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ドッジハンケチについて(ルール、歴史など)

ドッジハンケチは1990年代に生まれたヨーロッパ発祥の競技です。名前の通り、ボールの代わりにハンケチを使います。

ルールとしては基本的にドッジボールと似たところが多いですが、ひとつ誤れば死につながってしまう場合も少なくありませんので、試合に出場する前には必ず確認しておきましょうね。


基本ルール

1. 試合に用いるハンケチについて

サイズ・材質などには特に指定はありません。ハンケチであればOKです。しかしあまりにも縦長だった場合は審判にタオルケットとして判断され処罰される可能性がありますので、その点には注意が必要です。

また、試合においては基本的に勝負を吹っ掛けた者が持ってきたハンケチを用いることとされていますが、何か特別な事情がある場合にはこの限りではありません。
ここでの「特別な事情」の例としては、上記で述べたようにサイズの問題で審判からタオルケットとして判断されてしまった場合や、試合前にハンケチを使用しすぎてしまい既にびしょ濡れな場合などです。

余談ですが、本競技のルールは全て審判の匙加減にゆだねられています。
とにかく審判の気分を害さないようにしましょう。

2. コートについて

コートについては基本的にドッジボールのものと変わりません。
しかしひとつ違うのは、サイズの規定がないことです。
外野線をどれほど長く引くか、中央線を本当に中央に引くか、そういったことは全て審判の塩梅によって決まります。
2006年に開催されたワールドハンケチップの決勝試合では、フランス代表からの事前の差し入れに気を良くした審判がひいき引き(故意に片方のチームに有利な線の引き方すること)をし、アメリカ代表チーム側の内野陣地がわずか縦3cm×横6cmになってしまうという珍事が発生しました。試合が始まる前から既に勝負が始まっている、これがドッジハンケチの面白いところですね。

3. ゲームの進め方

まずジャンケンをし、勝った方のチームはハンケチを持った状態で試合を始めることが出来ます。
これがドッジボールの場合だと、負けた方のチームは陣地を選ぶことができるようになっていますが、ドッジハンケチに関しては各チームに対して審判が恣意的な線の引き方をしていることが多いのでこの選択権はありません

相手の投げたハンケチが当たった内野選手は外野に行かなければならない、外野からハンケチを当てた選手は内野に戻ってもよいなどといった基本ルールは全てドッジボールに即したものになっていますのでここでは省きます。

4. 反則について

ドッジハンケチ独自のルールとして、ハンケチを相手チームへ投げる際、「決闘だ!」もしくは「決闘よ!」と言う必要があります。これを言い忘れた、もしくは審判が元気を感じられないと判断した場合は反則となり、その選手は生命を絶たれることになります。気を付けましょう。

また、味方選手にハンケチをパスする場合は「どうぞ」と言いましょう。これに関しては言っても言わなくても特に変わりありませんが、筆者としてはその方がチームとしての団結が生まれるので言った方がいいと思っています。

また、もうひとつの反則行為として、「動きにくい服装で参加する」というものがあります。もし行えばこちらも生命を絶たれますので、必ず動きやすい服装で来ましょう。


ルールはご理解いただけましたでしょうか。
それでは次に、ドッジハンケチが今の国民的競技に至るまでの歴史を見てみましょう。


ドッジハンケチの沿革

1993年 ドッジハンケチ誕生

ドッジハンケチが誕生したのは1993年とされています。その経緯には諸説ありますが、現在最も有力なのはプレミアリーグファンの間で伝説として扱われている試合、エリザベス女王のハンケチをサッカーボールの代わりに用いたファルマー・スタジアムでのブライトンVSトッテナム戦だという説でしょう。

現在のファルマー・スタジアム

とはいえ、具体的にどの国が発祥なのかは例の「チロルチョコ騒動」の影響により分かっていません。

チロルチョコ騒動についてはむやみに触れると記事を削除されてしまう可能性があるため、これについてはwikiページを参照してください。
ドッジハンケチの起源に詳しかった有識者はあの騒動以降全員が行方をくらましています。

1996年 各国に普及

競技の誕生から3年、ドッジハンケチは1996年に認知度が大きく向上します。とはいえこれは特に大きなきっかけがあったというわけではなく、ドッジハンケチを楽しんだ人々が「これは楽しい競技だ」とねずみ講方式で口コミを広げていった結果、普通に広まったようです。

1997年 日本でドッジハンケチが流行(第一次ドッジハンケチブーム)

世界で巻き起こるドッジハンケチ旋風が日本にも一年遅れでやってきます。その流行りっぷりは物凄かったようで、当時のタクシードライバーの間では「公園のそばは通らない」というのが鉄則になっていたようです(風に飛ばされたハンケチが視界を妨げて大変危険なため)。
現在でも多くの世界的プレイヤーを輩出している国内初のドッジハンケチ大学サークル、「駒澤大学ドッジハンケチ・サークル」もこの年に創設されたものです。

2003年 ドッジハンケチ連盟会長・ボンヌガーが汚職で逮捕

もはや世界有数の人気スポーツとなったドッジハンケチですが、この年の6月、ドッジハンケチ連盟会長を務めていたミシェル・ボンヌガーが汚職の罪でユーロポールに逮捕されます。
逮捕の瞬間が全世界に中継されたこの事件は多くの人々に強い印象を残すこととなり、ドッジハンケチをプレイすることへの後ろめたさはより強まる結果となりました。

2004年 ドッジハンケチの競技人口が過去最低に

ボンヌガーの事件がきっかけとなり、一度は世界に広く普及したドッジハンケチの競技人口は、この年には50人にまで落ち込みます。ここからの二年間、ドッジハンケチにとっては不遇の時代となりました。

2006年 ワールドハンケチップ開催・再び世界的スポーツへ

ドッジハンケチの未来を憂いた新連盟会長スモレチーノ・スポペイは、この年の8月、サンクトペテルブルクにて第一回ワールドハンケチップを開催します。これには日本を含む合計24ヵ国のチームが参加し、競技としてかつてない盛り上がりを見せました。
これをきっかけにドッジハンケチは再度世界的なスポーツとしての地位を取り戻し、今現在に至ります。



最後に

ここまでドッジハンケチのルール・歴史を解説してきましたが、競技に対する理解は深まりましたでしょうか。
ドッジハンケチは素敵な競技ですが、一歩間違えれば取り返しのつかないことになります。
くれぐれもルールを守り、大切な人を失うようなことがないようにしましょう。

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