222 ポスト現代環境とは

1.222
2.ポスト現代環境とは
3.ぽん
4.2024015
5.某Discord
6.ポスト現代環境についての考察
7.
別に環境保護主義に肩入れするつもりはないですが。
自分は現代の先進国の文明と言うものは自然環境を超越しているのが自明であるかと思っております。年頭におきた地震と被災地の復旧活動を見ると人々に牙を剥いた自然環境の恐ろしさをまざまざと見せつけられましたが、こと日常生活においては世界貿易によるあらゆる物産の流通体制とそれによる恩恵により少なくとも都市に住んでいる人々は自然環境にあまり依存しない生活をおくることができるだろうと思われます。

・近代まで 環境に依存
・現代以降 環境に非依存(環境を超越)

自分には、これはドラえもんで表現されたような21世紀の未来社会の先駆けになるものであろうと思えます。まあ、世界人口が抑制され、地球の資源が無限にあり、温暖化などのごみ排出問題が無いことにでき、今後も科学技術の発展が進めば、と言う前提になりますけど。
ごみ問題にも環境問題にも関心の無い自分にとっては、これこそが理想の現代でありますし、その延長線上に理想の未来がある様に思えます。
しかし、一抹の不安は存在します。それは地球温暖化との関連性は不透明ですが、夏を経るたびに気温上昇の不快さを味わうこと、そのうんざりした暑さの延長線上には理想の未来を見いだせないかもしれないと思えることです。この議題に載せたような環境を超越したポスト現代とは、あくまで先進国の比較的豊かな都市居住者にしかあてはまらない限定された極めてラッキーな時代性に過ぎないものであろうと思えます。
結局は、欧米やオセアニアや極東の民主主義国の富裕な都市居住者の切りあがった生活環境を、今後どうして行く必要があるかの問題に収束されます。当然先進国にとっては民衆の既得権益を削減する提案になるでしょうから、各国の政治家にとっては政治生命に絡む問題になるだろうと思われます。このような先進国の国益に絡んだ問題においてどこまで先進国の政府や民衆が譲歩できるのか、自分を前提に考えますとただでさえ苦しい生活環境のより一層の切り下げはほぼ不可能なことであろうとすら思えます。

ポスト現代環境と言う未来社会に向けて今後はいろいろな選択肢や不透明な紛糾事態が起こってくることは容易に予測されますが、それに対して自分たちは余裕をもって譲歩できることを甘んじることができるのか。自分事として考える限りにおいては、暴力により無理やり切り下げられない限り妥協余地は少ないだろうと思っております。まあここら辺の問題については実際にはなるようにしかなりませんから、せめてできる限り温和に推移してくれたらとは考えます。

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