与えます。ちなみにこのアキレウスを殺した存在としてアポロンの名前を出していますが、神であるアポロンは実際には直接手を下さずにトロイア戦争を引き起こした張本人であるパリスに殺させたという見方も根強かったりします。アキレウスの遺体は敵陣に狙われますがオデュッセウスによって確保されます。こんな感じでようやくトロイア戦争は結末を迎えます。

叙事詩・オデュッセイア

このトロイア戦争以後のオデュッセウスを描いたのがオデュッセイアになります。それではこちらのストーリーも見ていきましょう。

ーオデュッセイアー

オデュッセウスがトロイア戦争に従軍している間、彼の家では大変なことが起こっていました。残してきたおしとやかな妻・ペネロペが家に入り浸っていた不埒な者らに求婚されまくっていたのです。この主のいない家で好き勝手にやっていた代表格がアンティノウスとエウリュマコス。これはいけないと思った女神・アテネはオデュッセウスの息子・テレコマスに対して父の消息を追うよう激励します。まだ非力なテレコマスは当初はたじろぎますが、ペネロペへの求婚者の横暴を非難した人々によって旅の帯同者と船が集められたことで旅に出ます。
さてその頃父であるオデュッセウスはどうしていたかというと、とある島で足止めをくらっていました。神々はオデュッセウスに対しても直接帰国を働きかけようと、彼を引き留めていたカリュプソという女を通して故郷に帰るよう伝えます。トロイア戦争後の長旅ですべてを失い疲れきっていたオデュッセウスはなんとか自分を奮い立たせてふたたび航海に出るという流れ。
この後物語はいったんオデュッセウスがカリュプソに出会う前へと時系列が巻き戻ります。つまり先ほど太字にした長旅の部分。すべてを失い…。なかなか不穏ですね。
さらにその後なんとかオデュッセウスは故郷に帰りつき、ペネロペへの求婚者たちへ復讐をくわだてるという展開も待っていますが、この復讐編は今回あまり関係ないかなあと思い省略します。結末としてはちゃんと復讐に成功するし妻を守ることもできたし息子とも再会するしめだたしめだたしといったところ。

さあさあようやく公演の内容予想に入っていきますよ!といってもいろいろ考えた結果オデッセイ(オデュッセイアはギリシャ語・それのラテン語読み)とは名のついた公演ですがオデュッセイアの物語のエッセンスはそこまで含まれないのでは?という答えに行き着いたのです。

同一視される神々

突然ですがここでポセイドンについてふれておきます。

ポセイドンは海にいる荒くれ者。すべてを失ったオデュッセウスが奮起して故郷へ帰ろうとする際、神々は海にポセイドンがいないうちにオデュッセウスを帰そうとします。なぜならこの二者の間には確執があったから。ここで彩風さんのキャスティングを思い出しましょう。海賊のブルームでしたね。ブルームという名は芸名からきているのはわかりますから、特段ギリシャ神話やオデュッセイアにその存在があるわけではなさそう。でも何かモチーフにしたものがあるのかもしれないと考えたのです。普通に考えると海賊って「襲う側」ですから、自然にポセイドンに行き着く。ブルームがポセイドンだとしたら…?だけどこれ、無理があるんですよねぇ。

まずブルームの正体よりも前に、舞台がカリブ海であることに突っ込んでおきましょう。ギリシア神話で海といえば地中海。どうしてカリブ海?と混乱するわけです。ギリシア神話とカリブ海を結びつける知識があいにくなかったので、わかるところから調べにかかりました。

とりあえずブルームをポセイドンと仮定するとオデュッセイアをしっかり関連づけることができ、そのプロローグとなるイリアスにセレネもアポロンも出てくるので万々歳となるわけです。え?セレネはいつ出てきたって?すでに出てきましたよ。アルテミスとして。ギリシア神話ではたびたび違う神どうしが同一視されることがあるのです。調子よく調べを進めるとポセイドンの武器として三叉槍があることを知り、これがパイレーツ・オブ・カリビアンのシリーズ5作目に登場するとか。お!なんか苦し紛れだけどとりあえずカリブ海にたどり着いた!そういえばポスターで彩風さん何か持ってた気がする〜!とるんるんで確認するとそれは剣。ああダメだったかぁとがっくりしたのです。

