Tamas Wells『Two Years In April』ライナーノーツ


アーティスト:Tamas Wells
タイトル:Two Years In April
レーベル:Lirico
品番:LIIP-1504
発売日:2008年5月16日

作品詳細:http://www.inpartmaint.com/#/post-457


「美しいものに圧倒される人の受容力は驚異的なほどたくましい。
きわめて厳しい混乱のさなかでも生き延びる。
戦争ですら、何らかの死の予感ですら、その力を消し去ることはできない。」(スーザン・ソンタグ  『良心の領界』)

■■眩い光芒が放たれた輝かしい日々■■

タマス・ウェルズはその夏、ここ日本にいた。仕事の長期休暇を利用し、妻のブロンウィンとともに来日したのである。目的は日本のファンが待ち望んだ来日公演を行うため。金沢からスタートし、大阪と奈良を経由して東京で終わる日程は、短いながらも非常に濃密なものになった。天使の歌声がそれぞれの会場で響き渡ったその具体的なレポートは、以下のページにある(http://www.inpartmaint.com/hue/blog/?p=107)。LiricoレーベルA&Rの大崎晋作による詳細な報告ならびに雑感の記述だ。綴られた言葉とその行間から、彼らの人柄や過ごした時間、二人と共にあった2007年夏の情景を感じ取ってもらえたらと切に願う。そしてタマス・ウェルズに関する詳細なバイオグラフィーは、過去二作のライナーノーツを参照いただきたい。

日本での最後のライブを終えた夫妻は、二人で各地を巡る観光の旅に出た。ホテルの部屋や会場控え室で黙々と練習していたタマス・ウェルズの姿を、大崎晋作はツアー中ずっと目撃していた。彼にとってあれだけの人数の前で演奏するという経験は、人生で初めてのことであったという。緊張から解放され、肩の荷も下りてリラックスした二人は、残りの日本滞在を存分に満喫した。信州の上高地へ向かい登山を体験。そしてその足で広島へと移動し、原爆ドームを見学。日本の全てが美しい——のちにタマスはそう回顧した。彼はお世辞を言う人物ではないから、その言葉は彼の心の底から生まれたものだろう。再会を約束し合って、大崎晋作は彼らと別れた。事態はそれから半月も経たないうちに風雲急を告げる。

■■「戦争の終わり」を意味する名の街で■■

タマス・ウェルズとブロンウィン・ウェルズはその初秋、仕事で訪れたミャンマー(ビルマ)北部の村落にいた。この二年間何度も訪れた村々。ミャンマー国内でもとりわけ麻薬による汚染とHIVの感染が拡大している地域だ。二人が普段暮らしているヤンゴンからは随分と距離がある。夫妻が不在だったのは不幸中の幸いとしか言いようがない。事件はそのかつての首都で起こった。ヤンゴン、あるいはラングーン。軍事政権の無思慮な首都移転計画によってその成都は剥奪されたものの、経済や文化の中心地であることに変わりはない。その場所で、僧侶たちは行動を起こした。ミャンマー政府による原油価格の一方的な値上げ宣言への抗議デモが勃発。怒りは憤怒や憎悪と化合し、ひたすらに増幅されていく。その行為は市民の心に燻っていた火種を煽る引き金となった。軍事政権による圧政への怨嗟から民主化を願う声へと広がっていく。それらは報道機関とインターネットを通じて世界各地を駆け巡る。見かねた政府はインターネット網の切断を実行すると同時に、暴徒化しかねない群衆の鎮圧に秘密警察の師団を投入。そして、悲劇は起こった。世界中の人々が何度も何度も観たアレだ。勿論あなたも目にしたアレだ。  

