Tamas Wells『A Plea En Vendredi』ライナーノーツ


アーティスト:Tamas Wells
タイトル:A Plea en Vendredi
レーベル:Lirico
品番:IPM-8009
発売日:2006年10月15日

作品詳細:http://www.inpartmaint.com/#/post-199



CDからながれる演奏を聴いているあなたに、わたしは声をかける。
「なにが視える?」と。
(・・・・・・・)
「悲しみ」とあなたはいった。「でも、消えようとしている。たくさんの痛みが頭のうしろにいたけれど、もう消えるの。白い霧のようになっている。
たち昇って。もう力はないわ」
「あなたには、視えるの?」
「そんなふうに」
イメージが視えるといって、あなたはほほえむ。
(古川日出男『アビシニアン』)

幻を視せる力、「幻視力」というその言葉が音楽を評す際に常用されるのか定かではない。作家のスティーブ・エリクソンや古川日出男、詩人の吉岡実を指して代名詞のように使われるこの特異な能力は、しばしば言葉の世界の住人に宿るものだと思われてきた。けれども、アルバム全編から漂う強烈なまでのファントムを喚起する作用は、どうしたってその単語でなくてはしっくりこないと、僕はこうして耳慣れない言葉を彼らの音楽に授けたいと思うのである。

本編に入る前に、このアルバムを聴いていた33分間に僕が幻視した映像を書いてみる。それくらいの紙幅は取らせてもらっても構わないだろう。僕はだいたいこんな感じだ。いましも聴いておられる皆さんには、どんな風景が浮かんでいるだろうか。

ゆっくりと瞼を開けるとそこは病院だった。ポタリポタリと点滴の滴が落ちていく。既に身体を動かすことすらままならない。どうやら病院であるが、ここはホスピスと呼ばれる場所のようだ。俺の身体は全身に転移した癌に蝕まれターミナル期にあるようで、延命治療を拒否してここに入院しているらしかった。症状による痛みはコントロールされ、時に意識は朦朧とするも、クリアな状態を保つことはできている。痛みの無い世界は、少しだけ寂しさもある。幾ばくもない残りの時間、砂時計の砂が落ちきる寸前のこの時間、人生を振り返っている。大好きだった女の子たちの顔を一人ひとり思い浮かべている。思い浮かばなくなっている人もいる。彼女たちの幸せを願っている。リビング・ウィルについて考えている。臓器は提供できるだろうか。最後まで誰かの役に立てるだろうか。さて、そろそろ世界に別れを告げなくちゃいけない時間がやってきたようだ。でも、大昔に聴いたこのアルバムの美しい音が鳴り終わるまでは、待ってほしい。 たった30分のことだ。どうだい、美しいだろう?涙はこの美しい音楽のために流してくれないか。

タマス・ウェルズ。このオーストラリアの四人組の名を耳にしたことがある人は、日本においてどれくらいいるのだろう。ましてやその歌を日本盤発売以前に聴いた人は。シュガーコーティングされた弾丸のごとき優しく甘い歌声に撃ち抜かれた人は。世界中のレコードが集まる東京においても、流通面の悪さゆえに2006年春にリリースされたこの「A Plea En Vendredi」が店頭に立ち並ぶことはなかった。amazon等のオンラインショップでも。myspaceとYouTubeそしてmixiに席捲され、「バイラル」という情報の人的伝播が音楽のフィールドに津波のように押し寄せた昨今においては、僕たち受け手の側はマス媒体に頼ることなく、踊らされることなく、さらなるニューフェイスを発掘することが可能となった。まだ聴かぬ音を鳴らす稀有な才能を有した者たちは、世界の片隅からでもその音を広範囲に届ける手段を得た。だが、この日本では残念なことにタマス・ウェルズにスポットが当たることはなかった。耳の早い一部の層で騒がれた程度だ(僕自身もタマスの存在をその人から教えてもらった)。お隣の中国では音楽ファンのブログを中心に賛辞の嵐であるというのに。なにしろ海外通販しか入手の術がないのだ。普通ならばそんなアルバムは日々この世界に産み落とされる殆どのレコード同様、当たり前のように埋もれていく運命であったのかもしれない。だが、ここに日本盤発売の運びとなった。彼らは現地や欧米では評価されていても、名の通ったレーベルに属しているわけでもなければ耳馴染みのあるバンドと交流があるわけでもない。日本における知名度は皆無で輸入盤すら流通していないそんなアーティストが、数多のハードルを一気に飛び越え日本盤発売にこぎつけたのは、今これを届けなくてはいけないという使命感と、本作が改めて音楽の可能性を信じさせてくれるくらいの傑作であるからに他ならない。ようやく、日本は彼らを発見する。

