200613 〈TED〉ジョセフ・ゴードン=レヴィット: 注目されたいという欲求は創造性を削ぐ

『(500)日のサマー』や『インセプション』など、多くの出演作のある著名な俳優さんが、ご自身の経験を踏まえながらお話されている(2019年)。以下、Transcript/日本語訳に基づくメモ及び引用(太字は引用者によるもの)

(SNSなどで)「注目を集めること」と、演技を通じて体験してきた「注意を向けること」とを対比させた上で、彼は以下のように語っている。

過去10年間で 新しいテクノロジーのおかげで より多くの人々が 注目を集めることが できるようになりました(中略) 流通のためのチャンネルが 民主化され それ自体はいいことです
でも 創造的でありたいと願う すべての人にとって 予期せぬ影響があったのではないかと 思わずにいられません 私自身もそうです 無関係ではありません 私たちの創造性が だんだんと ある目的のための 手段になっていると思います その目的とは 注目を集めることです だから 声を上げずには いられません 私の経験から言うと 注意を向けることで得られる感覚を 追い求めれば そうするほど 幸せを感じるからです 注目を集めることで得られる感覚を 追い求めれば そうするほど むなしい気持ちになります

彼は決してテクノロジーそのものを否定しているわけではなく、SNSの構造やビジネスモデルに目を向けた上で、創造性が注目を集めるための手段となる危険性について語る必要がある、と述べている。

だからといって テクノロジーが創造性の敵だ とは言いません そうは思いません テクノロジーはツールです かつてないほどに人間の創造性を 高めうる可能性があります (中略) ですから ソーシャルメディアや スマホなどのテクノロジーそれ自体が 問題だとは思いません でも ... 創造性が 注目を集めるための手段に なってしまう危険性を 語るのであれば 現代の巨大ソーシャルメディア企業の 注目を集めたい衝動に基づいた― ビジネスモデルについて 語らねばなりません

ここで、ソーシャルメディアが利益を得る仕組みについて解説する。SNSの中毒性に関しては、すでにその科学的裏付けを示す書籍が出ていることにも言及している。名前を挙げたうちの一人、トリスタン・ハリスさんのトークもある模様↓

でも これだけは言えます 注目を集めることへの中毒は 他のものの中毒になるのと 全く同じことです 決して満たされません (中略)あなたの創造性が注目を集めたいという 願望に突き動かされるなら その創造性が 満たされることはありません

では、「注目を集めること」への依存を回避し、創造性を奪われないようにするためには、どうすればいいのか?冒頭の対比になぞらえるなら、自分が今まさに取り組んでいる活動・行為に「注意を向けること」に、より意識を集中させることが大切だと言える。

心理学者や神経科学者は 「フロー」という現象を 研究しています これは人の脳内で起こる現象で 人が ただひとつ― 例えばクリエイティブなことに 注意を向けていて 他のことで気が散らないときに 脳で起こる現象です より頻繁にこれを経験すると より幸せを感じると言う人もいます
このトークを考え お話しするという 創造的なプロセスは 自分が本当に大切に思っていることに 集中し 注意を向けるという 素晴らしい機会になりました ですから これによって どれだけ注目されようが されまいが やって良かったと思います 

〈感想〉

私自身は「バズらせたい」「いいね数を増やしたい」みたいな、いわば「注目」に対する前のめりの欲求は皆無に等しい。でも、これまでは「(今まさに書いているような)自分の気持ちを落ち着けるための私的な文章を、あえてネット上に公開する必要があるのか?」という点がよくわからなくて、ためらうことが多かった。こういう迷いも、「注目」に対するある種の欲求(見られること、批判されるかもしれないことへの恐れ)の現れといえるのかもしれない。

そういう恐れが先行していたので、基本的にSNSで発信することはずっと避けてきた。でも「文章の公開=絵馬の奉納」と捉えようと思い直し、とりあえずこうして公開するようになった。本当にただの日記だから、自分だけ見れたらそれで済むもの、とも言える。でも、「公開」を前提にすると、やっぱり書き方に対する意識が変わるし、そうすると、思わぬ方向に文章がまとまっていくこともあるのだな、と感じるようになった。

「絵馬」は人の目に留まるかもしれないし、あるいは、誰の目にも触れることなく、ただ朽ち果ててゆく運命かもしれない。でも、「絵馬」の書き手にとって一番大事なのは、それを書いて納めるという行為そのもの。それは家にあるノートとは別物だし、書いた絵馬を家に持ち帰ってしまうのも、やはり違う。だから、「絵馬を奉納する」つもりになって、書くことによる発散、自分にできる範囲での創造性の発揮、そこから得るインスピレーションを大事にしてみたいと思う。