Radical Face 『The Family Tree: The Leaves』ライナーノーツ
アーティスト:Radical Face
タイトル:The Family Tree: The Leaves
レーベル:Lirico / Nettwerk
品番:AMIP-0074
発売日:2016年3月25日
作品詳細:http://www.inpartmaint.com/site/15540/
ラディカル・フェイスことベン・クーパーが8年もの時間を費やして取り組んできた「The Family Tree」三部作がついに完成した。1stアルバム『Ghost』製作時から構想を練りはじめたという「家族」というテーマは、10人兄弟の長男という大家族で育った彼にとって、簡単には向き合うことができない大きなテーマだった。2011年『The Family Tree: The Roots』、2013年『The Family Tree: The Branches』、そして2016年『The Family Tree: The Leaves』。およそ2年間隔で届けてくれた3枚の精魂のこもった作品。さらに本作のリリース直後に3枚のアルバムには収録されなかった楽曲を集めたサイド・アルバム『The Family Tree: The Bastards』もリリースされる。これら三部作+番外編4作の44曲が「The Family Tree」というひとつの壮大な物語を形成している。本作のリリースに合わせて、「The Family Tree」シリーズのスペシャル・サイトがローンチされ、2016年2月5日から毎週数曲ずつ、順番に各楽曲のバックグラウンドについての説明が加えられている(文末のリンク参照)。予定では本作リリース後、5月ごろには全44曲のマップが完成するだろう。マップの日本語訳も準備したので併せて参照いただきたい(文末のリンク参照)。
そのサイトや他の媒体などで、ベン・クーパー自身の言葉によって、この「The Family Tree」シリーズの全貌がいずれ明らかになるだろう。前2作のライナーノーツで書かれた楽曲の解釈に誤りがいくつかあったことをここで認めお詫び申し上げるとともに、この『The Family Tree: The Leaves』のライナーノーツは、「The Family Tree」シリーズ全体を総括し、分析するような内容にしたい。
フロリダ州ジャクソンヴィルで生まれ育った1982年生まれのアーティスト、ベン・クーパー。高校の後輩で元バンド仲間でもあるアッレクス・ケインと組んだプロジェクト、エレクトリック・プレジデントとしても活躍し、これまでに3作のアルバムを残している(アレックスの就職にともない、現在は活動休止中)。彼のメイン・プロジェクトであるラディカル・フェイスとしてのデビューは2007年のはじめのこと。ベルリンのレーベル、モール・ミュージックから『Ghost』をリリース(2003年には『The Junkyard Chandelier』という実質的1stアルバムをセルフ・リリースしていたが一般には出回っていない)。コンセプト・アルバムしか作れないラディカル・フェイスの『Ghost』は「家」をテーマにした作品だったが、「もしも家が記憶を持っていたら」という寓意性と幻想性は、のちに「The Family Tree」シリーズに受け継がれていくことになる。
「The Family Tree」シリーズは、以下のようなルールや設定にのっとって作られている。
1. 19世紀からはじまり20世紀中盤にいたるまでの架空の家系「ノースコート家」をモチーフとし、アメリカの歴史とクーパー家自身の家系、そして自身の経験を絡め合わせることで物語を形成する。
当時のインタビューやプレスリリースからの情報をもとに、「1800年代から1950年代」と前2作のライナーノーツに書いていたが、製作を進めていくうえで変更があったのだろう。正しくは、『The Roots』では1810年〜1870年、『The Branches』では1870年〜1910年、そして『The Leaves』では1910年〜1940年という年代が描かれている(なお、『The Leaves』のタイトルは元々は『The Relatives』だった)。
2. いくつかの登場人物は「不思議な力」を持っていて、その特性は遺伝によって次の世代へと引き継がれていく。
これは前2作の時点では詳しく述べられてはこなかった点だ。リリックだけではすべてを把握しがたいのだが、特に本作『The Leaves』ではこの幻想的な設定がより反映されていると言える。