タマス・ウェルズ。おっと説明が遅くなってしまったが、タマス・ウェルズとはバンド名であるのだが中心人物その人の名前でもある。これより先は全て個人名を指して使用することをお断りしておく。閑話休題。オーストラリアで生まれ育ったタマスは、幼少の頃よりピアノを嗜み音楽に触れる。その後、大学進学を機にメルボルンへ移住。かの地は「(オーストラリアにおける)芸術の首都」と云われているだけあり、豪州の音楽シーンを支える人材を数多く輩出していることでも有名だ。ロックではジェット、スロウコアではアート・オブ・ファイティング、ポストロックではダーティ・スリー、インディポップではソーダストリームにラックスミスと枚挙に暇がない。そんな街で彼は初めてギターを手にし、仲間たちと演奏する喜びを分ち合うことでオリジナルの楽曲制作を行うようになった。やがて自らの名を冠したバンドを結成した彼らのデビューは、2000年にまで遡る。当時、第三世界の債務帳消しを求めた運動”ジュビリー2000”に触発されたEP「Hello Jealousy」がその記念すべき最初の作品である。そして、2002年春にデビューシングルとなる「Cigarettes, A Tie And A Free Magazine」を自主制作でリリース。その年の秋にはEP「Stitch In Time」を発表。矢継ぎ早に世に送り出された二枚の音盤は、ともに地元誌のシングル・オブ・ザ・ウィークを獲得し、彼らの名前は注目すべき存在としてメルボルンだけでなくオーストラリア全土へ着実に浸透していくことになる。その才能に惚れ込んだ地元のパワーポップ/インディロックレーベル「Popboomerang」が彼らと契約を交わし、満を持してデビューアルバム「A Mark On The Pane」が発表されたのが2004年のことであった。アート・オブ・ファイティングを手がけたティム・ウィッテンをプロデューサーに迎え製作された、全10曲。穏静と静謐のトーンで統一された中に気高き祈りにも似た切なる願いを感じ取れる。豊穣なメロディ、なにより優しく響くタマスの声。自分の中の何かを芸術を司る神に捧げた結果、と僕なんかは安直に連想してしまうくらい完成された世界観が形成されている。ブレのない軸が既に彼の中で指針として存在することが伝わってくる。このアルバムについて評された「”ニック・ドレイク”ミーツ”シガー・ロス”」という言葉も、なんら大仰に聞こえないクオリティなのだ。そんな彼が作ってきた曲は、今も昔も変わらず極めてシンプルな構成で成り立っている。音数は決して多くない。初期こそは一般的なシンガー・ソングライターのマナーにのっとった、荒削りさも残る弾き語りが多かったものの(初期メンバーにはヴァイオリン担当がいたため、しばしば唐突にドラマティックな昂揚感をもたらすその音色に違和感があったりもする)、アルバム発表以降は爪弾かれるアコースティック・ギターとたおやかさを醸しだすピアノやローズといった鍵盤、この二つの楽器を柱として、リズム隊の存在感はほぼ無きに等しいというスタイルが貫かれている。

そして2006年、さらに強度を増しタマス・ウェルズの音楽は世に送り出された。前作より2年の時を経てリリースされたのが、本作「A Plea En Vendredi」だ。収録楽曲の大半はミャンマーで書かれた。ミャンマーに仕事で長期滞在中に浮かんできたメロディを、持参したギターで4トラックレコーダーに吹き込むという毎日を繰り返す。それは仕事が終わった夜中に行われるルーティンとなった。折しもミャンマーはモンスーン(雨季)を迎えており、滞在する家屋の外で降りしきる雨音すらも音の素材として録音されたという。完成したのは2時間半にも渡り録音されたデモ。そして帰国後、彼が持ち帰った素描のようなラフスケッチを、メンバーとともに楽曲として研ぎ澄ませて行く。ファーストにおいて、ティム・ウィッテンがもたらした滑らかな極上の織物のような音色を再び選択するのではなく、自分たちの手だけで作る手触り感を大事にしたかったとタマスは語っている。そして、何より自分の歌声を息づかいまで含めて更に自然なものに近付けたかったと。レコーディングの結果、11の美しい曲がここに収められた。33分と、アルバム1枚の時間としては余りにも短いと思われるかもしれないが、聴取体験後には「これ以外の形はない」と誰もが確信を抱くだけの完璧な作品となっている。