一発の銃弾が一人の男を貫いた。左腰背部から入り、臓腑を傷つけ外へ。着弾の衝撃で吹き飛ぶ肉体。犠牲になったのは日本人ジャーナリスト。ビルの屋上から録られたその瞬間の映像は、2007年で最も繰り返し流されたVTRとなった。メディアの中で、動画共有サイトの中で、氏は何度も死んだ。クリック一つで彼は銃撃され、放置され、絶命した。そんな悲劇を前にしても、大崎晋作は別のことで頭がいっぱいだった。タマスとブロンは無事なのか? 僕たちの大切な友人の安否は? インターネットに繋がらないのだから、こちらから確認する術はない。現地のオーストラリア大使館に問い合わせる、あるいは所属するNGOの方が確実なのか・・・。そんなことを考えては胸が痛む時間が流れていった。

■■魔弾の射手が放った一発の弾丸 「2007.9.27」■■

広場があった。男は広場に至る道路沿いに歩きながら、ハンディカメラを回していた。そのディスプレイを覗き込みながら移動していた。ショートパンツにサンダル姿で、ショルダーバッグを肩にかけ、被写体を追っていた。そこに鎮圧部隊が到着する。男の脳裏に危険を知らせるシグナルが灯ったのかどうか定かではない。身の安全とジャーナリストとしての使命感が天秤にかけられ、下がった秤は目の前で起こっていることを映像に記録することだった。その刹那、男は屠られた。後ろから近づいてきた隊員が、銃を構え発射するまでに時間は全くかからなかった。流れるようなスムーズさで、心臓を狙い撃ちしていたかのようにトリガーが引かれた。銃弾によって貫かれた男の身体は着弾の衝撃で数メートルは吹き飛んだ。道路に横たわりながらも、男は自らの命に等しいビデオカメラを回し続けた。その甲斐あって録画時間のカウントは増えていったが、同時に、それは男の命のカウントが減っていくことを意味していた。肉体に穿たれた穴から流れ出す血液を止めてくれる者は誰一人としていなかった。致死量となる血を体外に排出し、男の生命は灼熱の東アジアで絶たれた。

■■闇を打破する祈りの歌■■

「私たちは無事だから心配しないで」   

タマスの妻ブロンウィンから送られた一通のメールを大崎晋作は受け取った。そのメールが実に10日ぶりの彼らの生存の証明であった。その報せは一時避難先として滞在中のマレーシアから発信され、その数日後には彼のMyspaceにタマス自身の言葉で自分たちの身の安全が報告された。日本で、中国で、豪州で、彼を愛する全ての人たちが胸を撫で下ろした瞬間だ。夫妻はBBCなどの海外テレビの放送によって暴動の事実を知り、蒼白し、胸を痛めたという。

国外への出国に際して彼が持ち出したものは、身の回りの生活用具だけではなかった。東京公演で自嘲気味に彼が語った、ミャンマーで購入した日本円にして800円のアコースティック・ギターを携えていた。事態が終息するまで待機する以外は基本的に何もすることがなかったタマスは、ギターを手に作曲に取り掛かる。弦を鳴らすだけで、コードを押さえていくだけで、心の奥深くからとめどもなく湧いて出てくるメロディ。そのアイディアの断片を閃いてはデモとして封じ込めていく。彼は常々、楽曲制作は自分が身を置く環境に左右されると話している。2006年発表の前作『ア・プリー・アン・ヴァンドレディ』は、大多数の楽曲が半年間のミャンマー逗留中に書かれたものだ。こうしてタマス・ウェルズがサード・アルバムの曲作りを本格的に始めた環境は、極限状態に近いくらいにタフな状況下となった。被害を被った一人ではあるものの決して当事者にはなれない距離感。ヤンゴンの日常やそこに暮らす人々の穏やかな優しさを誰よりもよく知っているのに、世界中の人々は混沌状態の当地しか知らないという苛立ち。そして、たくさんの屍を想うときの果てしないやるせなさ。そういったものが彼を作曲へとかりたてる。  