そこでついでにもう一度公演解説をよく読んだところ、やっぱり航海するのは他ならぬ彩風さん。だいたいオデュッセイアを主軸にしちゃうと、主人公であるオデュッセウスがいないですからね(逆に今後キャスティングされたらこの説は復活させてもいいかもしれない)。オデュッセウスを見守るアテネあたりの役割にセレネやアポロンをすえたとして、ポセイドンはやはり襲う側。ポセイドン説は無理筋だという結論に。

ブルームをオデュッセウスと見ることもできますが、何かこれもいまいちかなと(同様にポセイドンがキャスティングされたらブルーム=オデュッセウス説はありかも)。この時点でもうギリシア神話の設定としてセレネとアポロンだけ借りてくるのかなぁと思い…。それぞれのプロフィールを整理してみるとここで新たな違和感が発生。今度は先ほどふれた神々の同一視のお話です。

まずセレネはアルテミスと同一視されていましたね。じゃあアポロンはというとこちらもヘリオスという神と同一視されています。しかしこの2神それぞれの同一視の関係を対になるよう並べたとき、セレネに対応するのはヘリオスであり、アルテミスに対応するのがアポロンなのです。つまりちぐはぐなコンビになってしまっている…。ここでそれならばセレネとして、アポロンとしてだけの設定が強調されているのでは?と思いつきます。

セレネとアポロン

この2神のプロフィールを見ていきます。

ーセレネのプロフィールー

月の女神。太陽神であるヘリオスとは姉弟の関係。
武器は月光の矢。額には月が刻まれている美しい女神。
シンボルは月と馬。
魔術と関係があるとされる。恋する相手はエンディミオン。このセレネとエンディミオンの関係を利用したのがセーラームーン。
アルテミスとしてはアポロンとは双子の関係となる。

ーアポロンのプロフィールー

太陽神。月の女神であるアルテミスとは双子の関係。
武器は銀の弓矢。理知的で美しい顔を持つ。
シンボルは月桂樹と竪琴(ハープ)。
イルカとの関係が深い。芸術の守護神。
ヘリオスとしてはヘレネとは姉弟の関係となる。

まあこんな感じ。セレネは朝「月」希和から、アポロンは…まさかイルカとの関係性だけで朝美絢をキャスティングしましたか?野口先生…。

ここで注目して欲しいのはアポロンの芸術の守護神(特に音楽)という立ち位置。歌も上手いんですアポロン。それはさておき、アポロンは芸術を司る神としてムーサという文芸を司る女神集団を率います。このムーサという名はイリアスやオデュッセイアの冒頭に登場し、ムーサたちへの呼びかけの句から始まるのです。イリアスでアポロンは主人公であるアキレウスに矢を放ちましたね。このようにアポロンは多数のエピソードに登場するのですが、個人的に今回は単純に芸術(音楽)の守護神としての立ち位置に朝美さんは終始するのかなという予想を持っています。

この朝美さんのアポロンに対してひらめちゃんのセレネはというと…。イリアスに関係があることを考えたとき、さらにアポロンとの対の関係を考えたとき、自然なのはやはりセレネではなくアルテミス。だいたいギリシア神話のメインキャラともいえるオリュンポスの12神のメンバーに含まれるのもアルテミスとアポロン。だからアルテミスではなくセレネでないといけない理由があるはずなんです。アルテミスは夜の女神だから?「朝」月希和…。ただ性格としては明るく奔放なアルテミスに対しておとなしく憂いのあるセレネの方がひらめちゃんには似合うのかもしれない。