そんなタマス自身のソングライティングの転機となり、アルバム全体を貫くトーンを決定付ける楽曲となったのが、先行シングルのM2”Valder Fields”だ。ヘッドホンで聴いてみるとよくわかる。再生後、1秒。タマスが息を吸い込む、そして唄いだすサビのメロディ。同時にアコースティックギターが爪弾かれる。エレクトリックピアノのきらびやかな音色が、あまりにも耳に心地よい。それはまるで天国に続く梯子がかけられたかのよう。彼自身による多重コーラスも含めて何より際立つそのメロディの美しさは、一瞬にして何がうつつで何が夢であるかの境界を失わせてくれるほどだ。そして、前作との大きな相違点がひとつ。アコースティックギターとマンドリンによる弾き語りでありながらあまりに美しさの余韻を残すM6”Opportunitiy Fair”や、女性ボーカルとのユニゾンが印象的なM1”From Prying Plans Into The Fire””やM7”Valour”に顕著であるのだが、「マンドリン」という楽器が担った役割の大きさだ。本作ではエレクトリックギターを一切使用しておらず、その代わりにマンドリンが随所で印象的な音色を発している。弾かれた弦によって奏でられる音の響きに耳を澄ませていると、侘しさと懐かしさが込み上げてくる。この楽器と言えば、どうしたってカントリーやブルーグラスというジャンルが想起されるのだけれど、ここまでの天上的に美しいメロディに乗せて歌われることで、タマスの美旋律に宿る得も言われぬ悲しみを増幅させる効果を発揮しているのではないだろうか。そして、前作においてはインタールードとしても機能せず瑕疵となってしまっていたインストナンバーは、本作においても2曲収録されている。M5”Yes, Virginia, There Is A Ruling Class”とM10”Melon Street Book Club”だ。ピアノとエレクトリックピアノによって奏でられる前者は、1分強しかないものの深い悲しみに沈んだ旋律が印象的なピアノアルペジオ。アルバムでも3指に入るくらいのメロディの美しさを見せる楽曲(M4とM6)の間に挟まれ、素晴らしい架橋となっている。後者も鍵盤とマンドリンの絡みが深い情緒を生み出しているが、そんな両曲に共通するのが、タマスがミャンマーで録音してきた素材の中から降りしきる雨と雑踏の喧騒をサンプリングし、バックに効果的に流しているという点だ。

シガー・ロスのヨンシーやジェフ・ハンソンに比肩する天使の歌声を持ち、隙が無いほど何もかもが完成され、不純物の全く無いエンジェリックな楽曲ばかりを生み出すソングライティングの天賦の才を与えられた男。あなたはなぜそこまで純潔を保持できる?