多数の逮捕者と死者を出した反政府デモはやがて鎮圧され、複雑な想いを抱えミャンマーへと帰国したタマスたちは、暴動の爪痕が生々しく残るヤンゴンで再び日常へと立ち戻っていく。タマス・ウェルズは初秋に起こった事件についてこのように語った。

「ミャンマーの人びとのなけなしの希望が根こそぎ奪われてしまった」

■■「微笑みの国」の集大成としての記録■■

今回のアルバムの全てがミャンマーに由来するもので占められることになったのは、タマスなりの決着の付け方でもある。けじめと言い換えても良い。本来は四人組バンドであったタマス・ウェルズだが、彼以外のメンバーは本作には参加していない。協力者としてクレジットはされているが、レコーディングに関しての貢献は一切ない。タマスが現地で購入したギターとバンジョー、ミャンマーの民族楽器であるシーの音、彼が現地で知り合った友人が演奏するヴィオラの音色、そしてストリートで遊ぶ子供たちの嬌声のフィールド・レコーディング(5曲目)だけでこのアルバムは成り立っている。楽曲がレコーディングされた場所も、ヤンゴンにある自宅である。すなわち、今作は純然たるソロ作品ということだ。セカンド・アルバムで印象的だったピアノは、現地での調達が不可能ということでサードでは鳴りを潜めてしまっている。だが、それは物理的な要因であり方向性の転換ではないことを記しておく。再びバンドでのレコーディングとなる次作ではその要素が現れることだろう。  

“ミャンマーの部屋で、ミャンマーで作った曲を、ミャンマーで知り合った友人の力を借り、ミャンマー産の楽器を使ってレコーディングする。”  

一貫したこのコンセプトを完成させるためには、言葉による封印が必要となる。これまでのタマスの楽曲を特徴づけていた抽象的なだけの詩作では、どうしても画竜点睛を欠く感が否めない。彼はこの極めてプライベートなソロ・アルバムを、さらに私的な内容に変えるために一つの物語を生み出すことを思いつく。パズルのピースが埋まった瞬間だ。ここにタマス・ウェルズがミャンマーで過ごした時間や情景や接した人々の優しさ、感じた喜怒哀楽が褪色することなく封じ込められることになった。全てを託されたのは一人の少女。名前をデニス・ロックヘッドという。こうして二年ぶりとなるタマス・ウェルズのサード・アルバム『トゥー・イヤーズ・イン・エイプリル』が完成した。

『そして、音楽は語られなかった悲しみのためのものだ。  
ひとが音楽によって得るのは、人間の権利としての悲しむ権利だ。  
レクイエムでない音楽はない。』 (長田弘 『イン・メモリアム』)

■■輝くばかりの残酷、少女デニス・ロックヘッドの悲劇■■

この悲しみの物語は4月からはじまる。中心となるのは、前述の通り一人の少女。語り部となる人物の独白によって進んでいくストーリー。語り部は誰ともわからぬ「君」に向けて語りかける。ブックレットを見れば、個々の楽曲に付けられたサブタイトルが目を引く。それらは物語の内容を仄めかしてはいるけれど、実際の歌詞は明解な内容のもと進行していくわけではない。通奏低音として物語世界があるとはいえ、歌詞の抽象性は以前と比してさらに増しており、意味を掴んだり具象を想起することは一層困難なものになっている。それゆえタマスの意向を汲み取り、対訳の掲載だけでなくライナーノーツにおける歌詞の仔細の検証をも行わないことをご了承いただきたい。主人公を設定したコンセプト・アルバムでありながら数多に存在するそれらとは一線を画していることから、あくまでタマス・ウェルズ流のコンセプト・アルバムという認識で接して欲しい。このアルバムに耳を傾けた方それぞれが想像して解釈してほしいというタマス自身のたっての希望なのだ。以上を踏まえて、物語内容について紹介していきたい。     

