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220128 料理

濃厚接触者と判断されて自宅待機、今日が最終日。PCR検査を受けた結果、陰性だった。保健所の指導に従い、明日からは通常の生活に戻ることになる。

仕事の性質上覚悟はしていたけれど、第6波の拡大スピードを前に成すすべもなく今に至った。私が検査を受けられたのは、恐らくクラスター防止等の観点から優先対象とみなされたからだ。今回はたまたま感染を免れた(もしくは、偶然検査の結果は陰性で済んだ)ものの、いつまた似たような状況に陥るかは分からない。もどかしくても、私は私にできることを地道に続けるしかない。

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やや不謹慎な言い方にはなるけれど、家に留まらざるをえない状況となり、ありがたいことに日頃の疲労を回復することができた。リモートワークはほぼ物理的に不可能なので、待機初日からひたすら眠り、びっくりするほどよく眠った。もちろん仕事でもプライベートでも、家でできることはたくさんあったはずだ。でも、正直ほとんど手をつける気にならなくて、しばらくぼんやりしていた。昨日検査結果の連絡が来て、ようやく心が晴れた。その瞬間まで気づいていなかったけれど、自分が感染しているかどうかがはっきりしない状況で一人きりで過ごしていたから、やはり不安が強かったのだと思う。現状要待機と認められている期間の都合上、今日も自宅に籠もっており、それでも、結果を聞く前とは比べ物にならないほど今日は気持ちが落ち着いていた。

疲れがとれて元気を取り戻すと、無性に料理がしたくなった。ネットスーパーで注文した食材を使い、今日はひたすら料理に明け暮れた。最近は忙しさと疲れが上回り、なかなか料理まで行き着いていなかった。久しぶりに思う存分キッチンで食材と向き合い、調理をしてみると、自分で自覚していた以上に、私にとって料理をする時間は大切なのだと気がついた。

イラストや文章、プラモデルなど、なんであれ、ものづくり・創作行為は心の健康によいと聞く。私にとっての創作の手段が、料理なのだろう。食べることは生存の基盤。それを誰かに明け渡すことなく、できる限り自分の手で賄おうと努めれば、それはそのまま私自身の活力となる。加えて、個人的に料理の一番好きなところは、完成した「作品」が食べてしまえば消えてなくなるところにある。職場のある子は、とあるシリーズもののフィギュアを見事なまでにきれいに一列に並べ終えると、すかさず自分の手でその列をなぎ倒す。その子の気持ちに似ている気がする。私はレシピのスクショは保存しても、自分で調理したものを写真に収めたことはない。まあ、大したもの作らないからなんだけど。

そういえば、かのバンクシーはシュレッダー事件の際、The urge to destroy is also a creative urge(「破壊の衝動は創造の衝動でもある」)というピカソの言葉を引用したらしい。こんな大層な人たちになぞらえるつもりはない。ただ、なんとなく思い出した。

脱線した。ここで書き留めておきたかったのは、私にとって料理の時間は大事だということ。どんなに疲れていても、できるだけ料理の時間は削らないようにしよう。それが疲れを癒やしてくれることもあるから。今日は勢い余って、どう考えても作りすぎた。一週間かけても食べ終わる気がしない。こういうとき、「作りすぎたからおすそ分け、よかったら食べて」って言える友達を作りたい。結局ここでもコロナを理由に色々な困難が付きまとうわけだけど、せめて「こうなったらいいな」という想像だけは、奪われたくない。許してあげたい。