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Tamas Wellsと歩んだ15年

リリースから15年、オーストラリア人シンガー・ソングライターTamas Wells(タマス・ウェルズ)の2ndアルバム『A Plea en Vendredi』が初めてレコードとして再発される。

Liricoというレーベルが生まれる契機となった作品であり、ぼくの人生においてもっとも大切な作品のひとつ。Liricoが生まれたのは正確には2007年のことだが、この作品が実質的にレーベルのはじまりであり、このレーベルが15年も続けられたのは、タマス・ウェルズの音楽に救われた2006年夏の情熱と偽りの使命感が、時とともに形を変え、徐々に擦り切れていきながらも今もなおギリギリ残っているからだと思う。

今回、せっかくなのでこの作品について少し文章をしたためてみる。

当時、hueというインディー・ヒップホップ・レーベルを担当していた。23歳で自分のレーベルを立ち上げ、セールスの成績はそれほどパッとしなかったが、他には真似できないラインナップのリリースを届けるレーベルだという自負があったものの、徐々に息詰まりを感じていた。そんな25歳の夏、タマス・ウェルズの音楽に出会った。当時存在していたmyspaceというSNSで「Valder Fields」を聴き、驚嘆した。この世にこれほど美しい音楽があるのかと畏怖すら感じた。

懇意にしていたバイヤーさんに意見を伺うなど最低限のマーケティングを行い、プレゼン資料を作って社長に提出した。当初、社内の反応は薄く、「やってみれば?」という感じだったのを覚えている(とはいえ、今に至るまで、ぼくの担当するものに社内の反応がよかったことはほとんどなかったので、そういう社風ということかもしれない)。記録を辿ると、ライセンス・オファーのメールを出したのは2006年8月1日で、8月9日には合意していたようだ。

以下はリリースの1ヶ月前にmixiで公開した日記をそのまま引用したもの。
(商品ページのリンクのみ今アクティヴなものにした)

いま、唯一の安らぎ
2006年09月16日13:17

さて、ようやくウェブにもアップしましたが、
hueをお休みして、Tamas WellsというSSWのアルバムの
国内盤をリリースすることにしました。

http://www.inpartmaint.com/site/199/

詳細は上記リンク先をご覧ください。
2曲目の「Valder Fields」を試聴してもらえれば、一瞬で
その素晴らしさが理解できると思います。
わずか1分たらずの試聴なので、続きはぜひご購入いただいて、
家でゆっくり聴いてください。

このアルバムをフルで聴いて、
1週間後にはリリースが決定していました。
hueをほったらかしにしてまでリリースすることに、
ぼくの気合いが分かっていただけるかと。

実際、いま、この作品に救われているぼくが
これをリリースすることは必然だと思うんです。
詳しくは説明しませんが。
だって、せっかくこういう仕事についているのに、
日本に全く入ってきていない素晴らしい音楽を、
独り占めするなんてぼくにはできません!
それだけがやりがいであり、快感なんだから。

どうやら、昨今、ウタモノは良質であれば良質であるほど
売れないらしいのですが(苦笑)
セールスはそれほど重要視してません。
まあ、社長に怒られない程度の成績であれば(笑)
でも、同時にこれを聴いて何も感じてくれないわけがない、
という自信と、あと人間に対する信頼や期待?のようなものも
持っていますが。
もしもそれが裏切られたら、ぼくはこの仕事辞めるしかないのかもしれない。

かなりソフトに書いているな、という印象。全く覚えていないけど、多分本音をさらけ出せずに何度か書き直した結果がこれなのだろう。

2006年10月15日にリリースされたが、初動の良さは今でも記憶に新しい。イニシャルプレス枚数は800枚で、当時の最低ラインだったがその後追加プレスを繰り返し、年内には200%増。現在までに4000枚を越えるロングセラーとなった。これはぼくが担当した作品のなかで最多売上枚数だ。

擦れ切った感情を修復してくれるような中性的な美しい歌声と、シンプルでありながらいつまでも耳に残るメロディーが多くの人の心を打ったことはもちろんだが、当時、ミャンマーにて医師である妻とともにHIV/エイズ教育に関わる地域保健活動を行う現地のNGOで従事していたというバックグラウンドがひとつのストーリーとして必要以上に興味をひいたことも否定はできないだろう。

その後、2012年にミャンマーからメルボルンに戻って以降、そのストーリーが失われてからの反応の変化がそれを物語っている。メルボルンに戻ってからも大学で東南アジアの政治や民主主義について研究を行っていることや、今年、ミャンマーの政治と民主主義というテーマの書籍『Narrating Democracy in Myanmar』を出版したことは、彼がミャンマーのNGOに従事していたことほどは知られていない。