3. 基本的に楽器は作品内の時代背景に則したものを使用する。たとえば、『The Roots』ではピアノ、アコースティック・ギター、フロア・タム、そして声を基本的に使用し、その他の楽器に関しては、「楽曲が必要としたときのみ」使うことを許可するという制限を設ける。作品内の時間が進むにつれ、サウンド・プロダクションやアレンジはより複雑に、よりビッグなものへと発展していく。
4. 血が遺伝していくように、シリーズをまたがって共通のメロディー・パターンやコード進行を使用することによって、楽曲が変化し、物語内の世代から世代へとつながっていいくことをイメージする。
シリーズを通して物語に込められているのは「悲しみ」と「後悔」と「死」だ。「家族」というテーマに対して、「常にもっとも美しいものでありながら、時に醜い瞬間を孕んでいる」とかつて発言しているように、「The Family Tree」シリーズで描かれるいびつな家族観は多少のフィクションが入り混じりつつもベン自身の家族観が強く反映されている。
2011年10月にリリースされたシリーズ1作目『The Family Tree: The Roots』は、前述のように限られた編成によるもっともシンプルでアコースティックな作品だった。しかし、得意のレイヤードサウンドと巧みなアレンジを駆使することでそういったミニマルさはほとんど感じさせなかった。当初は彼自身の自主レーベル、ベア・マシン・レコーズからのリリースだったが、後にカナダのネットワーク・レコーズと契約し再リリースされた。のちに数々の広告や映像作品で頻繁に使用されることになる「Always Gold」はシリーズのなかでも指折りの名曲であるばかりか、『Ghost』収録の「Welcome Home」と並ぶ代表曲となった。
そして、ちょうど2年後の2013年11月にシリーズ2作目『The Family Tree: The Branches』がリリースされる。『The Roots』で自ら課していた楽器の制限も解かれ、特にフル・ドラム・セットとエレクトリック・ギターが作品によりダイナミズムをもたらした。ストーリーテリングという面においては、『The Roots』が「物語の口承」をリリックのコンセプトにしていたのに対し、『The Branches』では「手紙」をコンセプトにしている。また、この作品の時代背景は前述の通り、1870年から1910年という、南北戦争の後、アメリカが工業的に、経済的に急速に大きな発展を遂げる数十年間だが、そんなアメリカの歴史的背景が3作品のなかでもっとも反映されているという印象を受けた。リリック面においてはこの作品がもっとも完成度が高いと言えるだろう。また『The Branches』において、ある意味で最大の収穫というべきなのが、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者ジョシュ・リーの参加だろう。のちにベン・クーパーにとって最高のパートナーとなる彼は、「Summer Skeletons」「The Crooked Kind」という2つの名曲で多大な貢献と、忘れがたい印象を残した。
『The Branches』リリース以降、2度のヨーロッパ・ツアーとアメリカ・ツアー、いくつかのフェスティバル出演と、相変わらずライヴ活動は少なめ。その間に、ラディカル・フェイスのライヴ・メンバーでもあるジャクソンヴィルのシンガー・ソングライター、リッコラスことリック・コラードとのプロジェクト、クローンの作品が1年ほど遅れてようやく日の目を見た。そして、2015年2月には3年ぶりの来日ツアーを行った。2012年のツアーはギタリストのジェレマイア・ジョンソンとドラマーのジャック・リンカとのバンド編成だったのに対して、ベンのパートナーであるヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のジョシュ・リーとのアコースティック編成でのツアーだった。より静かに、より親密に。アコースティック・セット用に新たにアレンジし直された楽曲群と丁寧な演奏。そして、何十年も一緒にいるかのように息の合ったコンビネーションと、にじみ出るふたりの美しい絆と信頼関係が、多くのひとたちのなかで強烈な余韻としてずっと残りつづければいいのにといまだに思えるような、そんなすばらしいツアーだった。
そのツアーの最中、ベンは言っていた。「ジャクソンヴィルに戻ったら『The Leaves』を完成させる。たぶん5月ごろには聴かせられると思うよ」と。しかし、それまで頻繁に更新されていたインスタグラムの投稿はぱったりと途絶え、5月を過ぎても音沙汰はなくただ時間だけが過ぎていった。8月、来日ツアー以来となるFacebookeの投稿に多くのファンが戸惑ったことだろう。そこにはこうあった。