デニスの具体的な年齢設定はされていないけれど、タマス曰く"A Girl"ということなのでティーンエイジだろう。オーストラリア人で、彼女はパートナーの男とともに極東へとやってくる。来訪の理由は最後まで明かされることはない。男との具体的な関係への言及もまたしかり。物語の中で、二人は移動に移動を重ねていく。ミャンマーとおぼしき場所からナイル川を臨む中近東へ。そしてスカンジナビアへ。最後に母国のオーストラリアへ。章題がそれを示唆する。舞台となる風景は変われど背景で鳴っている音に特別な変化はない。バンジョーを基調に、アコースティック・ギターが爪弾かれ、本人による多重コーラスが加わる。楽曲によってはヴィオラの音色が余韻をもたらす。今作の柱となる5曲目の「The Northern Lights」、そのタイトルさながらの眩い光の音象が消えていき、物語が折り返し地点にさしかかるやいなや明らかに曲のトーンが変化する。明確に1~5曲目と6~10曲目に分断される。さながらレコードのA面をひっくり返し、B面から新たな展開を進んでいくことを意識しているかのようだ。テンポが速く明るめの楽曲で占められる前半と、メランコリーでダークな後半。素人耳にも明らかその変容に関して、タマスはこのように語っている。

「物語のメランコリックなトーンはぼくがミャンマーの生活で知覚したいくつかの経験を反映しているかもしれない。毎日、悲劇的な死がそこにはあって、一方でオーストラリアや日本とかみたいなもっと豊かな国々では、死はなじみがなくてほとんど非日常的なものとして見られるからね」

ミャンマーで暮らした二年のあいだ、タマスはたくさんの死に接してきた。自分が仕事で関わった患者もいれば名もなき市井の民もいる。眼前の出来事もあれば、耳に届くだけの報もある。決して忘れることのできない死もあれば、忘却の彼方へと消えた死も。軍事政権に支配されたミャンマーでは、死はありのままの姿で、剥き出しとなってそこにあった。石炭と不動産を中心としたバブル経済に差し掛かっている現在のオーストラリアは勿論、昨夏滞在した日本でも死の影などどこにも見つけることなどできなかった。それこそが先進国とそうでない国の間に横たわる裂け目だ。彼が軍事政権のもと肌で感じてきた死の一つひとつは、物語に大きな影を落とすことになった。惨劇が少女の身に突然降りかかる。物語の創造主は無垢であり無辜の少女に鉄槌を下す。もっとも醜い手法で純潔を汚す。それがラスト3曲の麻酔的時間の音象化とも言うべき展開へとつながっていく。そこでは、タマスの美しい歌声はかつてないほどの涅槃性を帯びて心に届く。それを耳にした瞬間、僕たちは確実に彼岸と此岸の境界線を意識する。「ここ」と「そこ」、「Here」と「There」、その「あわい」にてデニスの身に起こった悲劇に想いを馳せる。  

タイトルが全てを物語る8曲目「The Day that She Drowned, Her Body was Found」(彼女が溺れた日、彼女の死体が発見された)で歌われる非情な物語とは裏腹の、哀惜に満ちたメロディの美しさはどうだ。デニス・ロックヘッド、春愁の季節に溺死。事故か自殺か、はたまた殺人か。その真相は語られることはない。ただ船から落ち、行方不明となったということだけ。そしてその死体が浜辺に打ち上げられ、物言わぬ少女が非業の死を遂げたことだけが語られる。溺れ死んだということは、デニスの身体は見るも無残なまでに膨張し、鮮紅色を帯びた死斑が皮膚に浮き上がり、かつて美少女だった面影すらないくらいに醜い姿をさらけ出したということに他ならない。ただ、造物主としての憐憫か情けか、デニスに対する最後の尊厳としてタマスは彼女に白い服を着せた。デニスは死の世界へ旅立つことで少女であることをまっとうした。それが望んだ死なのか予期せぬ死であったかは定かではなくとも、彼女は死ぬことで永遠となった。死して横たえられた少女、水の中で死んでいった少女。それはジョン・エバレット・ミレイの絵画『オフィーリア』のイメージそのもの。 

