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Tamas Wells 『The Plantation』ライナーノーツ




アーティスト:Tamas Wells
タイトル:The Plantation
レーベル:Lirico
品番:LIIP-1530
発売日:2017年11月26日
作品詳細:https://www.inpartmaint.com/site/22249/

タマス・ウェルズが2ndアルバム『A Plea En Vendredi』で日本デビューを飾ってから11年もの時間が経った。はじめての来日ツアーから数えてもすでに10年だ。その後、1stアルバムの再発を含め、5作のアルバムすべてが国内盤としてリリースされ、5度の来日ツアーが行われたことは安定したファンベースの存在あってこそ。そして一度心を奪ったものを恒久的につなぎとめるその歌声と音楽が持つ魅力の証明でもある。「世界で唯一のサッド・ソング・レーベル」を標榜するLiricoというレーベルにとって、タマス・ウェルズとの10年余りはレーベルの歴史そのものでもあるが、同じ場所にとどまりつづけることで存在感を示してきたつもりでも、実際は同じ場所にとどまりつづけることはできない。一貫してかなしみをたたえた美しい音楽を作りつづけてきたタマス・ウェルズの現在地はどんなところだろうか。

ジーロング出身、現在はメルボルン在住のオーストラリア人シンガー・ソングライター、タマス・ウェルズ。そのバイオグラフィーに関しては過去作の解説に詳しく記されているので、ここでの紹介は省きたい。2014年3月にリリースした5作目にあたる前作『On the Volatility of the Mind』以降、リリースに伴う来日ツアーを6月におえてからは2016年に中国ツアーを行った以外はほとんど沈黙を保ちつづけてきた。2015年の春にオーストラリアのレーベルPopboomerang Recordsの10周年コンピレーション『(PB:100)』にアルバム未発表曲「I Was Certain」を提供した以外はニュースらしいニュースすらなく、SNSでは「タマス・ウェルズは音楽をやめてしまったのか」というようなポストも散見されたほど、その不在はこれまででもっとも長いものだった。

2006年から6年間をミャンマーで過ごし、現地のいくつかのNGOでHIV/エイズ教育のヘルスワーカーやフィールドワーカーの仕事に従事した彼は、オーストラリアに戻ってからも第2の故郷のことを想いつづけた。母校のメルボルン大学の大学院でミャンマーの政治学を専門に学びながら、ミャンマーの市民社会問題を扱うウェブサイトのエディターとして活動を行う。音楽活動における充電期間はちょうど博士課程修了のタイミングと重なっていた。前作のリリースからすでに3年以上が経過し、過去のアルバム間のスパンとしては最長となっていたなか突然ニュー・アルバムのレコーディングのニュースが飛び込んできたのは、2017年6月末のこと。普段ほとんど更新されないFacebookに半年ぶりにポストされたのは、「ニュー・アルバムは2017年後半。今夜からレコーディングに入るよ」という文章だった。その後、メルボルンの自宅やいくつかのホールなどで約2ヶ月をかけて断続的にレコーディングが行われ、ポスト・プロダクションやミックス、マスタリングにさらに1ヶ月。ついに6作目のアルバム『The Plantation』が完成した。

2012年に祖国に戻ったタマスだが、その後はじめて作った前作はミャンマーで書かれた曲もかなり占めていた。2006年の2nd『A Plea En Vendredi』、2008年の3rd『Two Years in April』、2010年の4th『Thirty People Away』。タマス・ウェルズのミャンマー時代を反映した3作はそれぞれはっきりとしたテーマを持ち、それぞれが極めて繊細な美しさをたたえた名作揃いだった。大ヒットした『A Plea En Vendredi』、ミャンマーでの孤独から生まれた完全なソロ・アルバム『Two Years in April』、そして豊潤なバンド・アンサンブルの完成を目指した『Thirty People Away』と、理想的な成長を遂げてきた。

前作『On the Volatility of the Mind』がリリースされる前、ぼくはこう想像していた。オーストラリアに戻ってはじめて作られる次のアルバムは、距離的な隔絶がなくなったことで、仲間たちとのバンド・アンサンブルの完成度をより高めた作品になるのではないかと。極めてクオリティーの高かった『Thirty People Away』を次の高みへと押し上げたような、そんな作品。結果的に『On the Volatility of the Mind』は予想を完全に覆し、とてもパーソナルな作品となった。音楽的にはこれまで彼の活動を熱心に追ってきたリスナーすべてを驚かせたと言えるだろう。タマス・ウェルズ・サウンドの核を担っていたピアノとアコースティック・ギター、その両方を使用しないという決断。それらに取って代わったのはエレクトリック・ギターとシンセサイザーだった。軽快な口笛、リズムを刻むドラムマシーンなど意外性のある飛び道具を導入したタマス・ウェルズ流インディー・ポップといった趣のサウンドの一方で、「心の不安定さ」と冠されたこの作品の歌詞の内容はとてもダークなものだった。これまでの三人称から一人称によるよりダイレクトな歌詞がよりその印象を強くさせる。「本当に悲しい歌こそポップに歌うこと」。「バランス」という言葉で彼自身が表現したこの作品に対して、レーベルの商品説明文のキャッチフレーズとしてぼくが選んだのはそんなフレーズだった。

そして届けられた最新作『The Plantation』。最初に聴いた印象では、前述のように、『Thirty People Away』の次にリリースされる作品としてかつて自分が想像していたものに近い内容であり、2014年のバンド・セットでの来日ツアーで聴かせてくれたバンド・サウンドとかなり近い雰囲気を感じ取った。バンド編成なのに極めて静かで繊細な、タマス・ウェルズならではのライヴ演奏。ピアノとアコースティック・ギターが再び戻ってきた本作は、『Thirty People Away』の優美なフォーキー・アンサンブルと、『On the Volatility of the Mind』のインディー・ポップを融合させたようでもある。真冬のオーストラリアで作られたのにも関わらず、まるでそよ風になでられたような心地よさと、これまでにないほどのときめきすら感じさせる。

