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「過去のこの日をさかのぼる」

 SNSがさかのぼって同じ日の写真を見せてくれる。私がSNSを初めて8年。母が難病になって15年。母が寝たきりになって在宅で生活して、介護したり仕事したり、震災があって、結婚して、急変して入院して家に帰ってきて…昨日のことのように思い出を反芻させられる。それが何年も何年も続いている。これが結構辛い。
 過去の母を否定するつもりもなければ、過去の母を賞賛するつもりもないけれど、思うのはどんな状態でも、恋しくて会いたくて戻りたくてたまらなくなることだ。子供がいて夫がいて、今のこの生活もとても愛しいけれど、思い出の引力というのはすさまじい。SNSネイティブの人たちはそんな引力をどう振り切って生きてるのだろうと思う。

「死んで病気から解放されて、よかったのよ」

 母は難病で、闘病生活は10年にも及んだけれど、その10年は苦しい悲しいものだけではなかった。それは目で、それは機械で、それは瞬きでだったけれど、たくさん話したし、私はこの介護が始まってから母の前でオトナでいることを極力やめることにした。それが私と母には気楽だった。動かない手で頭をなでさせてみたり、ヘルパーアゲ、娘サゲの日は大げさにいじけてみたりした。母は私の子供っぽい行動に大笑いして、難病と悲劇を追い出していた。宴会もした、車いすで外にも出た。恋バナだってした。コンビニ行って肉まんを大人買いもした。この10年は簡単には切り捨てられないほど、私には愛しい母との思い出だった。

 母の葬儀でふと棺を覗いた母の幼馴染が「よかったのよ。もうこれで病気から解放されたのよ。もう歩くことも話すことも食べることもできて、自由になったのよ」と言った。私は、ずっと何か奥歯に挟まったような感覚だった。それは、「あなたも介護から解放されてよかったと思うべきなのよ」と言われているように思えたのだ。
 苦しかった。不自由だった。重かった。負担だった。もちろん介護はつらかった。でもそれだけじゃない。汗だくだけどなぜか爽快だった一人で母をシャワーに入れた夜も、涙が出るほど大笑いしたあの夜も、桜が咲いたらお花見するってその日を指折り数えた日も、「肉まんが冷蔵庫にあるよ」とコンビニ行ったアピールされた夜も、私だけが話し続けたあの夜も、今もこんなにも「過去のあの日」に焦がれる。そして過去のあの日はスマホの中だけじゃなくて、ふと見上げた初夏の空や、天井のシミや、懐かしい歌に宿っていて、心が何度も母の名を呼ぶ。たぶんこれからも。

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