217 クレタ人のパラドクスについて

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2.クレタ人のパラドクスについて
3.ぽん
4.20231222
5.某Discord
6.クレタ人のパラドクスについての考察
7.
古代ギリシアの哲学者でもあるクレタ人のエピメニデスが「クレタ人はいつも嘘をつく」と言ったとされていることが出自であるとされております。
https://ja.wikipedia.org/wiki/自己言及のパラドックス

構造的には、こうなるだろうと思われます。
1.すべてのクレタ人が嘘つきであるとするならば、エピメニデスの発言も嘘である=クレタ人は嘘つきでない
2.でもクレタ人が嘘つきでないとするならば、エピメニデスの発言も嘘ではない=クレタ人は嘘つきである
このことにより、この言説は二律背反に陥り嘘つきのクレタ人と嘘つきでないクレタ人の可能性が混在することになることになります。

自分は、哲学の素養も論理学の素養も欠けているため、社会学風にこのことを考察してみたいと思います。
まず、これです。
1.エピメニデスが嘘つきかどうかです。
これは明確に偽であると推察できます。普通に考えたら常習的な嘘つきが哲学者として歴史に名を残せる可能性は皆無に近いです。では、どう解釈したらよいのか。自分はエピメニデスは部分的な嘘つきであったと考えております。報復が予期される群れの身内に対しては嘘をつかない、報復の可能性が低い群れの外様や群れの外に対しては嘘をつく。このような使い分けを行う人は、今の社会でも普通に存在しております。
2.クレタ人は嘘つきであると言う発言は、真意であるか。
これは群れの内向けの発言なのか、外向けの発言なのかに注意する必要性があるかと思われます。
・群れの内向けに発言しているのなら、群れに対する警鐘は真意である、群れに対する自嘲は嘘である、可能性があると推察できます。
・群れの外向けに発言しているのなら、群れに対する警鐘は嘘である、群れに対する自嘲は真意である、可能性があると推察できます。
つまり、クレタ人は嘘つきであると言う発言は、内向きの自嘲と外向きの警鐘などにしか当てはまらないのではないかと推察できることになります。

そうすると、クレタ人のパラドクスは、こう言うことになります。
1.クレタ人(と言うよりすべての人類)の発言は一貫性を持たない。
2.エピメニデスも、クレタ人である。
3.そのためエピメニデスの発言は一貫性を持たない。
4.そのことにより、エピメニデスは部分的嘘つきである
5.よってエピメニデスの発言である「クレタ人はいつも嘘をつく」は部分的な嘘である。

まあ、仮に自分の考察にある程度の妥当性を持ちうるのなら、このクレタ人は最終的に周辺環境から爪はじきにあうだろうと思えます。何故なら部外者専門の嘘つきと積極的に付き合おうとする部外者は少ないからであるはずだからです。なお、この考察は西側のダブルスタンダード政策にインスピレーションを得て作ることになりました。自分の本意はこうなります。「西側文化人およびその追随者はいつも嘘をつく」です。

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