「長いあいだ何も書かなくてごめん。その理由に関しては、長く、ダークで、悲しくて、奇妙な話があるんだ。でも、それは別のときに伝えるよ。狂った人生を乗り越えて、ようやくこの最後のアルバムの最終作業に戻ってきた。もうほとんどおわりに近いよ。アルバムの大部分がこの数週間のうちに変わったんだ。特にリリック面で。いまやずっとはるかにパーソナルな作品になったよ」
そして10月末には別の投稿があった。
「この秋には『The Leaves』は完成してリリースされるはずだった。だけど、そのときぼくの人生はとてもダークで奇妙に変わった。いまもその問題に取り組んでいる。だからアルバムは来年のはじめまでには出ない」
なお、このときにアナウンスされたのが、アルバム未収録の楽曲を定期的にフリー・ダウンロードでリリースしてきた「The Bastards EP」シリーズを1枚にまとめたサイド・アルバム『The Family Tree: The Bastards』のデジタル・リリースだった。
奥歯に物が挟まったような上記の言葉は、彼が巻き込まれたことの深刻さを十分に推測することができたが、結果的には「家族」をテーマにした大作に長年取り組んできた彼にとっては、非常に皮肉的で残酷な出来事だったのだ…。この件は後述する。
そして、2016年に入り、ついにアナウンスされた「The Family Tree」シリーズの最終作『The Family Tree: The Leaves』のリリース。待望という言葉がこれほどふさわしい作品もそうはないだろうし、リリース前からすでにシリーズ完結を喜ぶばかりかさびしく思うファンすら多数いたほどだ。レーベルは前作に続き、ネットワーク・レコーズから。レコーディングは前作と同じホームスタジオで行われ、当然ほとんどすべての作業をベン・クーパーひとりで行った。参加ミュージシャンは前作に引き続き、幼馴染のアンソニー・アナーカがファゴット(バスーン)で1曲参加し、ラディカル・フェイス史上、はじめてのゲスト・ヴォーカルとして、リック・コラードとザ・リトル・ブックスというユニットを組むロビン・ルーテンバーグを迎えた。そして、もちろん忘れてはならないのが、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のジョシュ・リーだ。全10曲中7曲に参加。その貢献度は計り知れず、もはやラディカル・フェイスの音楽になくてはならない存在となった。「ベンはヴィオラ・ダ・ガンバのふさわしい使い方を知っている」と日本でジョシュが言っていたように、楽器のポテンシャルを正しく引き出すことができるのもすぐれたアレンジャーの力なのだろう。
1910年から1940年を舞台にした本作では、封印が解かれたようにシンセサイザーも使用され、ポスト・ロック〜シューゲイザー的な流麗なトレモロ・ギターの轟音や、重厚なベース、より躍動感のあるドラムなどによって、これまででもっとも多彩な作品となっている。「映画と写真の時代である『The Leaves』ではよりシネマティックになるように努めた」とベンが説明するように、確かに楽曲の構成や展開の面において、通常のポップ・ソングのフォーム(Aメロ・Bメロ・サビのような)の制限を受けることなく、より映像喚起的な作りになっていると言えるだろう。
アルバムは「Secrets (Cellar Door)」で幕を開ける。ラディカル・フェイスのトレードマークである多重録音のハミングと軽やかなアコースティック・ギターのアルペジオではじまり、疾走感のあるリズムがいきなり感情を駆り立てていく、シリーズでもっとも勢いのあるはじまり。アルバムのリリースに先駆けて届けられたシングルのうちのひとつでもある。この曲は『The Roots』の「The Dead Waltz」に登場する夢遊病の少女アビゲイルの子孫にあたる少女と、「Kin」に登場するヴァージルの孫にあたる少年について歌われている。それぞれ死者と交わることができる不思議な力を持った隣人同士が自分たちの秘密を共有するという物語。なお、リリックでは示されないが、ふたりは遠い親戚同士である。
最初に公開されたシングル「Road to Nowhere」は、『The Branches』収録の「The Gilded Hand」とつながっている。「The Gilded Hand(金ぴかの手)」と呼ばれる男が経営する工場には奇妙なふるまいをする子供たち送り込まれ、やがて殺されてしまう。この楽曲では、「The Gilded Hand」から何年後か、同じ工場で働く少年のことが歌われている。眠りのなかでのみ特殊な能力を発揮する少年がある朝、「The Gilded Hand」の死体を発見し(殺したのは彼自身)、子供たちを解放する…という話。しかし、タイトルの通り、解放された彼らはどこにもたどりつくことはない。外の世界はよりつらい場所だった。アルバムのなかでもっともアップテンポで繊細な美しさと激しさが絡まり合うこの曲は、一度はまったく別の曲として録りおえたそうだが、その直後、ジョシュがたまたま弾いたアルペジオを聴いてすべて書き直したという作品。これを最初のシングルに選んだことは高いメッセージ性を感じた(アメリカでライヴ活動をするにはある程度繊細さを犠牲にしないといけないというベンの言葉を思い出した)。