■■溺れ死んだ少女の白色、ラピスラズリの狂れた青色■■   

だが、なぜ少女は死ななくてはならなかったのだろう。以下は僕の譫妄的見解である。タマス・ウェルズのオーストラリアでの居住地であるメルボルンの郊外には、剥き出しになった巨大な岩山がそびえ立っている。この山はある種の人たちにとっては聖地として名高い。1900年に実際に起こった事件の発端となった場所であり、その詳細は今では一本の映画から知ることができる。ピーター・ウィアー監督作品『ピクニック・アット・ハンギングロック』。寄宿舎高校に暮らす少女たちが、ピクニックとして出かけた上記の岩山で謎の失踪を遂げる物語。忽然と姿を消した少女たち。ヴィクトリア王朝の名残ともいえる白い制服に身を包んだ彼女たちは、白い衣装を着て溺れ死んだデニスとの関連性を容易に想像させる。ましてやタマス・ウェルズの地元を舞台にした映画だ、映画好きの彼がそれを下敷きにしていないわけがない。  

そして、少女は「時」によってがんじがらめになる存在だ。その煌きと残酷の季節の中に居続けることはできないという理由において、彼女たちは有限だ。なにも「時」だけではない、少女はさまざまな神話やお伽噺や作品で囲われ囚われ隔離されてきた。俗に「少女流謫」と呼ばれる儀礼。少女とは抑制と抑圧が伴う哀しき定めの存在である。それはミャンマーの人々の日常のメタファーなのだと解釈して、鼻で笑う者がいるだろうか?タマスは自分がかの地で過ごした二年間という区切りの中で、死を直接的に意識させるべくこのような手法を思い付いたのではないだろうか。限られた時間しか与えられない人生のなかで、はっきりと死を想い(メメント・モリだ)、いかに生を燃焼させるのか。少女が主人公に指名されたのも当然である。有限の象徴であるのだから。そして彼女は僕たちにそのことを知らしめるために夭折した。消えゆく少女の正装としての白い衣装を身に纏い、僕たちに背を向けた。  

一番最後に完成し、作品の掉尾を飾ったアートワーク。キャンパスに描かれたペインティングは、前作のジャケットに採用されたタマスの祖父が描いた壁画の延長線上にあるように思われる。ラピスラズリの青で塗られた下地に白い描点と直線のラインがあり、そして真っ赤な滲みのようなものが下部にある。これが意味するものは何か。ミャンマーの青空にかかる雲か。直線は戦闘機が残していった飛行機雲か。赤い滲みは沈みゆく太陽か、それは流血のメタファーか。それぞれの想い出の中にある血の色の投影か。不穏さ、禍々しさ、忌避すべき感情、そんな負のイメージしか浮かんでこない、あまりにも不吉なトリコロール。あるいは、全てを締めくくる浄化の役割を託された最終曲のタイトル「Grace And Seraphim」から来ているのか。Seraphimとは天使の中でも高い位の熾天使のことであり、俗に赤い翼を持つとされている。そんな赤が、海(青)で溺れるデニス(白)の近くに寄り添っているという宗教画さながらの見立ても。     