「『On the Volatility of the Mind』はまだミャンマー時代の曲が多かったから、あのアルバムはほとんど自分ひとりで作ったんだ。今回はアルバムによりライヴ感をもたらしたかった。それにこの作品はドラムとベースをはじめてちゃんと使用した最初のアルバムなんだ。他のアルバムはほとんどがプログラミングやパーカションだったからね」

メルボルンで書かれた曲だけで構成されたアルバムは2004年のデビュー作『A Mark on the Pane』以来のこと。タマス・ウェルズ・バンドの創設メンバーであり、ムードメイカーでもあるアンソニー・フランシスは不参加であるものの、それ以外のメンバーが総参加したかたちとなった。まずはバンド・マスターとして長年タマスを支えてきたマルチ・インストゥルメンタリストのネイサン・コリンズが今回はベースとキーボードを担当。ギタリストとして4thアルバムに参加し、2010年の来日ツアーにも帯同したキム・ビールズが2作ぶりにアコースティック・ギターで参加。ブロークン・フライトのフロントマンでもあるクリス・リンチは前作や2014年の来日ツアーにおいて音響的なギター演奏で多大な貢献を果たしたが、本作でもエレクトリック・ギターを担当している。またバンドの新メンバーであるクリス・ヘルムがドラムとピアノで参加。他にはクリス・リンチの妻アマンティ・リンチがコーラスで、メルボルン・シンフォニー・オーケストラのチェリストでもあるニコラス・ボクナーが参加している。チェロは『Thirty People Away』でも何曲かで使用されていたが、本作のメランコリアの一端を担っていると言えるほど印象深い。そして前作でも共同プロデューサーを務めたメルボルンのエンジニアでミュージシャンでもあるニック・ハギンスは本作でも共同プロデューサーを務め、さらにはレコーディング、ミックス、マスタリングをすべて担当しており、アルバムにおける彼の貢献度は前作以上だ(クレジットには「アディショナル・サウンズ」と書かれているが、たとえば唯一のインスト曲「A Wife to A Gunfight」のアンビエンスは彼の手によるものだ)。

不穏なチェロのドローンからはじまる「A Reason Not to Stay」でアルバムは幕を上げる。メランコリックなはじまりからサビで美しい視界が広がるような展開は名曲「Fire Ballons」を想起させ、彼がライヴでカヴァーしたマイク・オールドフィールドの「Moonlight Shadow」の哀愁を帯びたヴァージョンもまた想起させる。「とどまらない理由」とはなんとも示唆的なタイトルと歌詞だ。

「I Threw A Shoe at Their Alsatian」と「Please Emily」は本作をもっとも象徴する楽曲だろう。タマス・ウェルズ史上、もっとも口ずさみやすい、きらめきをたたえたメロディー。ネオアコのような雰囲気もあり、ベル・アンド・セバスチャンの初期のようでもあるが、そのいずれでもない繊細なギター・ポップ。

「ぼくは自分の能力をさらに広げて新たな領域へ前進するようなアーティストがすきだ。でも同時にあるひとつのサウンドを努力して作り上げて数枚のアルバムにわたって築き上げていくようなひとたちもすきだ。このアルバムではその両方だといいなと思う」

これは前作リリース時のインタヴューでの発言だが、タマス・ウェルズが得た覚悟は本作にも受け継がれている。それは彼が言うところの「バランス」でもある。忘れることができない美しいメロディー。やさしくて繊細なサウンドスケープ。それらの結合はタマスが最初から目指してきたものだった。
アルバムの最後を飾るタイトル・トラック「The Plantation」。アルバムのラストにそのなかでもっとも慈しみ深い作品を配置するのがタマス・ウェルズの特徴だと言えるが、彼がもっとも大切にする曲のひとつで、ライヴの終盤や最後で演奏されることの多い「Grace And Seraphim」(『Two Years in April』収録)と同じぐらい重要な楽曲でありつづける、そんな予感を感じさせる作品だ。ポップな曲が立ち並ぶこのアルバムのなかでもっとも静かで穏やかな楽曲。こどもの頃、実家の近くにあるマツの造林地を駆け巡った遠い記憶をテーマにしている。アルバム全体を覆うノスタルジーは明らかにこれまでの作品にはみられなかったものだ。前作は妻のブロンウィンに捧げられたが、本作のスペシャル・サンクスにはブロンウィンに連なって、ふたりの娘、ジョアンナとアンナマイの名が記されている。20代後半にデビューしたタマスにとって、実はこの作品は40代になってはじめて作った作品でもある。自身の死を示唆しておわらせた前作を経て、新たなはじまりを感じさせるこの作品。だれか特定のものに対して歌っているわけではないとかつて語ったことのあるタマスだが、寓話的なストーリーが連なるこの作品はもしかしたら成長していく娘たちに対して歌われているのではないかという想像は決して妄想ではないだろう(ふたりとももう歌の内容を理解できる年頃だ)。「The Plantation」で歌われる場所にタマスの両親はもう住んでいないらしい。アートワークに使用された深い森の写真はその場所を想起させるとのことだが、霧がかったようにみえる心象風景というのもタマス・ウェルズらしい。前作ラスト曲の「I Left That Ring on Draper Street」では「ごめんなさい」と歌い、今回「The Plantation」では「たぶんこれが最後かも」と歌われているのが毎度意味深長だが、それはぜひ6度目の来日ツアーが実現したときに問いただしたい。

2017年11月15日 大崎晋作(Lirico)


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