今回、オリジナルのプレスシートや最新インタビューでは、これまで明かされてこなかったベンの過去(彼いわく、”ダークで奇妙な家族の歴史”)から、本作制作中に起きた深刻な出来事まで触れられている。異人種間の10人家族として生まれ育ったこと。人種差別が根強い南部での生活。14歳で両親にゲイであることをカミングアウトした結果、勘当され、それからは高校に通いながらフルタイムで働きつづけたこと。たくさんの友人の家に寝泊まりさせてもらいながら、5つのバンドに加入し、独学であらゆる楽器を学んだこと。
そして、ベンは結果的に裁判沙汰にまで発展した家族間の事件に巻き込まれた。長年、家庭内での性的虐待に苦しんでいたという10代の姪を救い出し、養子として迎え、33歳にして親となったのだ。この虐待事件は家族の多くが知っていたのにも関わらず、ベンに対してだけは隠されていた。彼はずっと裏切られ続けていた。この「長く、ダークで、悲しくて、奇妙な話」について、たぶんいつか本に書くよ、とジョークのように書いていたが、この一連の事件で彼が負ったであろう傷の深さは想像しがたい。これらの情報はあるいは音楽にとって必要のないことかもしれない。もしかしたら知りたくなかったと思うファンだっているかもしれない。しかし、これはベンの覚悟の強さであり、意志の強さなのだろう。
それゆえに『The Leaves』は極めてパーソナルな作品とならざるをえなかった。完璧主義者のベン・クーパーが当初描いていた青写真とは全く掛け離れてしまった完結編。たとえば先行シングルのひとつ「The Ship in Port」や、クロージング・トラック「Bad Blood」は、自叙伝的に書かれた楽曲だ。特に「Bad Blood」は、14歳のときの彼自身についてはじめて直接的に歌っている。「悪い血」あるいは「憎しみ」と名付けられたこの静かなエンディングは、アコースティック・ギターの弾き語りに、泣き声のように響くヴィオラ・ダ・ガンバが絡み合う、ベン・クーパー史上もっとも深い悲しみに包まれた1曲。アルバムのハイライトのひとつ「Old Gemini」や、この「Bad Blood」において感じさせるベンのヴォーカルの変化は、いよいよ彼が慈愛のようなものを得たことを実感させる。まるで自分自身の暗い過去に対するレクイエムのような。
「この大きな木の最後の枝を自分のものにするつもりはなかった。だけど、ただ人生がこのようになったというだけだよ」。こうして完結した「The Family Tree」シリーズは、ある意味ではベンにとって完璧な作品としておわることができなかったと言えるかもしれない。
「音楽をセラピーとして使うことにいつも罪を感じていた。音楽でなら、醜いものでも心地よいものに変えることができるから。もっとも悲しいことでさえ、ひとは美しいものにできるんだ」。
もし「The Family Tree」がベン・クーパーにとっての呪縛だったとするなら、今後、彼はどこにたどりつくのだろうか。これまでフィクションに包み込んでいた「人間ベン・クーパー」が最後にはじめてはっきりと現れたことで、ぼくは早くも彼の今後の音楽人生に想いを馳せている。しかし、いまは「The Family Tree」シリーズを完結させてくれた彼の大きなからだをただやさしくハグしたい。そして、日本のレーベル・パートナーとして、はじまりからおわりまで、この「The Family Tree」シリーズを紹介できることを誇りに思いたい。最後に、「The Family Tree」シリーズは三部作がすべてリンクするように作られているが、もちろんそれぞれ個々の作品としても成立している。本作ではじめてこのシリーズに触れた方はぜひ他の2作も聴いていただき、ラディカル・フェイスが用意した深みを探っていただきたい。
2016年3月6日 大崎晋作 (Lirico)
「The Family Tree」マップ:http://thefamilytree.radicalface.com/
「The Family Tree」マップ日本語訳:www.inpartmaint.com/hue/blog/?page_id=2868
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