実はタマス・ウェルズは画家でもあり、アルバムのアートワークに使用されている絵画はクレジットはされていないが、どれも彼自身の作品だ(『A Plea en Vendredi』は彼の父の作品が使用されている)。新型コロナウイルスのパンデミック以降、ロックダウン時に描きはじめた 'What we see through the window' というシリーズではパンデミックと軍事政権のクーデターにおいて、激動の時期を過ごすミャンマーの人々を描いている。そのシリーズは彼のウェブサイトで購入可能であり、売上は100%、Myanmar Students' Association Australiaという団体に寄付されるとのこと。このように、タマス・ウェルズはメルボルンに戻ってからも第2の故郷ミャンマーに尽力を尽くしていることをここに書き記しておきたい。

彼が初めて日本を訪れたのは2007年夏のこと。これまでに20近くの来日ツアーの企画を行なってきたが、タマス・ウェルズの最初のツアー(これまでに5度の来日ツアーを行なってきた)は個人的にも2度目の来日ツアーで、まだ経験の浅かった自分にとっては最初の成功体験でもあった。レーベル業務とプロモーター業務を兼務するのは並の覚悟ではできない。当時それができていたのは間違いなく若かったからだと言えるが、いつしか歳を重ね、何者にもなれないことに気づいてしまった自分が、タマス・ウェルズを通して他の誰かの記憶に残り、その誰かに影響を及ぼすことができるのかもしれないという思い込みが若い自分を突き動かしていたことは間違いない(それを最も感じたのはライヴ盤『Signs I Can't Read』として音源化されている、2010年12月のsonoriumでのライヴだった)。

現在に至るまで最後の来日になったのは2014年のこと。ドラム、ギター、キーボードを加えた初の4人編成でのツアーだったが、タマス・ウェルズ・バンドのアンサンブルのひとつの完成形を観ることができた気がする。このツアーでは当初下北沢の富士見丘教会でライヴを行う予定だったが、開催日の1ヶ月ほど前に同会場で行われたイベントの騒音問題で会場が使用禁止となったため、急遽光明寺での開催に変更となった。先日、同僚たちが「もし過去に戻り、どんなバンドのライヴでも観れるとしたら?」という雑談をしていて、ぼくはその雑談には加わらなかったのだけど、ぼくの答えはこうだ。「2014年の幻となったタマス・ウェルズの富士見丘教会でのライヴ」。あらゆる恨みを決して忘れないタイプなので、多分、ぼくは一生こう言いつづけると思う。

参照記事:Tamas Wells ‘Volatility of the Mind’ tour 2014 ツアー後記

「Valder Fields」について、2014年のライヴのMCでタマスは次のように語っている。「ぼくらの生活にはふたつの部分があって、ひとつは理性的で思慮分別がある部分と、一方は非理性的な部分があるとおもうんだ。そんな別々の場所について考えたときに自然発生する場所をValder Fieldsと名付けた」。この曲について説明したのはこの時が初めてのことだったが、ぼくは『A Plea en Vendredi』のアートワークで描かれた、この世のどこでもないような場所を勝手に「Valder Fields」と名づけていた。この世界のあらゆる足枷から自分を解き放ってくれる唯一の歌。ひとりひとりに語りかけるように静かに、やさしく歌いかけるタマス・ウェルズのライヴをまた日本で観てもらえる日はまだまだやってきそうにはないけれど、2014年のツアーで感じた「これが最後かもしれない」というぼくの予感は多分外れる気がする。

というわけで、15年が過ぎてしまった。実際、今回のLP化の話は2016年、10周年の時に発案されていたりする。そのときは叶わず、こうしてさらに5年もかかってしまったが、LP化を待ち望んでおられた方も多かったと信じている。

「Tamas Wellsと歩んだ15年」というタイトルで書き始めてしまったが、このままでは際限ないので、タイトルに偽りあるが、このあたりで終わりにする。これまでLiricoとタマス・ウェルズを応援いただいたみなさまに改めて感謝いたします。

『A Plea en Vendredi (15th anniversary LP edition)』の発売日は2021年11月19日。その日はタマスの47歳の誕生日でもある。

Happy release day & Happy birthday!


ORDER: https://tempojpn.com/collections/new-release/products/tamas-wells-a-plea-en-vendredi-15th-anniversary-lp-edition



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