彼のポートレートを見た時のことを思い出す。その澄徹した蒼い瞳の裏側に広がる悲しみの大きさを、僕は思わず想像した。才能を無理矢理神から授けられた者だけが背負った業による悲しみを、その眼差しから感じ取ったからか?それもある。彼の作る音楽を聴いていると、その美しさの中に悲泣の要素を敏感に嗅ぎ取ってしまう。絶望的な悲しみの果てに生み出された美は、今にも零れ落ち崩れそうな脆さでようやく維持されている。その背景にあってタマスの表現の源となっているものとは、間違いなく彼が従事する仕事であるだろう。それは、HIV/エイズ教育に関する地域保健活動。タマスは、オーストラリアのNGOで医師として働く妻とともに、長年に渡りその活動に身を捧げている。エイズが発症し死に逝く運命を背負った者、HIV感染が発覚するもそれに必死で抗おうとし続ける者、生涯この不治の病と仲良く連れ添っていこうと決意した者、自らの犯してきた過ちを悔やむ者、運命を呪い文句垂れるだけの者、そして治療むなしく死んでいった者。その仕事に携わっていく中でおそらくは見てきたであろう、それらの人々に対して己は何ができるのか。そして、未来ある子供たちをこの病に羅患させないためにはどうしたらいいのか。彼が紡ぐメロディの、優しさの裏側に湛えられた悲愁を乗り越えていく強さの感情は、そんな必死の覚悟とともにある。そう、真の意味で「覚悟」した人間にしか出せない眼光なのだ。それは、さながら武士道のような。「葉隠」の一節、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」。闇雲に突っ走って「死」を望むのではない、まっすぐに「死」を見つめてそこからほとばしる「生」のエネルギーを見い出していこうということ。僕たちの日常とは違って、彼にとって「死」はとても身近なものなのだ。来る日も来る日もHIV感染者が増加していく地域で警鐘を鳴らし続ける。感染の拡大を食い止めるために行動し、自らの言葉と時間の大部分を費やす日々。だが、無力感も大きいだろう。なにせ敵は完全な治療薬がないくらいの強大なものだ。 それでも希望だけは失ってはいけないと自らを戒め、想いをメロディへと昇華させる。聴くもの全ての苦痛を除去し穏やかな笑みを浮かばせる、モルヒネや安定剤のような彼の歌。それは、「どんな状況にあっても自分の歌が流れている間は君に苦痛を感じないでいて欲しい。目の前の厳しい現実を忘れさせてあげたい」という切なる願いが込められているかのようだ。だから彼の歌は、祈りへと近接する。

このアルバムが発売され、僕自身が聴いていたのがちょうど桜の咲く季節であったということ、ミャンマーの雨季に楽曲が書かれその雨音すら音の素材として使われたという点から、このアルバムについて連想したのは「紅雨」という単語だった。その言葉を辞書で引いてみると、「1.春、花に降り注ぐ雨/2.赤い花の散るたとえ」とある。いずれの意味からも感じ取ることができるのは、儚さと美しさの相互関係だ。森羅万象はいつか消えてなくなってしまう限りあるものだからこそ、悲しくもあるし美しくもあるということ。このアルバムばかりを狂ったように聴いていたその頃、花散らしの雨に降られ、桜がその役目を終えたとばかりに枝から離れて舞い落ちていく光景を目にした。そんなものは単なる風物詩であり、落花狼藉を残念がる間もなく季節は葉桜へと移ろいまた巡り来るとわかっていても、耳から入ってくる音楽の美しさのせいか、悲絶感に襲われてしまった。役割を全うし散っていった目の前の花弁とタマスの歌をリンクさせる。哀惜がめばえる。彼の歌はまるで自分がいなくなった後の世界に向けて歌われているようだと痛感する。自分の歌が何十年単位で生き残ると確信して、という意味ではない。そうではない。自分という人間もいつこの世界に別れを告げることになるかはわからない、だからこそ謂れもない切実さで、今この曲を歌うのだという想いだ。これもまた彼の覚悟と僕は捉える。タマスから生まれる音楽が、目にしてきた光景がその源泉となっているのだとしたら、彼は6ヶ月間滞在したミャンマーの雨景色に何を視て何を想ったのだろう。成人の50人に1人が感染していると推計される、HIV感染拡大著しいかの地で。エイズウイルスという人類を蝕む天敵に対する脅威か、諦観か、憎悪か。あまりの絶望的状況に、希望の光を見つけ出すことはできなかったかもしれない。だが彼は、現実を目の当たりにしそれに屈してもなお、音楽を奏でることをやめることはない。「自分に出来ることなんて何もない」という思考停止に陥るのではなく、「僕は、僕に出来ることをするだけだ」とまた一つ覚悟を決めただろう。だから歌が生まれる。そして、悲風吹きすさぶ日本のこの季節で、彼の悲歌がようやく流れ出す。聴かれた皆さんが日々の営みの中で抱える痛苦に対して、少しでもそれを和らげてくれたらと僕は願う。タマスが目にしたスコールのように、何もかもを洗い流してくれる浄化の作用とともに。最後に、僕にタマス・ウェルズの存在を教えてくださったTさんにありったけの感謝を。

2006年9月某日   大崎暢平

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