セレネといえば白い衣の姿で夜空を飛ぶイメージ。だけどやっぱり謎だなあと思っていたある日、ポスターを見たらそのイメージままのひらめちゃんの姿がそこに!そして朝美さんのアポロンはどこかオリエンタル!ここでピンときて、冒頭に紹介したヘレニズムに着地したわけですよ。ギリシアの文化をセレネのひらめちゃんが、オリエントの文化をアポロンの朝美さんが担当するのでは?この2つを融合させてヘレニズム完成。ギリシア神話においてやはり正統な月の女神はセレネだと個人的には思っているので、その文化を代表するとなるとセレネでいいのだ。たぶん…。

いやおそらくちゃんとしっかりした理由があるはず…そこはもう出されたものをおいしくいただくしか(まだチケットないけど)。なお、さらにここまできたらアレクサンドロス王=ブルーム?とまで思いつきましたが、やはり時代と舞台となる海が異なるので考えすぎなのかもしれない。でもこれまで出てきたどの登場人物(神)よりも彩風さんに似合う気がする。

風の神

セレネとアポロンはひとまず設定としてはわかりやすいので、最後に彩風さんのブルームについてもう少し考えてみます。とりあえず海賊からいったん離れ、芸名から風の神を調べてみましょうか。風の神といえばアネモイ。これは複数の神々を意味します。オデュッセイアにおいてはアネモイたちのリーダーとしてアイオロスがいます。おや?割とすぐにオデュッセイアに結びついたぞ??

このアイオロス、ポセイドンの子ともいわれるんです。あらら?今度はポセイドンと結びついた。これはセレネやアポロンのように同一視されてるわけではなく、アネモイのリーダーとしてのアイオロスとポセイドンの子としてのアイオロスは全く別だとされるんですが、混同されがちなのです。

ポセイドンの子としてのアイオロスを採用すると、彼はティレニア海という地中海の海域にいます。おやティレニア海ってどこかで聞いたことが…。オデュッセイアにおけるオデュッセウスの航海で彼らはメッシナ海峡を通過しようとするのですが、このメッシナ海峡の西に広がるのがティレニア海なのです。そしてメッシナ海峡にはオデュッセウスを邪魔しようとするあいつがいる。その名もカリュブティス

実をいうとカリュブティスからカリブ海?音で連想したとかそんなことある?と割と最初から気づいてはいたんです。でもまさかそんなわかりやすくはないだろうと思っていたものの、意外と遠く及ばずというわけでもないのかもしれない。ちなみにカリュブティスは役割から海賊っぽいのでカリュブティス=ブルーム?と思いきや、ポセイドンの娘なのでそれはないでしょう。

ギリシア神話がローマ神話に発展した際もポセイドンの武器は変わらず三叉槍。この三叉槍、インドのシヴァ神の武器でもあるんですよね。この点でもちょっとオリエンタルの風を感じます。

オデュッセウスは結局カリュブティスを避けてもうひとつのスキャラのいる海峡を通ることにします。その先に漂着した島でヘリオスと対峙することに。ヘリオスはアポロンと同一視されてましたね。めまぐるしい展開を経てカリュプソのいる島にたどり着き、そこで打ちひしがれたあとアテネに励まされ故郷へ向かいます。そしてその帰郷の旅路でナウシカアが登場。このナウシカア、あの風の谷のナウシカのナウシカのモデルです。風繋がりでついでに紹介しておきます。

ブルームの正体は?

オデュッセイアの航海の説明はかなり端折ってしまいましたが、オデュッセウスが各地を転々と旅をするような光景が「オデッセイ」で表現されるのかなと思います。ほかにもセイレーンなど有名な登場人物(神)がいっぱい登場しますので、オデュッセイアで描かれる旅路だけは一度チェックしてみてもいいのではないでしょうか?ブルームの正体はわからないと思うけど。というかそもそもモチーフになった存在があるのかも謎なのですが。

それでは今回も長々とお付き合いいただきありがとうございました。キャストが発表されたらブルームとセレネに関してはもう少し設定を絞れるのかもしれないですね。

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