■■私たちが生きる日常という舗装道路の下は全て死体でできている■■ 

タマス・ウェルズが今作を通じて表現したかったこと。それは、死はいつでもそこにあるという一点に尽きる。死は本当はごくありふれた出来事にすぎないということ。僕たちが置かれている環境では、死は徹底的に隠蔽されてしまう。日本では死体はテレビ画面には映ることはない。ミャンマーで銃撃されたジャーナリストは、生体としてギリギリのラインまで映し出され、死体となってからの姿が流されることはない。だが、死は幾らでもころがっている。それはこの身の毛もよだつ日常の中にある。ある晴れた平日の朝、ポットのお湯を出すべくスイッチを押している我々の向こう側に、死刑執行のために絞首の台場を開くボタンを押す役目の刑務官がいるという厳然たる事実を想像すること。政治的スタンスは関係なく、個人として想像力でファイティングポーズを取ること。タマスの歌詞から立ち上ってくるメッセージを僕はこのように解釈し変奏する。死を己の想像的苦痛の最終到達地点とだけ認識するのではなく、人間だけが持ち得た武器としての想像力に変換して立ち向かって行かなくてはならない。死を原動力として生と向き合はなくてはならない。死んでゆくことから学ばなくてはならない。サミュエル・ベケットの言葉「想像力は死んだ、想像せよ」を、今こそ胸に刻み込まなくてはいけない。これは戯言だろうか?「想像力は国家を超える(Imagination Beyond Nation)」と書いても単なる言葉遊びにしか聞こえないだろうか?

現在、様々な人たちがそれぞれのスタンスで想像力の欠落に警鐘を鳴らしている。昨年から今年にかけてそれは同時多発的に起こっている。小沢健二は自主制作映画『おばさんたちが案内する未来の世界』の中で、中南米諸国の現実を映し出しながら、「きっとよく見ると思いもかけなかったことが見えてくる」と想像力の正しい使用方法を訴えた。辺見庸はクラブで行われた講演で、日常に溢れるものの背後には必ず死が隠されていて、そこから目をそらさず注視することで抵抗する手段を身につけることの重要性を語った。森達也は、今年刊行された『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。』において、「僕は直視を試みる。できることなら触れてみる。さらに揺り動かす」と、リアリティを最優先させる意識を提示し、そのエピローグでこう締めくくった。「僕は人に絶望したくない。生きる価値のない人など認めない」。そして4月19日の「アースデイ東京2008」において、いとうせいこうがミャンマー軍事政権に抗議するポエトリー・リーディングを披露した。彼はミャンマー政府によって迫害された僧侶たちを指して、「我々もまた彼らである。彼らはまた我々である」と何度も繰り返し、他者と他者をつなぐ対話の重要性を問うた。これらのメッセージはナイーブ極まりないかもしれない。だけど、その言葉には誰の手によっても消すことのできない光の在り処がある。それは全てを照らし出すほどの眩いものではないかもしれないけれど、真っ暗闇の中にたった一筋差し込んでくるあまりにも尊い光だ。

これらの動きにタマスはその歌声で背中を押してくれるかのようだ。前作までのタマスの歌声は、絶望に打ちひしがれた悲しみを直視してもなお、優しく包み込んでくれる繭のような存在でもあった。絶対的な美しさをもつものに備わった強度ゆえに。だが今作は純粋なソロ・アルバムだからこそ、人間タマス・ウェルズのリアルな感情や経験が滲み出てくる。作品全体が喪失の予感とメランコリーと悲しみに覆われたことで、いつ躓くかわからない脆さや不安定さを生じさせ、結果的にフラジャイルな感覚がさらに増した。確かに歌声による繭はなお健在だ。でも、そこにはクレバスがあって聴く人を完璧に包み込んではくれない。外部から遮断してはくれない。その裂け目からは外の光が差し込んできて瘴気すら漂ってくる。そこから見た世界は、美しさの欠片もないものかもしれない。醜く焙れ、爛れているかもしれない。だとすれば、今こそ想像力を手に覗き込んでみよう。みたびこの世界に響くタマスの歌声は、それは目覚めの合図だ。日常へ立ち戻るためのシグナルだ。

ライナーノーツの最後を締めくくるべく、再び彼女に登場してもらおう。スーザン・ソンタグに。彼女の遺稿となったテキストにある言葉には、タマスの本心が表現されているのではないかと思ってならない。

「暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。」(『良心の境界』序文より)

2008年4月21日 大崎暢平(Lirico)

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